【ジョン万次郎(帰国後のジョン万次郎)】


今日の ひすいこたろうサンの PC版メルマガ “ 名言セラピー ” は、
ジョン万次郎の漂流中の苦労話やアメリカ滞在中のエピソードが紹介されれいて、とっても感動しました ♪♪

一番心をうたれたのは、漂流中の万次郎を救助してくれたアメリカの捕鯨船の船長 ・ ウィリアム・H・ホィットフィールドと万次郎との絆です。

14歳の万次郎を本国に連れ帰ったホィットフィールド船長は、まるでわが子のように万次郎をかわいがり、教育を受けさせました。

ところが、ある日、自分の所属する教会に万次郎を連れて行くと、その
教会は 「白人ではない」 ことを理由に万次郎を受け入れてくれません。
すると船長は、その教会と絶縁し、日本人である万次郎を受け入れてくれる教会に宗旨変えをしたのです。

アメリカ人が、異国の少年のために宗旨変えをする…これがどれほど大きな意味のあることか、宗教観の違う私たちにはイメージできないと思います。

この一事をもってしても、この船長が万次郎に対して溢れんばかりの愛情を注いでいたことがわかります。
また万次郎も、それだけ愛されるに値する、才気煥発でかわいげのある少年だったのでしょう。

この万次郎が、漂流から11年10ヵ月の歳月を経て、日本に帰国します。

嘉永4(1851)年、25歳の時に薩摩藩領の琉球に上陸、番所で尋問を
受けた後に、薩摩本土に送られました。
当時の日本はペリー来航の直前、まだ鎖国政策がとられていました。
ですから、海外から帰国した万次郎たちは、薩摩藩や江戸幕府の
長崎奉行所などで長期間にわたり尋問を受けましたが、その際に、薩摩藩主・島津斉彬が彼の英語・造船知識に注目したのです。

この縁で、万次郎はしばらく薩摩に身を寄せます。
斉彬は、優秀な家臣を選抜し、万次郎から彼の知るかぎりの航海術・船舶知識を吸収させるのですが、この経験が生かされ、数年後に薩摩藩は、日本初の国産蒸気船の製造に成功するのです。

万次郎が日本に上陸してから1年9ヵ月後、土佐の母親と感動の
再会を果たしました。

土佐では、絵師・河田小龍が万次郎と寝起きを共にして、万次郎から英語を教わりながら、少しずつ西洋事情を聞き書きしていきました。

そして、この話は小龍から龍馬に語り継がれました。
商人の血をひく龍馬は、合理的なアメリカの考え方に感動します。
龍馬は、勝海舟から異国のことを学んだと思われがちですが、 実は、土佐にいた頃から、小龍によって、多くの異国事情を知らされていたのです。

おそらく、アメリカの株式会社のことも聞いていたに違いありません。
この時の知識と感動が、亀山社中という日本初の総合商社を生み出したのだと思います。

また、“五ヵ条の御誓文” のもとになったと伝えられている龍馬の “船中八策”には、「上・下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に
決すべき事」 と書かれています。
日本から出たことがない竜馬が、このような自由で民主的な国家の青写真を持っていたというのは、奇跡と言うほかありませんが、これも、小龍を経由して、万次郎から竜馬に受け継がれた遺産と言えるかもしれません。

万延元(1860)年、万次郎は、勝海舟や福沢諭吉らとサンフランシスコに咸臨丸で渡り、再びアメリカの土を踏みます。
その時に、万次郎が咸臨丸一行に薦めた本が、ウェブスター辞典です。
これが、のちに 「学問のススメ」 の基礎になったと言われています。

…というわけで、万次郎がまいた種は、さまざまな人を介して、明治維新という大きな流れの中で花開いていきました。

薩摩の技術力、竜馬の日本人離れした柔軟で壮大な発想、福沢諭吉の大ベストセラー 『学問のススメ』 …そのすべてのきっかけをもたらしたのは万次郎です。万次郎が歴史上に登場しなければ、日本史はまったく違うものになっていたかもしれません。

わたしたちは万次郎に深く感謝しないといけませんね。

最後に…万次郎にまつわるエピソードを3つご紹介します。

咸臨丸で第二の故郷・アメリカの土を再び踏んだ万次郎は、たった一泊でしたが、
恩人・ホィットフィールド船長のもとを訪ね、再会を果たしています。
この時、二人がどんな話をしたのか、想像するだけで胸が熱くなります。

明治維新後、万次郎は開成学校(東京大学の前身)の教授になりました。
貧しい家に生まれ、寺子屋にも通えずに文字の読み書きができなかった万次郎が、漂流の果てにアメリカの文化に触れ、才能を開花させ、日本史を大きく転換させる役割を担った上に、開成学校の教授にまで上りつめたというのは、人生の機微を感じずにはいられません。
万次郎は、神様によほど愛される何かを持っていたのでしょうか。

ジョン万次郎の功績は、日本以上にアメリカで高く評価されているようです。
アメリカの第30代大統領・クーリッジは、「万次郎の帰国はアメリカが最初に大使を日本に送ったに等しい」 と語り、アメリカ建国200年(1976年)の時には、ワシントンのスミソニアン研究所が催した 『海外からの米国訪問者展』 で、世界中からアメリカを
訪れた偉人として、わずか29人の中に、万次郎が選ばれました。

わたしが感じる明治維新の魅力…それは、人と人とのつながりです。
あれだけ志が高くあれだけ能力を備えた者たちが、縦糸・横糸が複雑に絡み合ってみんなつながっているんです。

携帯電話がなかったあの時代に、これだけユニークな人材が同時期に生き、しかもみんなつながっていた…というのが、奇跡にしか思えないんですね。

第二の明治維新と言われている今、きっと神様は、私たち一人一人の出番を歴史の中に用意してくれているはずです ♪