【吉田松陰(女心をくすぐる吉田松陰の魅力♪)】


あの吉田松陰が脱藩したことがあるって、ご存知でしたか?

嘉永3年(1850年)のことです。

この時、松陰は、友人である肥後・熊本藩の宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)と、
東北で落ち合う約束をしていたのですが…

長州藩が関所手形の発行に手間取ってしまったんです。

このままだと、親友との約束を破ることになってしまう…!!

この時、松陰が選んだ道が、“脱藩” でした。

友だちとの約束を守るために、脱藩という大罪を犯し、長州藩発行の関所手形を
持たないまま江戸を発った松陰は、東北遊歴の旅に出ます。

脱藩は大罪なのに、暗さが微塵もなく、あくまで無邪気に…♪♪

初めて見る東北の雄大な自然は、松陰に大きな感動と影響を与えましたが、
帰国した松陰は、脱藩の罪で、士籍を削られ世禄を奪われました。

それでもまったく後悔しないのが、松陰の素敵なところ♪♪
たとえ罪を犯したとしても、友だちとの約束を守る方が、自分に正直であり、
涼やかな心映えでいられたのでしょうね。

その後、松陰は、海外事情を学ぶため、鎖国の禁を犯し密航することを
決意します。
嘉永6年(1853年)、長崎に来航したロシア船に乗り込もうと長崎に急行
しましたが、間に合わず、翌年3月に再航したペリー艦隊の後を追って、
弟子の金子重輔と下田へ向かいました。

二人は、夜中に小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を
懇請しましたが、ペリーに拒絶され、密航はあえなく失敗。

壮図空しく破れた松陰は、いさぎよく自首して、囚われの身となります。
そして皆さんご存知のとおり、“安政の大獄” で処刑されるのです。

『 かくすれば  かくなるものと知りながら  やむにやまれぬ  大和魂 』

この歌は、下田で捕えられた松陰が、江戸へ護送される途中の高輪・泉岳寺で、
赤穂浪士の故事に託して詠んだ歌と言われています。

「同じ国禁を犯した赤穂義士は本懐を遂げ、我は失敗した。
しかし、志に差があるものか・・・」
という松陰の心境が表れているのではないでしょうか。

前回の高校野球論とつながりますが、勝敗を超えたところに価値を見いだせる
のが、日本人の素晴らしさだと思います。

そんな日本人にとって、松陰は永遠のスターです☆彡

松陰の行動の起点は、いつも透明で純粋です。
そして、悲劇的な人生とは裏腹に、松陰の心はいつも明るく無邪気です。

純粋さと無邪気さと…男性が松陰に惹かれる理由はまた別のところに
あると思いますが、松陰ファンの女性は、間違いなくここに魅せられている
と思います♪♪