日本のこと

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日本人
シンポジウムでお伝えしたかったこと☆

(2012年8月13日のブログ記事より)

 

昨夜のシンポジウムは、立ち見が出るほどの大盛況!!

お越しくださった皆さま、本当に有り難うございました♡

 

パネルディスカッションは初めての経験で、かなり緊張しましたが、同時に大変勉強にもなりましたニコニコ

 

ご参加の皆さまからお褒めの言葉をいただいたので、昨夜私がお伝えしたことを、ブログで皆さまとシェアしたいと思います(*^-^*)

以下が、パネルディスカッションでお伝えした要旨ですニコニコ

 

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航空会社の客室乗務員として、異文化と触れ合う機会を数多く持った私は、日本の文化や歴史

そして日本人の生き方や考え方が、世界に類を見ないものだと実感するようになりました。

 

その日本人の独自性の象徴が、自然とのかかわりの中に見てとれるのではないかと思います。

 

日本人は、八百万の神を信じ、自然の中にこそ神様が宿っていると考えてきました。

ですから、日本人は、古来から自然に対して畏敬の念を抱いてきたのです。

 

例えば、欧米の登山家は、登頂に成功すると 「山を征服した」 と言いますが、日本人は決してこういう表現はとりません。

山は、日本人の登山家にとって、「どうか登らせてください」 と許しを乞う対象であり、登頂に成功したら、「登らせていただき有り難うございます」 と感謝する対象でした。

 

こうして、日本人は、自然に抱かれ、ごく当たり前のこととして自然との共生を図ってきたのです。

 

 

この日本人の共生の叡智が、一つのカタチになったのが江戸時代です。

 

江戸時代は、200年以上もの長きにわたって国内で戦争がありませんでした。

しかも、他国を侵略することもなければ、他国から侵されることもありませんでした。

このような時代は、世界中をさがしても、日本の江戸時代しかないのですから、まさに奇跡の時代と言えるでしょう。

 

 

いま、国民の幸福指数が世界で最も高い国の一つとして、ブータンが知られていますニコニコ

先日来日したのは、ワンチュク国王夫妻ですが、幸福指数に着目し、国民の幸福度を上げるということを国策としたのは、ワンチュク国王のお父様です。

この方が理想としたのが、江戸時代の日本であると言われていますニコニコ

 

 

また、幕末から明治にかけて、日本を訪れた多くの外国人たちも、みな一様に、日本の国土の美しさ、治安の良さ、親切で誠実で教養の高い人々、そしてその人々の丁寧で物腰と幸せそうな微笑みに感動していますニコニコ

 

日本人は、貧しくとも美しい生き方をしていたのですニコニコ

 

 

でも、外国人からの称賛の声に対して、日本人自身の評価はいかがでしょうか?

 

江戸時代と言えば、身分制度によって人々の自由が奪われ、鎖国によって社会が停滞していた次代…という印象をお持ちの方が、多いのではないでしょうか?

 

 

なぜ私たちがこのようなイメージを持っているかというと、それは、勝者が歴史を紡いでいくからです。

明治維新から続く一連の流れの中に現代があるために、前時代である江戸時代を否定的にとらえる見方が主流になっているのです。

 

でも、江戸時代の日本を詳しく知れば知るほど、意外にも庶民がイキイキと暮らしていたことに驚かされます!!

 

庶民がイキイキとした江戸時代。 その象徴が、将軍のおひざ元である江戸の町です!!

 

 

当時の江戸は、人口が100万人を超える世界一の大都市でした。

人口の約半数が、参勤交代で江戸を訪れる武士や、神社・仏閣に住まう、いわば特権階級の人たち。

残りが庶民ということになりますが、庶民のおよそ80%が、何らかの商売に従事していたと言われています。

 

江戸の商人たちは、自分たちの商売が繁盛するためには、江戸の町が繁栄しなければならないと考え、あらゆる商家が共倒れしないように、そして自然と人間が共生していけるようなしくみを考えたのです。

 

この江戸っ子たちの感性が 「江戸しぐさ」 と呼ばれ、いま脚光を浴びていますニコニコ

江戸しぐさの本質は、平和と共生なのです。

 

例を一つ挙げてみましょう。

 

昨年の東日本大震災は、千年に一度の災害と言われていますが、実は、幕末にも同規模の地震が起こっています。

この時、多くの日本人は、恐怖に震え、犠牲者を悼みながらも、運命を呪うことをせずに、抗うことのできない運命を受け入れました。

そして、「地震のおかげで原点に戻り、またゼロから始められる」 と、地震に対して感謝の想いさえも持ったのです。

 

日本人は、自然の恵みや美しさだけでなく、自然の厳しさや恐ろしさも含めて、そのすべてを受け入れました。

つまり日本人は、自然をコントロールするのでなく、自然と共生することを選んだ民族なのですニコニコ

 

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 と言われますが、日本の歴史から共生の叡智を学び、現代の科学技術と融合させること、これこそが温故知新であり、これができれば、地球の未来は明るいと思いますニコニコ

 

 

皆さん、ご一緒に明るい未来を奏でてまいりましょう!

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このような意見を発表させていただいたあと、他のパネリストの皆さまと意見交換をしたのですが、そこで気づいたんですね。

 

共生のベースは、「おかげさま」 の思いなんじゃないか…って。

 

今回のロンドン五輪のインタビューでも、メダリストたちはみんな異口同音に 「おかげさま」 の思いを伝えていましたね!!

 

「おかげさま」 には、支えてくれた人や応援してくれた人への感謝だけでなく、ご先祖様や先人たち、自然に宿った命など、目に見えない存在への感謝も含まれますニコニコ

 

自分は、自分の力で生きているのではなく、生かされているんだ…

そのことに気づいた時、自然と 「おかげさま」 という気持ちがこみ上げてくるし、それが共生の第一歩なんじゃないかな(*^-^*)

 

この 「おかげさま」 という言葉、外国語にひじょうに訳しにくい言葉と言われていますが、同様に、「いただきます」 「ごちそうさま」 も、私の知る限り、外国語には訳せないんです。

 

これらの言葉には、生きとし生けるものへの愛が溢れていますね音譜

 

あらためて、ご先祖様たちがリレーしてきてくれた言霊の素晴らしさを実感したシンポジウム。

素敵な機会をいただけたことに、あらためて感謝します♡


★大学の実態

(2013年11月10日のブログ記事より)

 

先日の大学の授業に関する記事に、本当に多くの方からコメントやメッセージや、それにお電話もいただきましたニコニコ

 

本気で生きている大人がこんなにたくさんいたんだって、感動しましたニコニコ

そしてみんな本気で若者のことを考え、憂い、そして日本を心から愛しているんだなぁ~と、しみじみとした気持ちになりましたし、同時に心強く思いました。

 

皆さんの反応がとても嬉しかったです。

本当に有り難うございましたニコニコ

 

その後、この大学問題の根本の原因はどこにあるのかと、いろいろ考えたり、大学の宣誓と語り合ったりして、恐ろしい事実に気がつきました。

 

本来、大学は研究機関であるはずなのに、「大学ぐらい出ておかなきゃ」という世の中の風潮が、大学を教育機関に変えた。

 

でも、今はその教育機関の役目さえ果たしていない大学が多い。

 

どういうことかというと、大学側が、学生や保護者を、授業料を納めてくれる「お客様」のような感覚で見ているのです。

 

 

だから、私が目撃した学生のように、たとえ寝るために大学に来ていたとしても、大きな問題を起こさなければ、単位を与え、卒業させてしまう。

 

 

でも、考えてみてください!!

果たして学生たちは、本当に成績に値するものを身に付けているのか。

 

答えは、おそらく「否」でしょう。

 

 

知り合いの専門学校の先生は、企業をまわって学生たちの就職をお願いする行為を、「商品を出荷する」という独特な言い回しで表現していましたが、この言い方を借りれば、大学だって各企業に学生という人材=商品を出荷するわけです。

 

 

ところが、この商品の大学側がつけた評価と中身がかけ離れているとしたら…

それは、なんとも不誠実。

 

近ごろ、ホテルやデパートや外食産業が、表示と違う食材を提供していたことが話題になっていますが、大学の実態って、これにそっくりですよね(>し<)

 

もしかしたら、この不当表示の問題は、単に食品だけでなく、昨今の日本社会の病巣そのものなのかもしれませんね。

 

 

日本人は、誠実で勤勉で親切ニコニコ

それが、世界の日本に対する評価であり、イメージです。

 

そしてここに、日本人の美徳があるはずですニコニコ

 

 

先日、鍵山秀三郎先生が「日本人の美徳」というテーマでお話ししてくださいましたが、美徳を支えるのは、「人への愛」で、その土台が壊れると、美徳は悪徳に変わる…という言葉が、あらためて胸に突き刺さります。

 

日本人の美徳。音譜

もう一度私たちみんなが見つめ直す必要がありそうですね。

 

なぜなら、不当表示の問題も、企業側だけに責任があるワケでなく、彼らがそうせざるをえない状況を、私たちがつくってしまったのですから…。


準備中です
暫くおまちください

日本の文化
心の栄養

(2009年5月30日のブログ記事より①)

先日、知人が、「カラダに食べ物の栄養が必要なように、心にも栄養が必要だ。21世紀の栄養は、色と香りと音だ。」と言ったんです。

わたしは、一瞬「な~るほど」と思ったのですが、すぐに「ん!?ちょっと待って。たしかに心の栄養が “色と香りと音” というのはうなずけるけど、それって、どこが21世紀なんだろう? 大昔から、日本人はそのことに気づいてたよね。」って、思い直しました。

 

まず『色』…今、欧米流のカラーコーディネートを勉強している人が多いけど、実は、もともと日本人には、欧米人がたちうちできない、素晴らしい色彩感覚が備わっていると思うんです!!

 

だって、『十二単』って、究極のカラーコーディネートですよねニコニコ

着物のコーディネートは、洋服よりも粋で斬新で大胆! 着物や帯の配色って、洋服ではありえない組み合わせがイケるし、帯締や帯留など小物の色遣いでガラッと印象が変わるのも、着物ならではの楽しみだと思います♪♪

 

 

次に『香り』…これまた最近はアロマテラピーが流行っているけれど、これとて、いにしえの『香合わせ』の方が、はるかに風雅で、しかも高度なテクニックが必要です。

 

 

最後に『音』…広い意味では、『言霊』も入るのでしょうが、『言霊』の話は奥が深すぎるので、今回は、純粋な『音楽』を取り上げてみたいと思います。

 

 

日本の伝統的な音楽といえば、雅楽ですが、わたしは、「雅楽とは、いにしえの日本人が、宇宙を音で表現したもの」だと思っています。

 

これは直感なんですが、真言密教の曼荼羅(マンダラ)を初めて見た時と同じ衝撃だったので、咄嗟に宇宙をイメージしたんだと思います。

曼荼羅も宇宙を表現していると言われていますよね。

 

でも、これがいくら私的なブログであったとしても、単なるわたしの直感を皆さまにお伝えするわけにはいかないと思い、雅楽のホームページ http://www.gagaku.net/  を検索し、調べてみました。

 

そしたら、やっぱり直感が当たっていたんですニコニコ

ホームページには、それぞれの楽器が何を表現しているのかが、出ていました。

 

鳳笙(ほうしょう) … 天からさしこむ光
龍笛(りゅうてき) … 空を舞い立ち昇る龍
篳篥(ひちりき)… 地にこだまする人の声

 

 

この3つに加え、わたしのイメージでは、太鼓は大地の音なんですよね。

 

つまり、日本人は、雅楽によって宇宙を表現していたと言えるんじゃないでしょうか。

 

今、スピリチュアルな話題に興味を持つ人が多いですが、日本人って、太古の昔から、宇宙と繋がって生きてきたんですねニコニコ

 

「自然の中に神様を見出し、宇宙と繋がって生きる」というDNAが、私たちの中に脈々と生き続けているんだなぁ…♪♪

 

今、古くて最も新しい日本文化を、ちゃんと理解して伝えていきたいですねニコニコ


日本語の不思議♪

(2009年5月30日のブログ記事より②)

 

わたしが日本語や言霊に関して最初に興味を持ったのは、中学生の時です。日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した、川端 康成の言葉に触れたのがきっかけです♪♪

 

源氏物語は、「いづれの お御時にか…」 という一節から始まりますが、

川端 康成 曰く、「これを 『どの時代のことであっただろうか』 と訳す人は、源氏物語の口語訳をする資格はない。源氏物語というのは、内容も素晴らしいが、音の響きが美しく、濁音がきわめて少ない。原文の響き ・語感を大切に思うなら、当然、口語訳も濁音をできるだけ控えるはずで、

『いつの時代のことであったろうか』 と訳す方が、原文のイメージに近い」

 

「どの時代」

「いつの時代」

…英訳すれば同じ表現になるのに、確かに語感が、響きが違う。

「日本語って凄いなぁ」 と、ふるえるほど感動しました!!

 

川端 康成のこの言葉が引き金なり、中学時代のわたしは、万葉集や源氏物語などの古典に興味を持ちました。

やがて、「歴史を知れば、古典をさらに深く味わえる」 ということに気づき、

わたしの歴史好きが始まったのですニコニコ

 

『言霊を含めた文化と歴史の交差点』 …これが、今のわたしのテーマかなぁ…☆彡

 

もう10年ぐらい前になりますが、波動の研究の第一人者 ・ 江本 勝先生が、水の結晶の写真を撮ることに世界で初めて成功し、その写真を集めた本を出版されました。

『水からの伝言』 という本ですニコニコ

 

水を入れたボトルに、さまざまな言葉を書いて貼っておくのですが、言葉が変わると、水の結晶の様子がガラッと変わるのです。

 

「ありがとう」 を貼っておいた水は、結晶が本当に美しいのに、「ばかやろう」や「死ね」なんていう言葉を貼っておいた水は、結晶が崩れてしまい、見る影もありません。

 

さらに、「しようね」 はきれいな結晶なのに、「しなさい」 は汚くて…子育て中のわたしには、かなりの衝撃でした!!

 

大人でも、体の60%は水分と言われていますよね。

子どもなら、もっと水分が多いはずです。

 

わたしたちが、毎日、どんな言葉を発しているか、そしてどんな言葉を聞いているか…その日々の積み重ねで、細胞の一つ一つががイキイキしたり、しょんぼりしたりしちゃうんじゃないかなぁ。

 

いつもプラスの言葉、愛のこもった言葉に囲まれていたいですねニコニコ

 

そして、この本の中で、とっても不思議なことがあるんです。

日本語の「ありがとう」 ・ 英語の「ありがとう」 ・ 韓国語の「ありがとう」…どう見ても、日本語の 「ありがとう」 の結晶がダントツにきれいなんです!!

 

同じ意味なのに、なぜ…!?

 

日本語の響き ・ 語感のなせるワザなのでしょうか?

 

以下は、わたしの解釈です。

 

日本の文化と歴史って、地球上で特異な存在だと思うんです。一度も異民族に征服されたことがなく、『日本語』 という一つの言語を数千年語り継いできたわけですよね。

 

時代とともに言葉は変わっても、『音(オン)』 は同じ。

「いろはにほへと ちりぬるを」 … ねっ、音は 「あいうえお」 と同じでしょ?

 

でも、他国は…というと、ほとんどの国が、不幸にも、歴史の中で、他民族の征服により母国語が途絶えてしまった時期があるんですよね。

 

そういう民族の言語に比べて、日本語のエネルギーって、とてつもなく大きいんじゃないかしら。

それが、「ありがとう」 の結晶のずば抜けた美しさの秘密なんじゃないかと思います。

 

さらに、『水からの伝言』 で再確認したことがありますニコニコ

 

この本の後半に、水の入ったボトルにいろいろな人の名前を書いた紙を貼っておき、その結晶を撮影した写真が出ています。

(勇気のある方は、ご自分の名前を書いて貼ってみてね☆彡)

 

「天照大神」 の結晶と、「ありがとう」 の結晶が、よ~く似ているんですよ!!

 

やっぱり日本は、感謝の国なんだな~ニコニコ


日本語の妙

(2009年6月1日のブログ記事より)

 

『国家の品格』 『女性の品格』 … ここ数年、“品格” という言葉を、よく耳にするようになりましたニコニコ

 

その人の “品格” って、何に象徴されるのかな。

 

わたしは、“身だしなみ” と “ことばづかい” に最も如実に表れるのではないかと思います。

 

10数年前にJALを退社してから、ご依頼いただいた企業や学校にお邪魔して、接遇やビジネスマナーに関して研修や講演をさせていただいてます。

以前は一日研修が多かったのですが、近頃は、不景気の影響か、2時間とか1時間半といったひじょうに短い時間で、「基本的なことをすべて教えてほしい」 というご要望が多いのです。

 

身だしなみ、姿勢、表情、挨拶、席次、来客応対、電話応対、訪問のしかた、

名刺の扱い方etc.…ひと口に “マナー” といっても奥が深いのですが、企業や学校が、特に研修の効果を期待しているのは、“ことばづかい”なんですよね。

 

でもね…考えてみてくださいよ( ;∀;)

敬語だけでも、きちんとお伝えするには2~3時間はかかりますよ。

それを、「2時間で基本をすべて」 なんて、ことばづかいに費やせる時間はせいぜい10分じゃないですか( ;∀;)

 

無理です!!!

 

…と言いたいところですが、わたし、実は、魔法つかいなんです☆彡

受講者全員が、一瞬にして、適切な敬語を遣えるようになる魔法をかけちゃうんです!!

 

だからわたしの研修では、ことばづかいはたった3分で終わり!!!

 

じゃあ、このブログを読んでくださっているあなたに、魔法をかけますよニコニコ

 

まず、日ごろ遣っていることばで、「今から銀行に行ってくる」という意味のことを言ってみてください。

 

「わたし、銀行に行ってくるね。」

「オレ、銀行に行ってくる。」

「ワシ、銀行に行ってくるけん。」

 

こんな感じですよね。

 

では、伝える意味は一緒、でも最初に 『ワタクシ』 という言葉を言っちゃってください。さぁ、どうぞ!!

 

チャラララ~音譜

「わたくし、銀行に行ってまいります。」

 

ねっ!!

自然と敬語に切り替わるでしょ音譜

 

これが “日本語の妙” なんですよ音譜

 

「わたくし、銀行に行ってくるね。」とは言えないんです。

日本語って、ちゃんと “呼応” するんですね(*^-^*)

 

じゃぁ、『わたくし』 に対して、相手のことはなんて呼べばいいの?

 

『貴様と俺』

『お前とオレ』

『君と僕』

『あなたとわたし』…

そして 『あなた様とわたくし』

 

そう、ここでも日本語は呼応するんですニコニコ

 

『お客さん』 とか 『お客』 って言うから、ぞんざいな言葉が続くのです。

『お客さま』 という言葉を遣うと、必ず丁寧な言葉が続きますよニコニコ

 

私たちには、日本人のDNAが備わっています。

特別な勉強をしなくても、私たちには、“日本人が歴史の中で育んできた感性”がすでに備わっているんですよ♡

その感性をONにすればいいんです!!

 

アメリカでは、オバマ大統領が 「Change」 と叫んでいるけれど、私たち日本人に必要なのは、「Change」 ではなく「Charge」 なんじゃないかなニコニコ


お客様に感謝

(2009年6月2日のブログ記事より)

わたしは、ご依頼をいただいた企業で社員教育をさせていただいていますが、講師って、別に国家試験を受けるわけではなく、その人の経験でしゃべるんですよね。

 

わたしの場合、大学卒業後に日本航空の客室乗務員をしていたので、その時の経験と、あとは自分がお客さまの立場として日々経験することをもとに、お話させていただいていますニコニコ

 

日本航空時代を振り返ってみると、素晴らしい先輩や上司からさまざまなことを教えていただきましたが、

それ以上に、お客さまから学んだことが多かったような気がしますニコニコ

 

着陸してからの機内アナウンスの最後を、

 

「重ねまして、本日のご搭乗ありがとうございました。」

 

という言葉で締めくくった時、

 

「“重ねまして”という言葉は、『重ねてお礼を申し上げます。』 や『重ねてお詫びいたします。』 のように、動詞が続かないとへんだよ。」

とご指摘をいただいたり、

 

離陸前に 「テーブルをお戻しください。」 と申し上げたことに対して、

 

「 『ください』 という言い方は、サービス業では使わない方がいいなぁ。

『お戻しいただけますか』 と言われる方が、はるかに感じいいよ。」

 

というご提案をいただき、素直に 「な~るほど!!!」ニコニコ

 

「コーヒー持ってきてくれる?」 とおっしゃるお客さまに、「はい、かしこまりました。少々お待ちください。」 とお答えし、すぐにコーヒーをお持ちしました。

 

すると、そのお客さまは、

「な~んだ、すぐに持ってきてくれたんだ!! だったら、『少々お待ちください』 じゃなく、『ただ今お持ちします』 と言えばいいのに。

『少々お待ちください』 と言われたから、忙しい時に頼んじゃって、申し訳ないと思ったよ。」

 

…そっかぁニコニコ

 

お客さまとこんなふうな会話をすることで、言葉に対する感性が豊かになっていったし、接客のノウハウも、おもてなしの心も、お客さまに育てていただいたんだなぁ…と感謝の気持ちでいっぱいです音譜

 

ちょっと前の日本は、紳士&淑女の国であるイギリスにも負けないくらい、おもてなしする側とサービスを受ける側が、その垣根を越えて、人間同士、心を響かせ合い、互いに成長していく土壌があったと思います。

 

つまり、お客さまは、「最高のサービスを受けたい」 という欲求を抱くと同時に、「最高のサービスを受けるに値する人間でありたい」 という自分を律する力が働いていたのです。

 

今は、相手の立場をまるで考えずに自分を主張してばかりの “クレーマー”や、「ただ安ければいい」 と考える消費者が多くて、悲しいです(;し;)

 

結婚コンサルタント MaZenda では、7月20日に、ひすいこたろうサン&原伸介さんを呼んで、“時代を先取りした博多の歴女” こと、わたくし・Hitomi-MaZenda を交えての3人のトークショーを開催しますが、ゲストの原さんの持論がユニークなんですニコニコ

「日本人が、お座敷遊びからコンパニオン遊びに切り替えた時から、日本文化の衰退が始まった。」

 

たしかに、お座敷遊びの場合、サービスを提供する側が一流を目指して芸を磨き、お客さまはその一流の芸を理解するだけの教養と、人間としての魅力を身につけるべく、お互いが切磋琢磨して、ひじょうにいい意味での緊張関係がありましたよねニコニコ

 

でも、コンパニオン遊びとなると、

「スカートの丈が短ければ短いほどいい」

という価値観に支配され、サービスを提供する側も、さほどプロ意識を育てる必要もなく、いきなりデビューできちゃいますもんね( ;∀;)


いにしえの日本人の調和力①

(2009年10月20日のブログ記事より)
結婚コンサルタント MaZenda には、カラー&メイク担当の

蓮音アミ先生 という心強い味方がついています。

 

アミ先生の魅力をひとことで言うと…(もちろんプロとしての実績や仕事の質、そして人間性は、言うまでもなく素晴らしいのですが)、もともとヨーロッパやアメリカで生まれ、発達したカラーの理論を、日本人にふさわしいカタチにアレンジしてくださっていることですニコニコ

 

欧米人と日本人では、肌の色 ・ 目の色 ・ 髪の色、すべて違うので、欧米人のためのカラー分析をそのまま日本人に当てはめるのは、無理があると思うのですが、アミ先生のように 「日本人であること」 を意識し、日本人の美しさを際立たせてくださる先生は、ほとんどいらっしゃらないのが現状です。

 

そのアミ先生が、日頃よくおっしゃるフレーズがありますニコニコ

 

「いにしえの日本人の感性は素晴らしい。現代人も、他の民族も、太刀打ちできない。」

 

さらにアミ先生はおっしゃいます。

 

「洋服のカラーコーディネートは簡単!

和服が難しいのよ。

着物 ・ 帯 ・ 帯締め ・ 帯揚げ…これらをコーディネートする難しさは、洋服の比じゃないでしょ。

しかも、いにしえの日本人は、十二単(じゅうにひとえ)を着ていたのよ。あのカラーのセンスは素晴らしい。」

 

たしかに、平安絵巻に出てくるいにしえの日本人は、十二単を着こなし、和歌を詠み、香合わせをたしなんでいます。

現代の日本人は、カラーも、アロマも、欧米のものをありがたがっていますが、実は、日本固有の素晴らしい文化が存在していたんですよね。

 

それにしても、十二単に代表される日本人の感性の豊かさは、いったいどのようにして育まれたのでしょうか。

 

もちろん理由はいろいろあると思いますが…

いにしえの日本人は、自然を慈しみ、自然との一体感を楽しみ、自然と調和しながら生きていました。

そのことが、日本人の感性を育んだ一番大きな理由なのではないでしょうか。

 

自然界は、すべての調和がとれていますニコニコ

 

例えば、真紅のバラをイメージしてみてください音譜

ビロードのような深さをたたえた真っ赤な花びらに、深緑の茎と葉。

 

次に、たんぽぽをイメージしてくださいニコニコ

かわいらしい黄色の花びらに、黄緑の茎と葉。

 

もしもこの組み合わせが逆だったら…

真紅のバラの茎や葉が黄緑だったら、あるいはたんぽぽの茎や葉が深緑だったら…

ものすごく違和感を感じますよね。

 

自然界の色というのは、色味の統一がとれていて、すべてが調和していますニコニコ

 

人間も自然界の生き物ですから、バラやたんぽぽと同じように、髪・肌・目すべての色味が統一されているのですが、人間がつくりだすものは、調和に欠ける場合が多いと思います。

 

日本人は、明治以降の歴史の中で、自然との調和をあまり考えずに、人工のものをどんどん増やしていってしまいました。

いにしえの日本人から素晴らしいDNAを受け継いでいながら、その感性が鈍ってしまったのは、自然との一体感を失ったからではないでしょうか。

では、明治時代より以前に、日本文化がどういう道をたどってきたのかを、明日から考えていきたいと思います♪


いにしえの日本人の調和力②

(2009年10月21日のブログ記事より)

今日は、日本史の大きな流れを、文化の側面から紐解いてみたいと思いますニコニコ

 

当時、まだ “日本” という国名はありませんでしたが、日本が初めて世界史に登場するのは、中国の歴史書 『後漢書』 においてでした。

「後漢の光武帝が、建武中元2年 (57年) に奴国 (なこく) からの使者に印を賜った」 という記載が見られます。

 

これは “漢委奴国王印 (かんのわのなのこくおういん)” と言われますが、この『後漢書』 の記載が正しかったとわかったのは、時代ははるかに下って、江戸時代に入ってからでした。

1784年に、福岡の志賀島で、「漢委奴国王」 と書かれた純金製の王印= “金印”が発見されたのです。

 

こんなに古い時代から中国と交流があったなんて、日本人のバイタリティーには本当に驚かされます。

 

ただ、あまりに時代が古く、日本側には記録が残されていないため、正直、現代に生きる私たちがイメージするのは難しいのではないかと思います。

 

私たちが日本と中国の交流としてまず思い浮かべるのは、遣隋使 ・ 遣唐使ではないでしょうか。

 

“遣隋使” といえば、聖徳太子が任命した小野妹子(「いもこ」と読みますが、男性です!) が有名ですが、小野妹子が隋に渡ったのは、607年のことで、これは第二回の遣隋使派遣に当たります。

 

この時、聖徳太子は、小野妹子に、かの有名な国書を託しました!!

この国書は、倭王から隋の皇帝 ・ 揚帝(ようだい)に宛てたもので、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」 と書き出されていたと言われています。

 

600年に第一回遣隋使が派遣されてから、618年に隋が滅ぶまでの間、遣隋使は5回も派遣されました!!

 

隋に代わって唐が中国を統一すると、630年に “遣唐使” が派遣されました。

以後200年以上にわたって、遣唐使は、当時の先進国であった唐の文化や制度、そして仏教の日本への伝播に、大いに貢献したのです!!

 

けれども、唐が内乱で弱体化すると、遣唐使は、894年の派遣が菅原道真の建議により中止されました。 そして907年には唐が滅亡し、遣唐使は再開されないまま、

その歴史に幕を下ろしました。

 

このあと、日本はどういう道をたどっていったのかというと、海外との交流をピタッとやめてしまいます。

そして、200年以上の長きにわたって海外から積極的に吸収した文化 ・ 文物を、日本人に、そして日本の風土にふさわしいカタチに変化させていきましたニコニコ

 

このように、日本の歴史は、海外に向かって大きく開き、海外から文化を吸収する時期と、内向きに閉じて、輸入した文化を日本独自のものにしっかり醸成する時期とが交互に訪れます。

この日本独自の文化が醸成される過程で、日本人の感性が研ぎ澄まされていったのではないかと思うのです。

 

遣唐使が廃止された平安中期以降、国風文化が輝きを放ちますが、海外から吸収した文化を日本的にアレンジした事例として、最も象徴的なものは、中国から伝わった漢字をもとに、平仮名や片仮名が編みだされたことでしょう。

 

そして、仮名文字の普及によって、より自由でこまやかな表現が得られるようになると、

人々の創作意欲は、“物語” という新しい文学を生み出したり、自分の内面を見つめる“自照性” が深まることで、日記や随筆文学が花開きました。

 

この国風文化が醸成されていく中で、現代の日本人にもつながる 「もののあはれ」という価値観や、自然の営みや四季の移ろいを敏感に感じとる感性が育まれていったのです。

 

鎌倉時代に入ると、日本的なものを生み出す力が、美術や宗教の分野にも広がっていきました。

 

ところが、鎌倉時代末期になると、再び日本人のバイタリティーは、外に向かいます。

 

14世紀前半、倭寇船による私貿易は、自由に行なわれ、朝鮮、中国の全沿岸はもとより、台湾や海南島にまで及びました。

倭寇船の数も、多い時は300隻に達したと言われています。

この当時、日本人の海外発展の気風が、いかに高まっていたかが想像できますよね。

この後、中国側の要請で倭寇船に対する取り締まりが行われましたが、かわって、室町幕府の正式な許可を得た貿易船が、日中間をさかんに行き来しました。

これらの貿易船は、倭寇船との区別をつけ、正式な許可を得たことを証明するために

“勘合符” を携えていました。

ですから、この時代の日明貿易のことを “勘合貿易” と呼びます。

 

“勘合貿易” の恩恵で日本にもたらされた文化 ・ 文物は、足利義満の時代に、絢爛豪華で芸術性が高い北山文化として花開きました。

 

けれでも、例によって、海外から存分に文化 ・ 文物を取り込んだたあとは、思いきりベクトルが内向きに切り替わります。

 

北山文化の持つ芸術性は、非日常的な魅力にあると思いますが、ベクトルが内向きになると、その芸術性が生活文化の中に取り込まれていきました。

禅の精神にもとづく簡素さと味わい深さ、そして従来の伝統文化における風雅、幽玄をベースにして、“侘び” “さび(寂)” という新しい独自の文化が誕生したのです。

 

それが、足利義政の時代の東山文化です。

 

その後、戦国時代の内乱を経て、安土桃山時代に入ると、再びベクトルは外向きに転じます。 この時代は、日明貿易だけでなく、南蛮貿易によって、ヨーロッパとの交流も盛んになりました。

 

この時代の日本人のバイタリティーときらめく個性は、城山三郎さんの 『黄金の日々』という小説に、まぶしいほど魅力的に描かれています。

 

このまばゆさの反動か、その直後に、日本史は、最大の内向きの時期を迎えます。

徳川幕府は、 “鎖国” を基本政策とし、長崎の出島を除いて、海外との交流を一切絶ったのです。

 

この潔いまでのベクトルの転換で、江戸時代、結晶のように美しく香り高い日本独自の文化が成熟期を迎えます。

 

次回は、この江戸時代の文化についてお話しますね♪


いにしえの日本人の調和力③

(2009年10月23日のブログ記事より)

 

今日はいよいよわたしの大好きな江戸時代の日本文化について、熱く語っていきますね。

 

江戸時代の魅力の一つは、それぞれの藩が独自の文化を持っていたこと、

その多様性にあると思いますが、中でも、その最高傑作は、薩摩における武士道と、江戸の商人や町衆が築き上げた “江戸しぐさ” だと思っています。

 

以前、ブログに “うかつあやまり” のことを書いたときに、多くの方々からコメントやメールをいただきましたが、初めて耳にする方がいらっしゃるかもしれないので、もう一度うかつあやまりについて書かせていただきますね。

 

足を踏まれて、「あいたたた…」

 

こんな時、足を踏んだ人が 「ごめんなさい」 とあやまるのは当たり前ですが、足を踏まれたのが粋な江戸っ子なら、「私がボーっとしていたのも悪かったんですよ。こちらこそごめんなさい。」 というふうに、自分のうかつさを詫びるのです。

 

考えてみると、世の中のトラブルは、どちらかが一方的に100%悪いということはほとんどありません。

例えば、交通事故でも、10対0になるのは、止まっている車にぶつかった時ぐらいです。 そのほかの事故は、たいてい8対2とか、7対3でその事故の責任が問われますよね。

 

「足を踏まれた」 ときもこれと同じだと思うんです。

 

人間って、不思議ですよね。

いくら 「自分が悪い、申し訳ない」 と思っていても、相手に 「あなたが100%悪い」 っていう態度をとられたら、気持ちはおさまらないし、言い訳したり逆ギレしそうになりますもん。

 

粋な江戸っ子のように、誰もが自分のうかつさを詫びることができれば、争いごとなんてなくなりますよね。

 

「争いごとがなくなる」 というのは、まさにその通りで、江戸時代の日本には、1615年の大坂の陣から250年近く、戦争がなかった (一揆はありましたが)

のです。 これは、世界の歴史の中でも特筆すべきことです。

 

現代にも通用する日本人の叡智が、この天下泰平の世に詰まっているのではないでしょうか。

 

この時代、すでに江戸の人口は100万人を超えていたと言われていますから、おそらく世界一の人口密度だったでしょう。

そういう環境の中で、争いごとを起こさずみんなが心地よく暮らすために、江戸っ子たちは互いの感性を磨いていったのです。

 

例えば…

狭い往来で人とすれ違う時に、お互いが右肩をスッと引くことで、肩と肩がぶつからずにすみます。 これは “肩引き” と呼ばれる所作です。

 

雨の日にすれ違う時には、相手の足元に傘のしずくが落ちないように、傘を外側に傾けます。 これは “傘かしげ” です。

 

乗り合い舟が混んできたら、江戸っ子たちは握りこぶし一つ分ぐらい腰を浮かせて、さりげなく席をつめていきます。 これは “こぶし腰浮かせ” と言われます。

広い場所をわがもの顔で独占するのはもちろん野暮ですが、これ見よがしに席を譲ったり大げさな所作で席をつめていくのも、野暮なんです。

 

相手に心の負担を感じさせずに思いやるのが、“粋” というものでしょう。

 

“江戸しぐさ” の 「しぐさ」 とは、「思草」 と書きます。

「思」は、「思案」「思慮」「思想」 などの「思」。

「草」 は、 「言い草」 などの言葉に使われる 「草」 と同じで、「行為」のこと。

つまり、「思草」 とは、「思いと行動は一つ」 ということです。

 

知識ではなく、感性なんですね。

 

互いを思いやり、江戸の町をいくさといじめのない繁盛する町にするための言葉遣いや表情や身のこなしのコツ…それが “江戸しぐさ” です。

 

そして250年の年月をかけて、江戸しぐさは洗練されていったのです。

 

“江戸しぐさ” を知れば知るほど、日本人の誇りがよみがえってきます。

 

では、この “江戸しぐさ” のベースとなる考え方、本質は何なのでしょうか。

それはおそらく、“共生” ではないかと思います。

 

そして “共生” の思いこそが調和力を生むのではないかと思うのです!!

 

というわけで、次回は江戸っ子たちの共生の思いについてお話ししますね。!!


いにしえの日本人の調和力④
(2009年10月25日のブログ記事より)

“いにしえの日本人の調和力” …今日はいよいよ完結編です。

 

前回は、うかつあやまり、肩引き、傘かしげ、こぶし腰浮かせなど、江戸しぐさの具体例をご紹介しましたが、このような他人を思いやる感性を持ち、それを瞬時に表現できること…要は、江戸っ子たちは “粋な大人” を目指していたのです。

 

では、粋と野暮の、決定的な違いは何でしょう?

 

それは、ひとことで言うと、“共生” の想いがあるかないか…ということに尽きるのではないでしょうか。

 

例えば、今あなたが商売をしていると仮定します。

 

当然、商売が繁盛するにはどうすればいいか、いろいろなアイデアを考えると思いますが、「自分一人が儲かればいい」 と独り勝ちしようとしたら、たとえあなたがどんなに商売上手であったとしても、江戸っ子から尊敬されることはありません。

 

どんな商売上手でも、江戸の町が繁盛せずにすたれてしまったら、江戸の町とともに商売は共倒れです。

ですから、江戸の町の繁盛をまず考え、その上で自分の商売の成功を考えるのが、粋な商人のあり方なのです。

 

粋な江戸っ子たちは、自分たちの成功や幸せが、江戸という町の繁盛の上に成り立っていることを、ちゃんとわきまえていました。

江戸の町の繁盛があって、自分たちの成功や幸せがある…この “共生” こそ、江戸しぐさのベースであり、日本文化を貫くテーマなのではないかと思います。

 

自然との共生、人と人との共生…。

 

この日本人の “共生” の想いを最も象徴するイベントが、 “お花見” ではないでしょうか。

 

日本の四季を象徴する桜の花。

その桜の花の美しさ ・ 散り際の見事さを愛でながら、お花見している人同士が、

お互い楽しみつつ、気持ちよく過ごせるように配慮するのが、粋な大人のお花見です。

 

近ごろ、「自分たちだけが楽しければいい」 という身勝手な態度でお花見をしているグループをたまに見かけますが、もし江戸っ子がタイムスリップして現代に遊びに来たら、「野暮で子供っぽい人」 と眉をひそめるでしょう。

 

つまり、江戸っ子たちが目指した “粋な大人” の生き方を実践していくと、まず自分と目の前の人が幸せになります。

そしてその生き方が連鎖すれば、みんなの幸せにつながると思うのです。

 

環境問題や民族同士の争いが絶えない現代社会において、自然との共生、人と人との共生をテーマに発展してきた日本文化は、私たちが進むべき道筋を示唆しているのではないでしょうか。

 

新しい時代に求められているのは、日本人が歴史の中で証明してきた “調和力”なのではないかと思います。


名前のことだま♪

(2010年2月12日のブログ記事より)

 

名前は、自分のものなのに、一生のおつきあいになるのに、

自分で選べません。

 

でも、名前には、お父さんとお母さんの、「幸せになってほしい」という切なる願いが、こめられています。

 

我が入っていないからこそ、名前の中に、実は使命が隠されているのではないか…というのが、“名前のことだま” の基本となる考え方です。

ひすいこたろうサン&山下弘司先生の 『名前セラピー』 という本を読んで、その考え方にビビビッときたわたしは、昨日、そのお二人によるセミナーを受講してきました(*^-^*)

 

 

常々、「これからの時代は、ビジョンよりもミッション(=使命)」と感じていたわたしでしたが、その使命を氏名から紐解く…というお二人の試みは、実に興味深く、おもしろかったです音譜

セミナーを受講しながら、あらためて感じたのは、日本語の素晴らしさ!音譜

 

 

例えば、まだ言葉をしゃべれない赤ちゃんが、青空を見上げて

「あー」 と言う。

 

大きな象を見て驚いたら、「おー」 と言う。

 

 

これは、万国共通だそうです。

 

 

 

「音と意味には、密接なつながりがあるのではないか。」

 

と考えたのが、かの有名な、ギリシャの哲学者 ・ ソクラテス。

 

 

それを聞いた弟子たちは、

「こんな例外もある、あんな例外もある。」

と、師匠を例外攻めにしました。

 

 

すると、ソクラテスは、こんなふうに言ったそうです。

 

 

「たしかにこの国には、例外がある。でも、この世界には、内から湧き上がってくる感情と言葉が、完全に一致している国があるのではないか。」

 

皆さん、もうおわかりですよね!?

 

 

そう、それが、たぶん…

日本ですよね音譜

 

 

だから、日本は、ことだまの国なんですね音譜

 

こういう角度からのアプローチ、歴女にはたまりません

 

 

ことばと文化と歴史と…

 

それらがすべて融合される時代がやって来たのだと思います(*^-^*)

わたしも山下先生に弟子入りして、ことだま師になろうかな~(*^▽^*)


和の心♪

(2010年3月9日のブログ記事より)

ありがたいことに、高知県の老舗旅館から社員教育のご依頼を受け、高知に来ています(*^-^*)

 

いま、高知では、NHK大河ドラマ 『龍馬伝』 の放送に合わせて、“土佐 ・ 龍馬であい博” というのが開催されていて、街中どこもかしこも、龍馬一色です!!

 

わたしも龍馬は大好きなので、ゆかりの地を訪ねてみたいのですが、明日の研修をよりよいものにするために、部屋にこもり、イメージを高めています!!

 

わたしの目指す研修…

 

それは、“和の心” と “洋の洗練された接遇” を結びつけた独自のサービスについて、スタッフの皆さま一人一人が考えるきっかけを提供すること。

 

 

“和の心” は、私たち日本人が大切にしてきた心のことであり、同時に、心の和 ・ 人の和を表します。

 

 

特に今回は和風旅館の研修なので、茶道に代表される日本人の“おもてなしの心” の真髄に迫ってみようと思うのですが、いつも研修が始まると、思いもよらないことを話し始めてしまうので、今回もどうなることやら…?

 

でも、せっかくこのような素晴らしい機会をいただいたのですから、スタッフの皆さまと “和の心” を共有できたら嬉しいなぁ♡

 

 

それでは、ここで、日本人の “おもてなしの心” について、思いつくままに書いてみようと思います。

 

 

侘び茶の骨格ができたのは室町時代と言われていますが、戦国時代から安土桃山時代にかけて、茶の湯は、商人や戦国武将たちの間で急速に広まっていきました。

 

 

戦乱の世と茶の湯…

あまりに対照的ですよね!!

 

 

でもわたしは、戦乱の世が長く続いたからこそ、茶道のおもてなしの心が必要だったのではないかと思います。

 

 

茶室に入るときには、武士も、その魂である刀を入り口の刀掛けにかけ、丸腰で入室します。

 

しかも、入り口は “にじり口” と言われ、ひじょうに狭いので、どんなに身分の高い人でも、頭を下げないと入れません。

 

 

同席する人々は、お互いを敬い合い、主客が心を一つにし、花を愛で、一盌 (わん) の茶を、心ゆくまで楽しみます。

 

 

丸腰、平等、心は一つ…

 

茶道にこそ、“和” を尊ぶ日本人の本質が込められていると思うのです。

 

 

戦いに明け暮れた戦国武将たちが、茶の湯に心の安らぎを求めたのもうなずけます。

 

 

そして、茶の湯を愛した日本人は、その後、世界史上にも類を見ない平和な時代を迎えることになるのです。

 

 

 

250年の長きにわたって戦乱のなかった江戸時代…

それは、まさに世界史の奇跡です!!

 

 

この奇跡の時代の終焉にあたり歴史に登場した幕末の大老 ・ 井伊直弼は、茶道における “おもてなしの心” を、“一期一会の覚悟” と表現しました。

 

 

“和” を尊ぶ日本人の “おもてなしの心” が、平和な江戸時代を生み、見事な人生観となって花開いたのです音譜

 

 

このように、日本人にとって、“おもてなしの心” とは、単に “ホスピタリティー”を表すのではなく、歴史や日本人のアイデンティティーに関わる大事なものだから、私たちは、そこから生まれる世界観 ・ 人生観を、次の世代に継承していく責任があるんじゃないかと思います。


おもてなしの文化♪

(2010年4月8日のブログ記事より)

 

今回もまた、高知の老舗旅館さんで、新入社員研修をさせていただきました。

 

来週ぐらいまでは、新入社員研修が花盛り(*^-^*)

 

今年は桜の開花が早かったので、4月に入ったら葉桜になってしまうのでは…と思っていましたが、桜が咲いた途端花冷えが続き、おかげで例年よりも長い期間、桜を楽しめて、なんだかトクした気分ですね音譜

 

 

まぁ、新入社員の皆さんは、桜を楽しむような余裕なんてないかもしれませんが、桜としては、精いっぱい声援を送ってくれているのかもしれません。

 

 

さてさて…新入社員に求められる資質はいろいろあると思いますが、最も大事なのは、ヤル気と素直さ、そして笑顔でしょうか。

 

 

それにしても、不思議なんですよね。

 

航空会社に勤務していた頃、さまざまな国を訪れましたが、フランスや中国では、お店やレストランで、笑顔で仕事をしている人をあまり見かけませんでした。

 

ところが、それらの国々から留学生として日本を訪れた人たちは、アルバイト先でちゃんと笑ってるんです音譜

 

 

前回のブログで、日本は、国の成り立ちが “陰と陽の融合”=和から始まっているとお伝えしましたが、きっと日本には、人々を笑顔にさせる何かが働いているのでしょうね音譜

 

 

そして、これこそが究極の “おもてなし” なのだと思います。

 

日本は天然資源が乏しく、人材こそが宝だと思うのですが、世界に誇れるも “おもてなし” の文化があればこそ、人材が育っていくのかなぁ…と感じます。

 

 

龍馬ブームにのって、たくさんのお客さまが訪れる高知…

お客さまとのふれあいの中で、新入社員の皆さまには、おもてなしという日本文化の感性を磨いていってほしいです(*^-^*)

 

皆さ~ん、がんばってくださいね~音譜


八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)♪

(2010年7月19日のブログ記事より)

 

最近、着物に興味がわいてきて、よく着物屋さんをのぞいています(*^-^*)

 

カラーコーディネートを少しだけかじったことがありますが、着物のコーディネートは、洋服のそれとは比べ物にならないくらい、難しく、奥が深いなぁ…と思います。

 

 

平安時代のお姫さまたちは、十二単を着こなしていたのですから、いにしえの日本人のカラーコーディネートの能力は、間違いなく世界一ですね(*^-^*)

 

 

 

そして、日本人の感性の素晴らしさは、コーディネート術だけでなく、色のネーミングにも表れています。

 

例えば、わたしはピンクが好きですが、着物の色の呼び名としては、

パッと浮かんだだけでも、桜色、鴇(とき)色、桃色、紅梅色…と、

実にさまざま。

 

しかも、どれも自然をモチーフにした呼び名ばかり。

 

この一点だけでも、自然との共生が日本人の感性を磨いてくれた…ということが、想像できますね。

 

 

 

そんなことを考えていたら、昨日の 『サンデー モーニング』 で、とても素敵な言葉を知りました!!

 

 

今日のブログのタイトルでもある “四十八茶 百鼠” という言葉です!!

 

 

この言葉が生まれたのは、江戸時代!!

 

250年もの長きにわたって平和を謳歌した江戸時代には、生産性が上がり、庶民の生活もかなり豊かになっていたのですが、それをおもしろく思わない為政者たちは、“奢侈 (しゃし=贅沢という意味)禁止令” を幾度となく発令しました。

 

 

その内容たるや、「芝居を見に行くな」 「米を食べるな」 「絹を着るな」など、「よけいなお世話(>し<)」 と言いたくなるくらい、庶民の生活全般にわたっていたのですが、ことに着物に関しては、色 ・ 柄 ・ 素材など細かい規定が設けられました。

 

 

 

こういう話を聞くと、庶民の自由が奪われ、支配者階級によって搾取されていたような印象を受けますが、実は、江戸時代って、私たちが考えるより、庶民がもっともっと生き生きとしていたんです音譜

 

“粋” をきわめた江戸っ子たちは、為政者に対して表だって反抗することはありませんでしたが、決められた規定の範囲内で、粋にお洒落を競い合ったのです。

 

庶民の着物は、素材は綿もしくは麻、色は、茶色 ・ 鼠色 (“灰色” という呼び名は火事を連想させるため、“ねずみ色” と呼ぶのが一般的でした) ・ お納戸色 (おなんどいろ) の3色に限定されていました。

 

 

ちなみに、お納戸色というのは、納戸=物置きの扉を開けた時の、薄暗がりの色で、紺色に近い色です。

 

 

普通、色って、二次元の世界なのに、空間に色をつけてしまうなんて、日本人の感性はどこまで素晴らしいのでしょう!!

 

 

空間に色をつけてしまう民族なんて、おそらく地球上で日本人だけではないかしら音譜

 

 

話をもとに戻しますね。

 

 

江戸時代の庶民たちは、この許された3色に、自分たちのセンスのすべてを注ぎこみます。

 

茶色 ・ 鼠色 ・ お納戸色…それぞれの色の中に微妙な色調を工夫して着物を染め上げ、そのバリエーションを楽しんだのです!!

 

 

この3色の中でも、特に茶色と鼠色の中に、多彩な色合いが生まれ、新しい呼び名がつけられました。

 

 

海老茶、白茶(しらちゃ)、江戸茶、蒲茶(かばちゃ)、鶯茶、千載茶(せんざいちゃ)、団十郎茶、利休茶…。

 

語呂合わせで四十八茶と呼んでいますが、実は、茶系だけで100種を超える色があったといいます。

 

 

そして鼠色に関しても100色以上…。

 

決して華やかな色ではありませんが、こういう微妙な色彩の違いを見極め、楽しんでいた日本人…。

 

 

その感性の豊かさと高度な文化、そして争いを避けながらもしっかりと自己主張するところは、“粋” という言葉がぴったりですね♪♪

 

江戸時代の日本人に比べると、現代に生きる私たちは、感性もやることも、なんだか幼くて、野暮ったい感じがします。

 

 

祖先から受け継いだ DNA が ON になるように、お互い “粋” を心がけ、表現を磨いていきたいですね!!


(ひのもと)の国♪

(2010年11月29日のブログ記事より)

 

唐突ですが、近ごろ、日本人って何なのかな…? って、よく考えます。

 

 

金子堅太郎が、日本人というものを世界に紹介するために選んだのは、新渡戸稲造の著した 『武士道』 でした。

 

 

金子は、英語版の 『武士道』 を携えて渡米☆彡

『武士道』 に感動した、当時のルーズベルト大統領が、日露戦争の講和条約締結に向けて動いたという話は、有名ですね(*^-^*)

 

 

でも…

武士道って、少なくとも鎌倉時代以降っていうことですよね。

 

 

日本の歴史は、もっともっと古いわけだから、武士道以上に、日本人の源流を織りなす何かがあるはずだと思うのですが…

 

それが何なのか、うまく言葉にならないのです。

 

 

でも、ヒントはあります。

 

 

 

「和を以て貴しとなす」 … 日本は、古来、“大和 (大きな和) の国” と呼ばれてきました音譜

 

 

 

弱肉強食の競争ではなく、“和” を大事にし、その中から感謝の心を育み、いつも 「おかげさま」 と、何者かに感謝してきた、感謝の国なのです♡

 

では、日本人が誰 (何) に一番感謝してきたのか…

それは、日本という国名に、そして、日本の国旗に見事に表現されていますよね(*^-^*)

 

日の本の国 ・ 日本…!!

 

 

「日の本」 の 「の」 は、格助詞の 「の」 で、「が」 と同じ。

「日が本」 …つまり、太陽こそが私たちの命の源である、ということです。

 

 

太陽を崇める民族は多いけれど、太陽を命の源として感謝し、そのことを国名にしたのは、世界中に日本人だけですね(*^-^*)

 

ちなみに、日の丸が国旗となったのは、幕末です。

 

 

国際法のからみで、日本の船にナショナル ・ フラッグをつける必要性が生まれました。

 

 

この時、別名 ・ 鶴丸城と呼ばれる鹿児島城で、桜島に上がる朝日を見た薩摩藩主 ・ 島津斉彬 (なりあきら) は、

「あのさわやかな輝き出ずる太陽の光を以て、鎖国の夢を覚まさなければならぬ。日本の将来は、古代から日本人が命の恩として愛してきた、輝く太陽のようでなければならぬ。」

と考え、この太陽のマークである 「日の丸」 を日本のナショナル ・ フラッグにすることを、徳川幕府に提案したのです。

 

あなたも、私も、みんな、命の源は太陽…(*^-^*)

 

 

顔も、性格も、才能も、考え方も違うけれど、みんなが共通の太陽のエネルギーで生きている。

 

だから、みんなで太陽の命を感謝し合い、それぞれの才能や特質を尊び合い、活かし合って、みんなで仲良く生きていこう(*^-^*)

 

それが、本来の日本人の生き方なんですね。

 

こういう大らかさ、すべてを包みこむような温かさが、日本人の核にあるのだと思います。

 

 

裁いたり、糾弾したり、排斥したり、振り分けたりするのでなく、「おむすび」という言葉があるように、すべてを包みこむ優しさが、日本人の源流なんじゃないかなぁ。

 

 

 

この優しさ = 「たおやめぶり」 と、武士道に代表されるような強さ =「ますらおぶり」 を、バランスよく備えているのが、日本人の本質であり、日本人の DNA なのですね音譜

参考文献 : 境野勝悟著  『日本のこころの教育』  (致知出版)


空も心も日本晴れ☆

(2011年8月27日のブログ記事より)

 

ここ数日、ずっと雨が降って、梅雨のようにじめじめした福岡でしたが、今日は久しぶりの快晴音譜

大分のひさちゃんに会いに、長距離ドライブを楽しんできま~す(*^-^*)

ひさちゃんの住む佐伯は、大分といっても、地理的には宮崎に近くて、美しい自然に囲まれています。

3年前かな、佐伯の宇目という町(村?)で、高校生や大学生が生き生きとお神楽をやっているという噂を聞いて、見に行きました音譜

 

妖艶な舞いに不釣り合いなあどけない笑顔…

伝統を継承するとは、こういうことなのかと、心の底から感動がわき上がってきたのを、今でもハッキリと覚えています。

 

今日は、同じ佐伯でも、山ではなく、海辺のとある所で、ひさちゃんに会う予定です。

 

こういうご縁でもなければ、佐伯に行くこともないでしょうから、人とのご縁、そして土地とのご縁って、本当に不思議で素敵ですね♡

 

 

会いたい人がいる、

会えたら嬉しいと思ってくれる人がいる…

 

きれいな景色や美味しい食べ物など、この世は感動のタネに溢れているけれど、最大の感動は人の温かさですね音譜

 

 

今日も、皆さんのおかげで私はこうして元気で生きていられます。

私の大好きで大切な皆さんも、夏のお疲れが出ませんように、今日も笑顔で素敵な一日をお過ごしくださいね!!


準備中です
暫くおまちください

日本語豆知識

【天照大神(天照大神と「ありがとう」の言葉の関係)】

だいぶ昔になりますが、波動の研究の第一人者 ・ 江本 勝先生が、水の結晶の写真を撮ることに世界で初めて成功し、その写真を集めた本を出版されました。『水からの伝言』 という本です。

水を入れたボトルに、さまざまな言葉を書いて貼っておくのですが、言葉が変わると、水の結晶の様子がガラッと変わるのです。

「ありがとう」 を貼っておいた水は、結晶が本当に美しいのに、「ばかやろう」や「死ね」なんていう言葉を貼っておいた水は、結晶が崩れてしまい、見る影もありません。

さらに、「しようね」 はきれいな結晶なのに、「しなさい」 は汚くて…子育て中のわたしには、かなりの衝撃でした。

大人でも、体の60%は水分と言われていますよね。子どもなら、もっと水分が多いはずです。

わたしたちが、毎日、どんな言葉を発しているか、そしてどんな言葉を聞いているか…その日々の積み重ねで、細胞の一つ一つががイキイキしたり、しょんぼりしたりしちゃうんじゃないかなぁ。

いつもプラスの言葉、愛のこもった言葉に囲まれていたいですね。

そして、この本の中で、とっても不思議なことがあるんです。

日本語の「ありがとう」 ・ 英語の「ありがとう」 ・ 韓国語の「ありがとう」…

どう見ても、日本語の 「ありがとう」 の結晶がダントツにきれいなんです!!

同じ意味なのに、なぜ…

日本語の響き ・ 語感のなせるワザなのでしょうか?

以下は、わたしの解釈です。

日本の文化と歴史って、地球上で特異な存在だと思うんです。

一度も異民族に征服されたことがなく、『日本語』 という一つの言語を数千年語り継いできたわけですよね。

時代とともに言葉は変わっても、『音(オン)』 は同じ。

「いろはにほへと ちりぬるを」 … ねっ、音は 「あいうえお」 と同じでしょ?

でも、他国は…というと、ほとんどの国が、不幸にも、歴史の中で、他民族の制服により母国語が途絶えてしまった時期があるんですよね。

そういう民族の言語に比べて、日本語のエネルギーって、とてつもなく大きいんじゃないかしら。

それが、「ありがとう」 の結晶のずば抜けた美しさの秘密なんじゃないかと思います。

さらに、『水からの伝言』 で再確認したことがあります。

この本の後半に、水の入ったボトルにいろいろな人の名前を書いた紙を貼って

おき、その結晶を撮影した写真が出ています。

(勇気のある方は、ご自分の名前を書いて貼ってみてね音譜

「天照大神」 の結晶と、「ありがとう」 の結晶が、よ~く似ているんですよ☆

やっぱり日本は、感謝の国なんだな~音譜


“素敵”という言葉の意味、本当に素敵です☆

(2010年2月1日のブログ記事より)

 

「素に敵わないから、“素敵” って言うんですよ~音譜

 

昨日、こんな素敵なコメントをいただきました♡

 

 

ひすいさんの 『漢字セラピー』 に匹敵する素晴らしさ!!

 

あ、“素が晴れる” … って書いて、“素晴らしい”ほし

これも素敵~音譜

 

漢字って、スゴイなぁ音譜

 

“素” って、もしかしたら、この世に存在するものの中で、最も素敵で、最も大切なものかもしれません♡

 

たしかに、素敵な人、魅力的な人って、損得勘定がなくて、素直に“素” を表現している人が多いんじゃないかな。

 

ということは…おそれずに “素” を素直に表現することが、愛すること&愛されることの、最初のお稽古なのかもしれませんよ(*^-^*)


自分の気持ちに寄り添って生きる♪

(2010年2月9日のブログ記事より)

ひすいこたろうサンのメルマガで、このブログのことを紹介してくださったのですが、さすがひすいさん(*^-^*)

 

ひとことプラスされてる、そのひとことが、あまりにも素敵で、素晴らしくて、惚れなおしちゃいました!!

 

「素に敵わないから 『素敵』。

 

自分の素の気持ちによりそって生きると、自分の『素』が『晴』れてくる。それが『素晴』らしい!!

 

内村 航平選手の 「母の言葉」。

 

4年前の北京五輪…体操個人総合で銀メダルを獲得した息子に、お母さんがこんな言葉をかけました。

 

「“銀”っていう字は、金より良いって書くのよ。」

 

この言葉、銀メダルを獲得したすべての選手にかけてあげたいですね♡

 

そして…

銅メダルを獲得した選手には、こう言ってあげたいです。

“銅” は、金と同じ なのよ…って音譜

 

日本選手の皆さん、今夜もたくさんの感動をありがとう\(・し<)/


「こんにちは」「さようなら」の本当の意味★

(2010年12月1日のブログ記事より)

ブログを読んでくださっている皆さま…

毎回たくさんのコメントやメッセージをありがとうございます♡

 

昨日いただいた中に、「お母さんが太陽なら、お父さんの語源は何なのでしょう?」 というご質問がありました。

 

今回の記事は、「お父さん」 の語源からご紹介しましょう(*^-^*)

 

ズバリ、「お父さん」 という言葉は、「尊い人」 という意味です!!

 

 

お父さんのことを、昔の日本人は、「とうと」 とか 「ととさま」 と呼んでいたのですが、それらの語源は 「尊い」 という言葉から来ています。

 

「尊い人」 であるお父さんからシャワーのように愛情が注がれるから、お母さんは 「太陽」 のような存在でいられるのかもしれませんね(*^-^*)

 

さてさて…

今日の本題はここからです。

 

“日の本の人” である私たちは、「太陽のように丸く、明るく、みんなで仲良くしよう」 というのを生き方の理想としてきました。

 

そして、太陽との親和力をなくさないように、いつも太陽に感謝できるように…

 

「こんにちは、お元気ですか。」

「はい、おかげさまで元気です。」

「さようなら、ごきげんよう。」

 

という挨拶を交わしたのです。

 

「こんにちは」 の 「今日(こんにち)」 という言葉は、古くは 「太陽」 を意味していました。

 

今でも、太陽のことを 「今日様 (こんにちさま)」 とか 「こんにちさん」と呼ぶ地方は、たくさんあるようですが、昔は、どの地方でも太陽を「今日様」 と呼んでいました。

 

ちなみに、夏目漱石の小説 『坊っちゃん』 にも、「そんなことをしたら、今日様へ申し訳ないがなもし」 というセリフが出てきますが、日本が諸外国に比べて驚くほど犯罪の少ない国でいられたのは、「誰も見ていなくても、お天道様は見ている。お天道様に恥ずかしくない生き方をしよう。」 という “日の本の人” としての自覚が、根底にあったからなのですね(*^-^*)

 

話を元に戻しましょう。

 

「こんにちは」 という挨拶は、

「やぁ、太陽さん」 という呼びかけなのです。

 

人間はみな 「日身 (カミ) さん = 太陽の身体、太陽の命」 ですから、出会った時には、「こんにちは = やぁ、太陽さん」 という呼びかけになるのですね!!

 

「元気ですか」 の 「元気」 とは、「元のエネルギー」 という意味で、太陽のエネルギーを指しています!!

 

つまり、「こんにちは、元気ですか。」 という挨拶は、

「やぁ、太陽さん。あなたは、太陽のエネルギーが命の源だということをよく知って、太陽とともに明るく生きていますか?」 という意味なんです。

 

それを受けて、「はい、元気です。」 と答える…

つまり、「はい、太陽とともに元気に生きていますよ。」 と返事をするわけです。

 

そして、「さようなら (ば)、ごきげんよう。」 となります。

 

「機嫌」 は「気分」 とか 「気持ち」 という意味ですから、

「さようなら、ごきげんよう。」 は、

「それならば (太陽のエネルギーが命の源だということをよく知って、太陽とともに明るく生きているならば) ご気分がよろしいでしょう。」という意味になりますね(*^-^*)

 

「こんにちは、お元気ですか。」

「はい、おかげさまで元気です。」

「さようなら、ごきげんよう。」

 

これが、私たち “日の本の人” の挨拶の基本なんです(*^-^*)

 

なんと気持ちのいい挨拶なのでしょう音譜

 

私たちが日常なにげななく交わしている挨拶…

そのベースにあるのは、ご祖先さまたちの太陽に対する感謝の想いだったのですね♡

この感謝に溢れた生き方を、日の本の国に生まれ育った私たちが、リレーしていきましょう~音譜

参考文献 : 境野勝悟著  『日本のこころの教育』  (致知出版)


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学校教育
出前授業、絶好調です♪

(2012年2月1日のブログ記事より)

今日は、小学生たちに日本史の出前授業をしてきましたニコニコ

県内の小学校での出前授業は、これが3回目になります。

 

 

震えあがるような寒さの中で、体育館に集まった児童たちは、みんな身じろぎもせずに、瞳をキラキラ輝かせながら、1時間以上にわたって熱心に話を聞いてくれました!!

 

子どもたちって、本当にスゴイ…!!

この姿、お父さんやお母さんが見たら、きっとそれだけで涙が出てきちゃうんじゃないかと思います。

 

 

 

今回、お話ししたのは、伊能忠敬と吉田松陰について。

大親友の二人を、無限の可能性を持つ彼らに紹介できて、とっても嬉しいです

 

 

小学生たちに話す時には、できるだけシンプルでわかりやすい言葉を使うように心がけていますが、でも、不思議と彼らは、こちらが伝えたいことをちゃ~んと受けとめて、理解してくれるんですね!!

 

 

「子どもに話してもわからない」 というのは大人の思いあがりで、本当に子どもたちの理解力、直観力は素晴らしいです!!

 

 

私が小学生に話す時、いつも大学時代のあるシーンを思い出します。

 

それは、経済原論3の、ある日の授業シーン。

次の週から試験が始まる…という時でしたから、ふだん授業に出ていない学生が、たくさん来ていました。

私はけっこうこの先生の授業がおもしろくて、3分の2ぐらいは出席していたかな!!

 

 

試験前なので、それまでやってきた内容の復習みたいな感じで授業は進んでいきました。

ふだん出席している人にとっては、とりたてて新しい知識や情報はなく、一度習ったことの復習だったのですが、でも、この日初めて授業に出席した人にとっては、おそらくちんぷんかんぷんの内容だったはずです。

 

 

「何言ってんだか、ちっともわかんないよ~」

と、ある学生がつぶやいたのを、先生は聞き逃しませんでした!!

 

 

「今 “わからない” と言ったあなた あなたは、私の授業の3分の1以上出席していますか?」

 

下を向いてしまった学生をよそに、先生は言葉を続けました!!

 

「この中で、私の授業の3分の1以上に出席していながら、今日の授業がわからないという人がいたら、遠慮なく言ってください。

あなたたちは、ちゃんと入学試験にパスして大学に入ってきたのだから、ある一定レベルの理解力を持っているはずです。

 

だから、そのあなたたちが、もしちゃんと授業に出ていたのにわからないんだとしたら、それは生徒であるあなたたちのレベルが低いのではなく、教える側の、私のレベルが低いということです。

もし私がそんなにレベルの低い授業をしているのなら、今この場で授業のやり方を変えなければいけません。

だから、ちゃんと授業に出席していたのにわからないという人がいたら、私のために、ぜひ手を挙げてください。」

 

 

私は、先生の勇気と潔さ、そして教師としての誇りにしびれました!!

 

生徒がわからないと、「なぜわからないんだ?」 「お前たちはなんて理解力が低いんだ!」 と生徒をなじる先生がいる中で、生徒がわからないのは自分の教え方に問題があるのではないかと、教師である自分をかえりみる先生がいらっしゃるなんて…。

 

 

その後、私は教職に就くことはなかったけれど、後輩の指導をしたり、誰かに伝えるということをする時に

は、いつもこの先生のことを思い出していました。

 

 

憧れの先生に近づいているといいなぁ。

 

 

明日(2月2日)は、RKB毎日放送の 『今日感テレビ』 に出演させていただきます!!

 

私の出番は午後3時以降ですが、番組は午後1時55分スタートです!!

 

福岡の皆さまにご覧いただけたら嬉しいです!! 


私、怒ってます!!

(2012年7月11日のブログ記事より)

7月7~8日と、鹿児島&知覧のバスツアーを主催させていただきました。!!

 

幕末の薩摩藩主・島津 斉彬(なりあきら)公、そして大東亜戦争において知覧から特攻として出撃していった青年たち…。

 

 

彼らを取り巻く時代背景は大きく違いますが、共通するのは、「利他」 の心。

 

百年後、二百年後の日本のために…

という彼らの志に触れて、感無量の旅でした。

 

 

ご案内くださった島津家次期当主の島津 忠裕さん、尚古集成館の松尾副館長、そして知覧で貴重なお話をしてくださった鳥浜 明久さん、本当に有り難うございました!!

 

 

そして全国から集まってくださった参加者の皆さま、素敵なご縁に心から感謝します!!

 

 

 

鹿児島&知覧の詳しいご報告は、近いうちにアップして、皆さまとシェアしたいと思いますが、今日は、とても憤りを感じたことがありまして、そのことについて書かせていただきますね。

 

 

 

先月終わりに、福岡市内の私立大学で歴史の特別授業をさせていただきました。

 

階段状になっている大教室に、多くの学生が集まってくださり、大多数の方が、本当に熱心に耳を傾けてくださいました。

 

 

私も、その時に出来ることのすべてを出しきり、日本の未来を担う学生たちに、精一杯の想いを伝えたつもりです。

 

 

その授業のレポート…

ほとんどの学生が、自分の言葉で、誠実に感じたことを伝えてくださいました。

 

 

そんな中に、許せないレポートがあったのです!!

 

 

 

この数日間、私の心にずっと引っかかっていて、今でもこのような記事を書くことに対して葛藤がありますが、でも、学生の将来を考えて、敢えてお伝えしようと思います。

 

 

授業当日、私は資料をお配りしました。

それは、以前、ある雑誌に掲載された私のインタビュー記事です。

 

 

この資料をどうしてお配りしたのかというと、日ごろ伝えたいことがたくさんある中で、限られた時間に伝えられることはほんの一部。

 

だから、せめて資料をお配りしてあとでゆっくり読んでいただければ、そのことについては多くを語らなくても、ある程度は理解していただけるのではないかと…。

 

 

つまり、授業のレジュメとしてお渡ししたのではなく、授業内容を補足してほしいという気持ちでお配りしました。

 

 

ですから、その記事に書かれた内容には、実質ほとんど触れることなく授業をさせていただいたのです。

 

 

ところが、5人の学生は、その授業では触れなかった資料をまとめただけのものを、授業レポートとして提出してきました。

 

 

「この話が心に響いた」 と、しらじらしい感想までつけて…

 

 

さらに、もっと悪質な学生がいました。

 

 

彼のレポートは、なんと、アマゾンのレビューを丸写ししたものだったのです!!

 

 

しかも、「自分が読んで感動した本の著者が大学に来て、その人の話を生で聞くことができて感激した」 ということまで書かれていました。

 

 

もしかしたら、この学生がアマゾンにレビューを投稿したのではないか…と思われる方もいらっしゃるでしょう。

 

実は、この学生が丸写ししたレビューを書いた人を、私は知っているのです!!

 

 

その方は、私の本を読んで心から感動してくださり、私の講演会を主催してくださったのです。

その打ち合わせで初めてお会いした時、その方の人柄に魅了された私は、すぐにアマゾンにレビューを投稿してくださった方だと察し、その場でその旨を確認させていただいたのですから…。

 

 

心から感動してくださった方が、わきでる想いを書き綴ってくださった、魂のこもったレビューを、単位欲しさに丸写しするなんて、許せません

 

 

 

私が著書や講演を通じて一貫してお伝えしているのは、「日本人の美しさ」 です。

 

 

この学生たちの行った行為は、別に法律に触れるわけでもなく、従って罰せられるようなものでもありません。

 

でも、「美しいか醜いか」 という観点で考えると、これほど醜い行為はなく、「粋か野暮か」 という観点では、野暮の骨頂と言うほかないでしょう。

 

 

このような若者に対して、大人たちには、もっと毅然とした対応、責任ある言動をお願いしたいです。

 

学生たちよ、恥を知りなさい!!

そう、きちんと言える大人でありたいですね!!

 

 

昨日も小学校で授業をさせていただきましたが、小学生だって、みんなちゃんと自分の言葉で感想を言ってくれましたよ。

 

小学生から届く感想文を、この大学生たちに読ませてあげたいなぁ。

 

 

6人の大学生に問いたいです。

小手先でレポートを書いて、何になるの?

 

 

君たちのしたことは、一生懸命話を聞いて、自分の言葉で誠実にレポートを書いてくれた多くの学生に対しても、失礼なことだよね。

 

 

もちろん命をけずって講義をしている私にも、失礼きわまりないよ。

 

私は、あの1時間半、あの場で死んでもいいというぐらいの気持ちで講義させてもらっていたんだよ。

 

自分に対して心をこめて向き合ってくれる人には、心をこめないと…。

 

 

大事なものを失ってからでは、取り返しがつかないよ。

 

 

あなたたちがレポートを再提出してくださるのを待っています。


愛を持って怒り、愛を持って叱る!

(2012年7月24日のブログ記事より)

まずは、尊敬する池間 哲郎先生のフェイスブックをご覧ください

 

http://www.facebook.com/hitomi.shirakoma?ref=tn_tnmn#!/photo.php?fbid=151783578292170&set=a.125000654303796.23049.100003815878757&type=1

 

「教育」の原点を感じさせてくれる写真と記事が掲載されています!!

 

先日、ある私立大学で歴史の特別授業をさせていただいたのですが、そのうちの何名かがいいかげんなレポートを提出したので、迷った挙句、下記のブログ記事を書かせていただきました。

 

http://ameblo.jp/hitomi-mazenda/entry-11299639882.html

 

その一週間後…

該当する学生みんながレポートを再提出してくださいました

 

授業に出席せずに適当にレポートだけ書いて提出した学生がほとんどだったので、内容は、レポートの再提出というより、おわび状の色合いが濃かったのですが、

 

その中の一人は、「本気で怒ってくれる大人がいるこ
とに感激した」と述べていましたニコニコ

 

 

いつも上機嫌でいることは大切ですが、それは、見て見ぬふりをしたり、スルーしなさい…という意味ではないはず

 

愛を持って怒る、叱る…ということは、ほめること以上に大切なのかもしれませんニコニコ

 

いま、教育現場の荒廃が報じられていますが、本当の教育は、家庭や社会で、大人が、次代を担う子どもたちに恩送りをしていくことなのではないかなぁ~と思いますニコニコ


私は見た!日本社会の縮図を・・・

(2013年11月9日のブログ記事より)

 

今日は、とある大学で授業をさせていただいたのですが、歴史の講演を始めて3年にして、はじめてキレてしまいました

「噴火」という表現の方が合っているかな(^_^;)

自分の子ども以外の存在に、こんなに怒ったのは生まれて初めてです。

 

どうしても疲れていてウトウトしてしまった…とか、話がつまらないからつい寝てしまった…なんていう学生には、もちろ怒りませんよ。

 

でもね、明らかに寝るために教室にいる…という学生たちの、なんて多いこと!!

 

しかも4回も噴火したのに、まだ眠り続ける人がいるとは、これいかに…!!

 

 

先月、新入社員のフォローアップ研修をさせていただいた時に、自己紹介で自分の強みを発表してもらったのですが、「切り替えが早い」とか「打たれ強い」と答えた人がとても多かったんです。

 

でも、この時すでに違和感を感じていて、

「本当に切り替えているならいいんだけれど、もしかして、図々しいだけ…?」

 

「本当に打たれ強いなら素晴らしいけれど、もしかして、鈍いだけ? 反省していないだけなんじゃない?」

って、ちょっと疑ってしまったんですね。

 

それが、今日確信に変わりましたよ!!

 

若者たちの感性がヤバすぎる。

 

そして、きっとこの大学が、日本社会の縮図なんじゃないかと思う。

 

さぁて、どうやって感性を呼び覚ますかなぁ!!

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両陛下
天皇・皇后両陛下の想い☆

(2011年3月26日のブログ記事より)

 

わが家は産経新聞をとっていますが、その中に、感動的な2つの記事を見つけましたニコニコ

天皇・皇后両陛下の深い愛と祈りを感じ、涙が止まりません(;し;)

 

◆両陛下、「自主停電」お続けに

2011.3.24 21:30

 

天皇、皇后両陛下が、東日本大震災の被災地に思いをはせ、お住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を続けられていることが分かった。

「国民と困難を分かち合いたい」という趣旨で15日に始めたもので、宮内庁の羽毛田信吾長官らによると、陛下は「寒いのは(服を)着れば大丈夫」とおっしゃっているという。

両陛下は計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電時間に合わせ、1回約2時間にわたり、明かりや暖房といった電気の使用を一切控え、時にはろうそくや懐中電灯を使いながら過ごされているという。暗い中で夕食を取られることもあったようだ。

両陛下は、第1グループで停電が計画されたものの、実際には電力供給が逼(ひっ)迫(ぱく)せず、停電がなかった日も、当初の計画時間に合わせ、自主的な停電を実行された。15日から23日までは1日も欠かさずに行い、スケジュールに合わせて同じ日に朝晩2回、電気を止められた日も複数回あったという。宮内庁東宮職によると、皇太子ご一家も、同様の「自主停電」を、お住まいの東宮御所で行われているという。

計画停電では、皇居のある東京都千代田区は対象地域になっていない。

 

那須御用邸の風呂を開放 両陛下のご意向で

2011.3.24 15:48

 

宮内庁は24日、両陛下や皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を、近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放すると発表した。また、同県の御料牧場で保管している卵約1千個や缶詰、野菜などを避難所に提供する。いずれも、両陛下のご意向を受けて決めたという。

風呂の提供は26日にも開始。バスで送迎し、最大で週に300人程度の避難者が入浴する見通し。健康相談も受け付ける。

御料牧場では牛乳も生産していたが、地震で原乳の処理施設が損傷し、現在は生産できない状態になっているという。

 

日本という国は、守られているんですね♡

 

そして、どんな時も天皇・皇后両陛下は私たち国民の想いに寄り添ってくださっているんですね(*^-^*)

 

ところで、2月に東京で開催された私の講演会に来てくださった方が、群馬から、被災地の釜石を訪れた時の映像を見ることができます。

マスコミの伝えない生の姿が映し出されています。

すべて見たら1時間近くかかりますが、ぜひご覧ください。

 

東日本巨大震災 石巻市 ありがとうproject (PC用)

 

① http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/4/ds7jm3ZNvJU

 

② http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/3/RNP89pEXaY8

 

③ http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/2/U5__yCC94Ig

 

④ http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/1/4K4o66MvFUg

 

⑤ http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/0/ncioMwX1Itc

 

 

YOUTUBEでの検索は「ありがとうプロジェクト」

ID名は arigatou222 です。


高貴な人☆

(2011年4月15日のブログ記事より)

今まで、怒りや悲しみの感情は、あまりブログに書きたくないと思い、そのように努力してきましたが、今日は、ちょっと我慢できないことがあったので、そのことをブログに書かせてください。

 

昨夜からけさにかけての報道でご存知の方も多いと思いますが、経緯をご紹介させていただきますね。

 

 

千葉県船橋市の公園で、子どもたちが遊んでいました。

その中に、周りの子どもたちと少しイントネーションの違う小学生の兄弟がいました。

二人は、福島県南相馬市から千葉県船橋市に避難してきていたのです。

 

公園で遊んでいた子どもたちは、二人に向かって 「どこから来たの?」と尋ねました。

兄弟が 「福島」 と答えると、「放射能がうつるー!」 と叫んで、一斉に逃げ出したというのです。

 

あとに残された兄弟は、泣きながら帰宅したそうです(;し;)

 

もちろん、子どもたちも悪意があっていじめたのではないと思います。

人は、わからないことがあれば不安を抱くし、不安が怖れを呼び、誰かを思いやる気持ちなんてどこかに行ってしまうのかもしれません。

 

実は、この報道を知った時、ある話を思い出しました。

 

それは、息子の去年の担任の先生から聞いた話です。

 

先生には、ダウン症の娘さんがいらっしゃり、その娘さんの子育てを通して得たことを、授業や講演でお話ししてくださいます。

 

去年、息子のクラスの授業参観のあと、先生が私たち保護者に授業をしてくださり、本当に感動しました音譜

 

その時のことは、以前ブログでお伝えしていますので、こちらも併せてご覧にいただけたら嬉しいですニコニコ

↓   ↓   ↓

http://ameblo.jp/hitomi-mazenda/day-20110302.html

 

 

その時のブログには、一番心に残ったことだけ書かせていただいたのですが、その日、私は、先生の口から驚くべきことを聞かされていました。

 

小学校の高学年に向けて授業をしたあと、生徒たちに感想をきいたら、

「〇〇ちゃんのお姉ちゃんは、結婚できないからかわいそうだと思います」

と言った子がいた…というのです。

妹がダウン症だと、結婚できない…!?

 

そんなこと、小学生が考えつくわけがないと思います。

おそらく、その生徒は、周りの大人がそういう話をしているのを、聞いたことがあったのでしょう。

 

たぶん、今回の 「放射能がうつる~」 も、同じメカニズムだと思います。

 

 

そういう話を子どもの前でしている大人に問いたい!!

自分たちさえよければ、誰を傷つけてもいいのか…と。

 

「自分たちさえよければ」 という気持ちが、買い占めも生んだのです。もう、いいかげん、気づきましょうよ!!

 

 

そんなことを思い、やるせない気持ちになっていたら、けさの新聞やテレビ番組で、天皇・皇后両陛下が千葉県旭市の避難所を訪問なさったことが紹介されていました!!

 

 

両陛下は、津波の生々しい爪痕をご覧になり、黙礼していらっしゃいました。

 

そして、両膝をつき、非難している方々と目線を合わせ、時には正座をして、一人一人に、「こわかったでしょう?」「大丈夫ですか?」 と、いたわりの言葉を掛けていらっしゃいました。

 

中でも、私が感動したのは、「ご無事でいてくださって、ありがとう」 という美智子皇后のお言葉です音譜

 

 

これが究極の優しさだと思うのですニコニコ

 

日本で最も高貴な方が、このような気持ちでいてくださっているということが、本当に嬉しいです♡

 

実は、私は、大学生の頃、皇太子妃でいらした美智子さまを、軽井沢で偶然お見かけしたことがありますニコニコ

 

ご夫妻でテニスを楽しんでいらっしゃいました!!

 

 

当時の私は、日本の伝統や文化に反発する気持ちが強くて、皇室に対しても特別な思い入れはなかったのですが、お二人が発するその空気感があまりに素敵で、思わずひざまずきたくなったほどです。

 

とても言葉では言い表せないのですが、テニスのプレイスタイルに、一つ一つのしぐさやお言葉に、得も言えぬ気品があって、「高貴とは、このような方のことを言うのだ」 と、その存在感に圧倒されるばかりでしたニコニコ

 

 

でも、今回の両陛下の避難所ご訪問で、わかりました。

 

高貴というのは、家柄や身分で決まるのではない、と…。

 

その人の心が、生き方が決めるのです。

 

「ご無事でいてくださって、ありがとう」 …こういう気持ちを持っていらっしゃるから、

高貴なのです。

 

私たち日本人同士、誰かを傷つけるのは、もうやめましょう。

もし避難している方々にお会いしたら、「ご無事でいてくださって、ありがとう」 って、声を掛ましょうよニコニコ

 

船橋の公園で傷ついた兄弟に、日本中の人が、「生きててくれてありがとう」 って思っていることを、ぜひ伝えたいですニコニコ


日本人ブランド☆

(2010年8月29日のブログ記事より)

 

1995 (平成7) 年1月17日午前5時46分、

関西地方を、大地震が襲いました。

『阪神淡路大震災』 です。

 

あまりの被害の甚大さに、日本ばかりか世界中に衝撃が走りましたが、

地震発生の翌日にいち早く救済活動を始めた国の一つが、ポーランドでした!!!

 

そして、この年の夏、震災で被災した児童たち約30名がポーランドに招かれ、各地で歓待を受けました。

 

震災で傷ついた子どもたちの心を癒すために、ポーランド各地の自治体などの協力を得て、地域での交流やホームステイが行われたのですが、企業や個人の寄付や協力の申し出が相次ぎ、ポーランド国内での反響がひじょうに大きかったと言われています。

 

ポーランドの人々は、70年以上もの間、日本がポーランドの孤児たちを救済したという事実を、大きな感動と尊敬とともに、語り継いでくれていたんですねニコニコ

 

被災児の招待は、翌夏も行われました!!

この2度目の訪問の終盤に催されたお別れパーティーに、歩行もままならないようなご高齢の方々4名が出席なさいました!!

 

75年前の自分たちと同じような立場に立たされた子どもたちに、かつて自分たちがどのように助けられたか、日本の人々にどんなに親切にされたかを話して、子どもたちに生きる勇気を与えたい…

 

そんな溢れる愛を携えて、ポーランド孤児たちが、高齢や病気をおして各地から駆けつけてくれたのです!!

 

さらに、それから数年の月日が流れました。

 

2002 (平成14) 年7月、天皇・皇后両陛下が、ポーランド・チェコ・ハンガリー・オーストリアの中東欧4ヵ国を、初めて公式訪問されました。

この両陛下のご訪問を、ポーランドのマスコミは連日取り上げ、ポーランド国民の注目を集めました。

 

その歓迎ぶりに、同行した宮内庁も驚きを隠せなかったといいます。

 

そして、この時、ある一人の老婦人が、両陛下に謁見しました。

ポーランド孤児の一人、アントニーナ・リロさん、85歳。

彼女が救済されたのは、わずか3歳の時でした。

 

孤児収容所を慰問された大正天皇の后・貞明皇后が、小さかった自分を抱いて励ましてくれた…

 

その遠い記憶が、彼女の親代わりになっていたのかもしれません。

80余年の時を超えて、かすかに覚えている貞明皇后のぬくもりを確かめるかのように、彼女は、美智子皇后の手をずっと握りしめていたそうです。

 

アントニーナさんは、かつてポーランドに招かれた阪神淡路の震災孤児たちが10年後に再訪を果たした時にも、ポーランド大使館に足を運び、立派な青年となった彼らと再会して、思い出を語り合いました。

 

そして、2006 (平成18) 年、「日本は天国のようなところだった」 という言葉を遺し、ポーランド孤児の最後の一人として90歳の生涯を閉じたということです。

 

わたしは、航空会社に勤務していた頃、仕事や旅行で海外のさまざまな街を訪れましたが、そのたびに、“日本人ブランド” を感じていました。

 

わたしの言動や人間性に関係なく、「日本人だから」 という理由で、信用してもらえたり、とても親切にされたり…(*^-^*)

 

それは、先人たちの素晴らしい生き方に、世界中の人々が共感してくれているからなんですねニコニコ

 

敗戦後、日本がまたたく間に復興できたのも、世界経済の中で現在のようなポジションを担ってこれたのも、日本人の努力や能力以上に、日本人ブランドが世界に愛されていたからなのかもしれませんニコニコ


日本人として知っておきたいこと☆

(2014年12月10日のブログ記事より)

ベルギーの元国王妃の葬儀に参列するために、美智子皇后が単独でベルギーにいらっしゃるとの発表がありましたニコニコ

 

ご高齢の皇后さまが、0泊3日という強行日程でベルギーを訪問なさる…。

 

ベルギーと日本の特別な繋がりに対する感謝のお気持ちがお強いのだろうと拝察し、涙を禁じえませんでした(;し;)

 

ベルギーと日本の友好関係、その始まりは明治時代にさかのぼります。

 

日清戦争における旅順港占領の際に、日本軍が住民を虐殺したという記事が諸外国の新聞に報道された時、ベルギー公使アルベール・ダネタンは事の真偽を確かめるべく調査に乗り出 しました。

 

そしてこの記事が米国記者によって捏造されたことを突き止めたダネタンは、べルギー本国政府に対して注意を促す次の ような報告書を提出したのです。

 

「旅順港において日本軍によって行われたと伝えられる残虐行為は、新聞報道者、特に二ューヨーク・ワールド紙の記者によって多分に誇張されたものであった。私はそこに居合わせたフランス武官ラブリ子爵に会ったが、彼は私にこう断言した。殺された者は軍服を脱いだ兵士たちであり、婦女子が殺されたというのは真実ではないと。旅順港占領の数日前にほとんどの住民は避難しており、町には兵士と工廠の職工たちだけであった」(磯見辰典・黒沢文責・桜井良樹著「日本・べルギー関係史』)

 

こうしてダネタンは、日本に対する偏向や捏造の記事を次々に修正し、公平な情報を送信して列国の誤った対日観を是正し、明治日本の名誉を守ってくれたのです。

 

その後、両国の間にさらなる絆が育まれていきます。
その経緯は『こころに残る現代史』(KADOKAWA)に詳述しましたニコニコ

 

ベルギーとの間に幸福な関係を築いてきたご先祖様たち、そしてその象徴であるベルギー王室とわが国の皇室に、心より感謝し、敬意を捧げたいと思います♡

 

師走に入り、冷え込みも一段と厳しくなってまいりました。
皆さま、くれぐれもご自愛くださいねニコニコ


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古事記
日本に生まれてよかった♪

(2009年5月19日のブログ記事より)

友人の Mikako-MaZenda と共に結婚相談室を立ち上げて、はや半年。

結婚コンサルタント・マゼンダでは、みんながハッピーな恋愛や結婚をしたら、この不況なんて吹き飛ぶんじゃないかと思い、ハッピーになるための考え方や生き方・幸せな恋愛のカタチをお伝えしていますが、その一環として、7月に素敵なイベントを企画しましたニコニコ

 

『名言セラピー』が大ベストセラーになった、天才コピーライターのひすい こたろうサンと、ひすいさんが惚れ込んだ信濃白炭の炭師・原 伸介さんのコラボ講演会です。

 

ひすいサンは、歴史に残る九州初講演、二人のサムライによる夢の顔合わせは、まさに奇跡のコラボレーションですニコニコ

 

で、この頃、そのイベントの打ち合わせを兼ねて、ひすいサンとよくお話するんですが、ひすいサンは今、『丸ごと日本』をテーマにした本を執筆中で、「日本に生まれてよかった~」って思うことがあったら、教えてほしい…とおっしゃっるんです。

 

そう、私は日本史(決して日本酒ではありません)オタクで“博多の歴女”と呼ばれる身…ひすいサンの言葉に血が騒ぎ、小マメにネタを送っています。

先ほど送ったネタをばらしちゃいましょう音譜

 

 

私は、古事記や日本書紀は詳しくないのですが、あの、あまりにも有名な、天岩戸の話。

天照大神が天岩戸に隠れた時、神様たちは困り果て、なんとか天照大神に出てきてもらいたくて、策を練りますよね。でも天照大神は頑として出てきません。

 

その時、たしか戸隠神社の神様の提案だったと思うのですが、アメノウズメノミコという舞の名手が、天岩戸の前で見事な踊りを披露します。

彼女の踊りを見た神様たちは、やんやの喝采、大盛り上がり音譜

その大歓声と楽しげな空気が気になってしかたない天照大神は、天岩戸をほんの少し開いて、のぞき見します…その時です、

天手力男神という力持ちの神様が、岩戸を開いて、天照大神を岩屋から出すことに成功しました。

 

私は、この天岩戸伝説の中に、現代にも通じる問題解決の道が示唆されていると思うんです。

つまり、「無理やり相手に何かをさせるのではなく、相手がしたくなるようにしむける」という問題解決の手法ですニコニコ

今の世界情勢を平和と幸せに導く方法があるとしたら、この手法だと思うんです。このような高度で究極な方法を、日本人は神代の時代から知っていたなんて、鳥肌が立ちます↑

 

日本人って、本当に素晴らしいですねニコニコ


★いま明かされる日本史の秘密♪

(2010年4月6日のブログ記事より)

 

光があれば陰があり、男がいて女がいる…

 

世の中は、“陰と陽の対立する世界” と言えるかもしれません。

 

ところが、世界中で、ただ一つ、日本だけが、陰と陽の融合から始まった国だったのです!!

 

 

この話を聞けば、あなたの “和” のDNAが必ずONになります音譜

 

自然と笑顔になって、人間関係もうまくいって、幸せ感が溢れてくるに違いありません。

 

では、本当の日本神話の始まり、始まり……音譜

 

 

天照大神は、権力者の長男でした。

 

そう、私たちは今まで天照大神を女神だと思ってきましたが、実は、男神だったのです!!

 

 

日本最古の歴史書と言われる古事記には、日本の神さまが神話として描かれていますが、最近見つかった古事記よりも古い文献には、神話でなく生きている人間の話として書かれているそうです。

 

 

その文献によると…

 

アマテラスは、権力者の長男で、能力 ・ 人格ともに大変に優れていました。

 

 

アマテラスには、スサノオノミコトという弟がいました。

スサノオも十分に優秀でしたが、兄があまりに素晴らしいために、スサノオは周囲から評価されません。

 

 

優秀な兄弟姉妹を持つと、本人の心は複雑です。ましてやそれが同性なら、なおさらです。

 

 

超優秀な兄を持った弟のとる行動はただ一つ…

 

「自分も注目されたい」 という想いから、悪いことばかりするのです。

 

 

やがて、アマテラスが父の後継者として正式に認められると、ワルサばかりしている弟のスサノオに対して、怖れを抱くようになりました。

 

「弟は、自分を亡き者として、自分に取って代わろうとしているのではないか」 という怖れです。

 

 

だから、アマテラスはスサノオから逃れるために、天岩戸に隠れたのです。

 

 

太陽神であるアマテラスが隠れてしまうと、リーダーがいなくなったこの世は、暗黒の世界になりました。

 

 

そこで、八百万の神は、スサノオを追放しました。

追放されたスサノオは、全国を転々としながら、やがて出雲に向かいます。

 

出雲地方には、スサノオノミコトが “八岐大蛇(ヤマタノオロチ)”を退治する有名な神話がありますが、実は、この神話に出てくるオロチは、大蛇のことではありません。

 

 

スサノオの心の中にある怨念 ・ 不満 ・ ジェラシーの象徴が、ヤマタノオロチなのです。

 

 

スサノオノミコトは、日本全国を旅している間に、さまざまな人たちに助けてもらいました。

出雲にたどり着いたスサノオは、それまでの旅を振り返り、自分を助けてくれた人たちへの感謝の念が溢れてきました。

 

 

その時、スサノオは、自分の心の中にあった怨念やジェラシーを乗り越え、克服したのです。

 

 

このスサノオの成長の過程を描いたのが、八岐大蛇の退治です。

 

 

スサノオは、自分の過去を振り返り、深く反省しました。

 

「優れた兄に嫉妬して、兄やまわりの人たちにどれだけ迷惑をかけたことか。わたしが悪かった…。」

 

 

一方、アマテラスは、追放された弟のことを考え、その気持ちに寄り添いました。

 

「弟があのように乱暴でワルサをしていたのは、わたしを亡き者にしてわたしに取って代わろうとしたと思っていたが、本当は、そうでないのかもしれない。

弟は、ただ寂しかっただけだったのだ。

そんな気持ちを察してあげられず、わたしには慈しみの心が足りなかった。スサノオよ、悪かったのはわたしだ。今までのことを、許しておくれ。」

 

 

かくして、兄弟は、互いの手と手を取り合いました♡

 

アマテラスは陽、スサノオは陰の象徴ですから、陰と陽が融合するところから、この国はスタートしたのですニコニコ

 

 

陰と陽が争わなかったのは、地球上でおそらく日本だけでしょう!!

 

 

つまり、日本が “和” の国であるというのは、聖徳太子が、17条の憲法で 「和を以って貴しとなす」 と言ったからでなく、この国の成り立ちが、陰と陽の和から始まったことに由来するのです(*^-^*)

 

 

和をベースにした政治、経済、生活、人間としてのあり方、そして人間関係……

 

それらが、日本人のDNAには組み込まれているんですね(*^-^*)

 

 

軍事力や経済力など “力” でリーダーシップを発揮するのでなく、“和” という無敵のDNAで世界中から尊敬される国…

それが本来の日本であり、尊敬される国だからこそ発揮できるリーダーシップが、私たち日本人には宿っていますニコニコ

 

 

“和” とは、言いかえれば “For you” スピリッツ音譜

 

 

新しい文献によって、日本という国の成り立ちが明らかになった時に、“大和心” をテーマにしたイベントが開催され、打ち合わせもないままにゲスト全員が “For you” を語った…というのは、偶然じゃないと思います。

 

 

私たちに息づく “和の心” で、笑顔と溢れる幸せ感を発信していきましょうねニコニコ


★あこがれ先生プロジェクト

(2012年10月15日のブログ記事より)

先週末、愛知の清洲で、中村文昭さんと初めてコラボ講演をさせていただきました。

ゆげちゃんの歌がまたいつも以上に最高で、文昭さんの笑いあり、涙ありの講演に聞き惚れましたニコニコ
ところで、神在月(かみありつき)の出雲は、素晴らしかったですよ~ニコニコ

 

宍道湖の美しい夕陽を、皆さまとシェアしたいと思います。

 

 

「八雲立つ出雲」 とは、よく言ったものですね~!!

スサノオの足跡を追った出雲の旅は、とても感慨深いものでした♡

さぁ、思い出をエネルギーに変えて、今週も元気に笑顔で過ごしましょう~ニコニコ


月詠命(つくよみのこと)

(2012年10月24日のブログ記事より)

前回、「日本人は、『二元論』 とは別の次元の世界で生きてきたのではないか」 という内容の記事を書かせていただきましたが、数日経った今、それが確信に変わりつつあります。

 

 

この数日の間に何が起きたのかというと…

 

過去2回の入院の時は、「時間がありあまっているのだから、たくさん本を読もう」 って、10冊ぐらい本を持参していたのですが、入院中、自分でも驚くほど眠り続け、わずかに起きている間も気分がモヤモヤして本を開く気になれず…

結局持ってきた本を読まないまま持ち帰っていました。

 

それで、今回は、どうしても読みたい本を1冊だけ持ってきたのです。

 

 

 

その本のタイトルは、『人生の目覚まし時計』

 

著者は富田 欣和 (よしかず) さん、PHPから出版されています。ニコニコ

 

 

この本の第1章が、あまりに象徴的なのです!!

 

 

アマテラスとスサノオが兄弟だということは皆さんご存知だと思いますが、『古事記』 によると、彼らは3兄弟だったのです。

 

 

アマテラス、スサノオ、そしてツクヨミ。

 

 

ツクヨミは、「月詠」 と書き、暦を読む神さま=「時の秩序を見守る神さま」。

 

 

 

目に見えない “時” を見守るのですから、ツクヨミ自身もその姿を現すことは決してありません。

でも、日本人は、その姿を現さないツクヨミを、最も尊い神さまの一柱として大事に大事にしてきた…。

 

 

そこには、陰(スサノオ) と陽 (アマテラス) を対極に置かない、和を貴ぶ日本人の素晴らしい叡智が存在しているのですね(*^-^*)

 

 

そういえば、日本に元々伝わる言葉って、例えば、武道の 「心技体」 とか、世阿弥や千利休が唱えたと言われる 「守破離」 とか、二元論でないという点が、共通している気がします。

 

 

考えてみれば、二元論が 「比較」 を生み、比較から、満たされない人生が始まるのかもしれません。

 

 

いつも誰かと、何かと比較して、優越感と劣等感のはざまを揺れ動く…

 

そんな人生と訣別して、本当の自分を生ききろう音譜

 

『人生の目覚まし時計』 という一冊の本との出逢いが、日本人の幸せの原点に立ち返るきっかけをくれました音譜

 

 

素晴らしい本を世に送り出してくださった富田さんに、富田さんとの出逢いをプロデュースしてくださったイクシーさんに、心から感謝しますニコニコ


和の心♪

(2014年5月14日のブログ記事より)

若田さん、おかえりなさいニコニコ

国際宇宙ステーション(ISS)で日本人初(実は東洋人としても初の快挙です♡)の船長任務を終えて、帰還した若田光一さんニコニコ

 

彼の船長としての信念が「和の心」にあると聞いて、胸の奥深くからじわじわーっと感動が広がっていますニコニコ


さて、この「和の心」って、何だと思いますか?

なんとなく感覚ではわかっていても、言葉で表現するのは難しいですよね。

 

ところが、古事記を紐解くと、この「和の心」の正体がわかるんですニコニコ


明日2月11日は、建国記念の日

(2015年2月10日のブログ記事より)

2675年前に神武天皇が即位された日をもって、日本建国としているのです。

旧暦の元日にあたるその日は、新暦では2月11日となるため、明日2月11日が建国記念の日です。

神武天皇は、「おそらく実在していたであろう、最古の天皇」と言われていますが、この方は、天孫降臨のニニギノミコトのひ孫にあたられます。

つまり神話と歴史が一本の糸で結ばれている、そんな世界でも稀(まれ)な民族が私たち日本人なのです。

そして「おそらく実在していたであろう」ということは、逆の視点から見れば、神武天皇が実在していたという確証はない、ということになります。

つまり日本人は曖昧さを2675年も貫いてきた!ということです。

私は幼い頃、白黒はっきりつけない日本社会がいやでいやでたまらなくて、海外に繋がる仕事を選びましたが、白と黒しかない世界(=曖昧さを許さない社会)を経験したら、日本人の曖昧さが無性に愛おしくなりました。

そして、実はこの曖昧さこそが受容力だったのだということに気づき、日本の文化や歴史がどんどん好きになっていったのです。

建国記念の日を迎えるたびに、30年近く前の新鮮な感動を思い出します(笑)


準備中です
暫くおまちください
和歌
春の息吹

(2009年3月9日のブログ記事より)

わたしは、毎年この季節になると、 “いのち” に想いを馳せます。

春は、生命の息吹を感じる季節…。

 

わたしは、万葉集が大好きなのですが、たしか万葉集の第一首は、

 

♪石ばしる 垂水の上の 早蕨の 萌え出ずる春に なりにけるかも♪

 

という、志貴皇子の歌だったんじゃないかな。

万葉の時代って、日本人のエネルギーが光り輝いていたんですよね。

 

この志貴皇子の歌に初めて触れた時の感動が、鮮やかによみがえったのが、

高浜 虚子のこの句です。

 

音譜 春風や 闘志抱きて 丘に立つ音譜

 

この句に触れた時、てっきり虚子が20代の頃の作品だと思ったのですが、後に、40代で詠んだ句だということがわかり、この句と作者の虚子のことが、さらに好きになりました。

 

心のあり方って、年齢じゃないんですねぇ。

 

虚子の俳句の師であった正岡 子規も、とても素敵な春の句を残しています。

 

♪春や昔 十五万石の 城下かな♪

 

故郷である松山への愛着と誇りを、このように素直に表現できる、子規の魂の美しさと、その後の短命に終わる彼の人生を想う時、わたしの心の中に、なんとも言えない切なくて優しい気持ちが溢れてくるのですニコニコ

 

わたしがこれほどこの季節を愛しているからでしょうか、わが家の二人の天使は、いずれも春に生まれましたニコニコ

もうすぐ息子の5歳の誕生日、来月には娘が10歳になります。

 

ただ、この季節には、生涯忘れ得ない悲しい別れ(2度の流産)もありました。

守ってあげられなかった命と、神様から授かった命…。

 

ときには悲しみに押しつぶされそうになった夜もありました。

「生まれてきてよかった」 と大きな喜びに包まれた瞬間もありました。

 

今はただ、喜びも悲しみも、すべてを受け入れて、今という瞬間を生かされていることに、心から感謝しますニコニコ

そして、神様からおあずかりした二つのいのちを育てることのできる幸せを、日々かみしめていますニコニコ

 

「ありがとう」 は有り難いこと…いのちを授けていただいたことが、奇跡なのだということ、こうして毎日を無事に過ごしていることが、奇跡の連続なのだということを、この季節は、やさしく私に語りかけてくれるのです。

 

今日、本当は、まったく違う内容を書くつもりでいたのですが、不思議な感情がわきおこってきて、わたしの好きな歌人・俳人の話を書かせていただきました。

日本の神様からのメッセージでしょうか。

 

四季の美しい日本に生まれたことも、きっと神様からのメッセージ♪

私たちのDNAには、日本文化の中で育まれた感性が、脈々と息づいています。

これこそが神様からの最高のプレゼント、大事にしていきたいですねニコニコ


今夜は満月ですね♪

(2009年10月4日のブログ記事より)

小学校4年生の娘のクラスでは、担任の先生の指導で、毎日

百人一首をしていますニコニコ

 

この機会にわたしもできるだけ百人一首を暗誦したいと思い、連日、

娘のプリントを見ながら、いにしえの日本人の豊かな感性に触れ、

とてもロマンティックな気分にひたっていますニコニコ

 

百人一首の中で、テーマとして一番多いのは、もちろん恋の歌。

なんと4割を超えています。

 

一方、題材として最も多く詠まれているのは、なんでしょうか?

 

さくら?

うめ?

 

いえいえ、意外にも、月なんです音譜

 

桜の花が詠まれている歌が6首なのに対して、月はその倍の12首。

 

恋人を想って見上げる月、望郷の念にかられながら異郷で眺める月、

春の朧月、夏の涼しげな月、澄みわたった秋の空に浮かぶ美しい月、

冷たく冴えわたった冬の月…。

 

月は、わたしたち日本人に、季節の移ろいをしみじみと感じさせ、さまざまな想いを誘います。

しかも、旧暦は、月の満ち欠けの周期を基にした太陰暦でしたから、なおさら日本人の生活に深く関わっていたのでしょうね。

 

そういえば、満ち欠けする月に、さまざまな美しい呼び名をつけたのは、

世界中の民族の中でも日本人だけなのではないでしょうかニコニコ

 

★新月のことを 「つごもり」 とも言います。

★三日月     ★半月

★満月の別名は 「望月」 です。

 

満月から欠けていく月にも、それぞれ 「十六夜(いざよい)月」、「立待(たちまち)月」、「臥待(ふしまち)月 / 寝待(ねまち)月」 といった、

美しい呼び名がありますニコニコ

 

また、時の移り変わりに合わせて、月の呼び名も変わります。

夕方の月は 「宵の月」、夜中に見えるのは 「夜半(よわ)の月」 です。

 

そして和歌に数多く詠まれているのは、「有明の月」。

 

夜明け頃、空にまだ残っている月のことです。

 

当時の結婚は現代と違い “ 通い婚 ” ですから、恋人の元を訪れた男性は、夜がまだ明けないうちに、「有明の月」 をはるかかなたに見て、さまざまな想いをめぐらしながら帰っていったのです。

 

明るみ始めた夜明けの空に残る 「有明の月」 は、はかなげな美しさが人々に愛されるとともに、恋人を待ちくたびれたり、恋人との別れを惜しみながら人々が見上げた、最も風情のある月だったのでしょう。

 

科学が発達し、社会制度も大きく変化した現代では、いにしえの日本人の豊かな感性が失われつつあります。

 

電気のない時代だからこそ、そこに生きる人々は、夜空に浮かぶ月の風情に敏感でした。

通い婚の時代にあっては、月は恋人との大切な時間を照らすものであり、恋人と一緒に過ごした幸せなひとときの記憶と結びついて、いっそう美しく、あるいは別れた恋人を想って、いっそう冷たく感じられことでしょう。

 

そして、毎日一緒にいられることが当たり前ではない時代だからこそ、

恋人との逢瀬が、恋人とともに過ごす “ いま ” という一瞬が、輝いていたのかもしれませんニコニコ

 

このような感性は、薄れてしまったとはいえ、私たちのDNAの中に息づいています。

素晴らしい文化の中に生を享けたことに、深く感謝する満月の夜ですニコニコ


四つの「し」の自覚

(2009年10月26日のブログ記事より)

 

わたしが古典や日本史を好きになったのは、高校の授業の影響が大きいのですが、古典の味わい深さ、素晴らしい古典を生んだ日本の歴史のおもしろさ、そして何より日本文化の素晴らしさを伝えてくださったのは、保坂先生でしたニコニコ

 

その保坂先生の授業で一番印象に残っているのが、『四つの “し” の自覚』 ですニコニコ

 

歴史の年表では、710年に平城京ができ、794年に平安遷都されるまでの84年間は 『奈良時代』 と呼ばれていますが、この時代は、日本人の心と文化に大きな変化をもたらしました。

 

大きな変化をもたらしたきっかけは、古事記と日本書紀の編纂でした。

 

『古事記』 は、712年に太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)が、天子に献上した日本最古の歴史書と言われていますが、『日本書紀』 の完成もほぼ同時代と考えられ、この時代に、日本人は、初めて歴史書を編纂し、

民族の “歴史” というものを自覚したのです。

 

まず一つ目、“史” の自覚です。

 

歴史とは、一言でいえば “人の生き死に” の積み重ねです。

歴史を自覚することで、私たち日本人は、初めて “死” という概念を知ることになりました。

 

二つ目、それは “死” の自覚です。

 

奈良時代よりもっと以前は、自我が混沌としていて、他人と自分の区別がついていなかったと言われていますが、歴史を自覚し、人の “死” を理解した時に、日本人は、ほかの何者とも違う “自分” = “私” を自覚し、初めて

“個” の概念を持ったのです。

 

三つ目、それは “私” の自覚です。

 

奈良時代に編纂された日本最古の歌集である 『万葉集』。

万葉集は、歌が詠まれた年代によって第一期から第四期に分けられますが、

前半は、宮中行事に関する歌や天皇を礼賛する歌、旅の歌、各地で民謡のように歌い継がれている歌がほとんどで、人間の個人的な感情を詠んだ歌は見受けられません。

 

それが、第三期以降になると、私的な心情を詠んだ個性の光る歌が生みだされるようになります。

 

つまり、日本人は、“私” を自覚して、初めて、私的な感情を表現できるようになったのです。

 

それが四つ目、“詩” の自覚です。

 

奈良時代、奇しくも日本人は四つの “し” を同時期に自覚しました。

日本文化を考える上で、それは大きな革命だったのだと思いますニコニコ

 

最後に…私的な感情を詠んだ “詩”、その代表として、大伴家持の歌をご紹介します。

 

万葉集を編纂した主要な人物として挙げられる家持は、第四期に属する歌人ですが、彼の歌の世界は優雅で気品に満ちていて、その感性の豊かさと繊細さは、現代人に共通するものだと思います。

 

♪♪うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも 独りし思へば♪♪

 

うららかな春の陽射しって、普通なら心がウキウキしてくると思うのですが、その春の陽射しの中で、ひとり物思いに耽っていると、心が悲しくなってくる…

 

この微妙な感覚を、1200年以上前に生きていた家持が持っていたって、奇跡と言うか、日本人の感性は本当に素晴らしいと思います。

そしてそのDNAを受け継いだ自分に対しても、誇らしく思います。

 

黒澤明監督の映画がフランスで公開された時、蝉の鳴き声が消されました。

欧米人には 「雑音」 にしか聞こえない音が、日本人の感性では、“蝉しぐれ”になるところが、素晴らしいですよね!

 

自然の中で、四季の移ろいの中で、感性を育んできた日本人。

その日本に、この時代に私たちが生まれてきたことは、きっと何か意味があるのでしょう。

 

歴史の流れの中で私たちが生かされているということを、感謝の気持ちで受け止めたいと思いますニコニコ


人は恋と革命のために生まれてきた!!
暫くおまちください

(2009年11月14日のブログ記事より)

 

“ 人は恋と革命のために生まれてきた !! ”    by  太宰 治

 

この言葉をひすいこたろうサンから聞いた時、体中にエネルギーがみなぎるのを感じました。

 

2度の流産と2度の出産を経験して感じたこと、それは…

この世に生を享けること、命が育まれることは、奇跡の連続だということ。

 

だから、人は生きているだけで素晴らしいし、生きているだけで、誰かの幸せの源になっています音譜

 

わたしたちの存在そのものが “ 愛 ” だと思うんですニコニコ

 

愛に溢れた日常に対して、“ 恋と革命 ” って、非日常のキラキラした響きを感じさせてくれますよね。

 

わたしにとって、“ 革命 ” を象徴する人物は、吉田松陰です。

 

では “ 恋 ” と聞いてイメージする人物は…

 

額田王と和泉式部かなニコニコ

 

万葉集に出てくる額田王の歌は、わたしの一番好きな恋の歌です。

 

「あかねさす 紫野ゆき 標野 (しめの) ゆき

野守は見ずや 君が袖ふる」

 

天智天皇 (てんじてんのう) と大海人皇子 (おおあまのおうじ・後の天武天皇)という二人の古代史のヒーローから愛された額田王。

この二人が血を分けた兄弟であるという事実が、額田王の恋をさらにドラマティックなものにしています。

 

ある日、兄の天智天皇の妻となった額田王が、宮中の華やかなイベントである “薬がり” に、天皇のお供として出かけます。

 

むらさき草の生えている御料地に行って、薬草を摘むのです。

男性も女性も着飾って、ピクニック気分♪♪

その “ 薬がり ” の場で、彼女は、昔の恋人・大海人皇子に再会します。

 

大海人皇子は、御料地を行ったり来たりしながら、額田王を見て、さかんに袖を振っています。

当時は、袖を振るという行為に、求愛の意味がこめられていたのです。

 

まぁ、そんなに袖を振るなんて…音譜

あなたが袖を振る姿を “ 野守=天智天皇 ” が見咎めないでしょうか…。

 

額田王は、これより以前、大海人皇子との間に娘をもうけていて、この時、すでにけっこうな年齢になっていたのではないかと思われます。

 

ところが、この歌の持つリズム感と躍動感、言葉の響きは、まるで少女の恋心を詠んでいるようで、キラキラした輝きを放っていますニコニコ

そしてそれが、スリリングな歌の中身との間に素敵なギャップを生んでいて、彼女の嬉しいようなドキドキするような微妙な気持ちが、ストレートに伝わってくるのですニコニコ

 

この歌の持つカラッとした感じが、いつもわたしのベースにあります。

 

人は、恋と革命のために生まれてきた…

 

年齢や出産経験なんて関係ない、心はいつも額田王のように少女のようでありたいなぁ…と思う今日このごろです(*^-^*)


神さまに愛される人♪

(2010年5月16日のブログ記事より)

 

わたしは10代から20代にかけて、日本人の 「長いものには巻かれろ」 的な発想が嫌いで、和を愛する心も、なぁなぁでやっているようにしか見えなくて、海外にばかり目が行っていた時期がありました。

 

大学時代から海外旅行に行き始め、卒業する時に選んだ仕事も、航空会社の客室乗務員ニコニコ

 

今まで、旅行や仕事で20ヵ国以上の国々を訪れています。

 

 

海外に出て行って、外から日本を眺めたら、今まで欠点だと思っていたものが、

実は日本人の素晴らしさだったのだと気づき、それからはぶれなくなりましたニコニコ

 

 

その時に得た気づきの一つが、日本人の労働観です!!

 

 

欧米で、「あなたは何のために働いているのですか?」 と尋ねると、ほぼ100%の人が、「バカンスを楽しむため」 と答えます。

 

初めは、彼らの非日常を楽しむ姿勢が好ましく思えたのですが、でも、労働者の権利として、ほとんど罪悪感を感じずにストライキを起こす彼らを見て、なんだか大きな違和感を覚えました。

 

 

彼らの理想は、働くなくても食べていける世界であり、労働は、「非日常という快楽を享受するために必要な苦痛」 にすぎないのではないかと思えたのです。

 

 

古来、日本人にとっての労働は、神さまに仕えること、神さまと一緒にいられる喜びを味わうことだったと思うんですね!!

 

 

源氏物語の中に、光源氏が須磨に流されるシーンがありますよね。

 

天皇の子として生まれ、都で育った源氏が、須磨に流されて、初めて田舎の人たちの暮らしぶりに触れます。

 

田舎の人たちですから、みんな農業や漁業に携わっています。

 

かたや源氏は、この上ない高貴な身分で、天皇に仕え、まつりごとを行っている…

 

 

その源氏が、こう悟るのです。

 

「この世には、自然に仕える仕事と、人に仕える仕事がある。その違いだけで、職業に貴賎はない。」

 

わたしは、この一言があるから、源氏が好きなんですニコニコ

この一言がなければ、源氏なんて、ただの女ったらしですよ~( ;∀;)

 

源氏は、須磨に滞在している間に明石の君に出逢い、「あなたと出逢うために須磨に流された」 なんて言っていますが、わたしは、源氏が須磨に流されたのは、

この労働観を得るための、神の配剤だったと思います。

 

「職業に貴賎はない。あるのは、誰に仕えているかの違いだけ…。」

 

この源氏の言葉の根底には、人に仕えている人は、人を介して、自然に仕えている人は、自然を介して、みんなが神に仕えているんだ…

 

という意識があるのではないかと思うんですよね。

 

実際、日本の神さまは、自然界に宿って、その土地を護るとともに、労働の場も護ってくださっています!!

 

機織りの神さま、建物の神さま、工匠の神さま、鍛冶の神さま、農耕の神さま

…数えだしたら、きりがありません。

 

 

それに、日本最古の歌集である 『万葉集』 には、天皇自らが労働を愛でる歌も数多く収められています!!

 

 

日本人にとって、古来、労働とは “神事” であり、感謝と喜びを表すものなのだったではないでしょうかニコニコ

 

 

でも、もう一歩踏み込んで考えてみると、日本人にとって、労働だけではなく、生活そのものが神事だったのではないか…そんな気がするんですね。

 

古くから、日本人は、お正月には歳神さま、お盆には祖先の御霊を家にお迎えする伝統を大切にしてきました。

 

生活の場である “家” は、日本人にとって、単なる建築物ではなく、神さまをお迎えする特別な場所でもあるわけです。

 

だから、日本人は、床に這いつくばって雑巾がけをしますよね。欧米では、床をモップで拭くだけです。

 

 

この掃除のしかたに端的に表れていると思うのですが、海外に出たから得られたもう一つの気づきは、“日本人は異常なまでに清潔を求める” ということでした。

 

これも、「神さまのために掃き清める」 と解釈すれば、ごく自然な習性ですよね。

 

 

つまり、日本人は、働くことや生活を通して、神さまと一体となろうとしていたのではないかと思います。

 

 

……と、実は、ここまでが前置きです。

 

長い前置きでごめんなさい( ;∀;)

 

先日、陽なた家さくらダイニングのレセプションに、はるばる大阪から駆けつけてくれたワクワクブックコンサルタントのときちゃんは、一日24時間という限られた時間の中で、自分が大事にすべきものは何なのかを考えたそうです。

 

 

そして、出した結論は…

 

一番が食事、二番が掃除、三番が対話、そして四番が仕事 !!

 

 

 

今までは仕事を一番にしていたのですが、この優先順位に変えてから、人生の流れがさらに素敵になってきたんですって!!

 

 

これは、時間が長い、短いという問題ではなく、あくまで自分の心の問題。

何を大事と思うか…ということなんです。

 

 

例えば、食事ニコニコ

 

命をいただくことに対する畏敬の念、自分が生かされていることへの感謝の想いを、わたしたちはどれだけ感じながら食事をしているのでしょう。

 

 

わたしは、最近、やることが山積みで、パソコンの画面を見ながら食事することもあったので、ときちゃんの話を聞いて、とても反省しました。

 

 

生きているということは、生かされているということ。

 

 

常に神さまと一緒にいられる喜びと感謝を感じながら、日常生活の一つ一つを心をこめて行う…

 

これこそが、日本人がずっとずっと大事にしてきた生き方だと思うんです。

 

そんな生き方を、現代に蘇らせているときちゃんの存在は、絶対に神さまを喜ばせていると思いますニコニコ

 

 

前回ご紹介したひすいさんと、ときちゃんの共通点…

 

それは、神さまを喜ばせていること!!

 

 

神さまに愛される人は、神さまを喜ばせている人なんじゃないかなぁ。

 

相手が神さまでも、人間でも、「愛されるにはどうしたらいいんだろう?」 って考えたら、答えを出すのは難しいし、本当は愛されたいのに、実際には嫌われるようなことをしてしまうことも多いけれど、相手に 「喜んでもらおう」 って考えたら、

自分のとるべき道が自ずとわかってくるような気がします!!

 

長い記事を、最後までお読みいただいてありがとうございます♡


2011年の幕開けです♪

(2011年1月1日のブログ記事より)

 

福岡はここ数日、雪が降っていましたが、元日の今日は快晴です。

 

皆さま、健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます(*^-^*)

 

 

素敵な年賀状がたくさん届いて、たいへん嬉しかったのですが、

今回、喪中だったので、新年のご挨拶も控えさせていただきました。

 

失礼をお許しくださいね。

 

これから5日まで帰省します。

 

新しい年が喜びに満ちた年でありますように、万葉集の最後に収められている大伴家持の歌をご紹介しますねニコニコ

 

「新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」

(あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと)

 

皆さま、本年もどうぞ宜しくお願いいたしますニコニコ


ちはやふる♪

(2011年3月1日のブログ記事より)

 

今日から3月…。

 

昨日と今日で急に何かが変わったわけではありませんが、“3月” と

聞くと、いよいよ春がやってきたなぁ~って、感じます☆彡

 

 

音譜春や昔 十五万石の 城下かな      正岡 子規

 

音譜 春風や 闘志いだきて 丘に立つ     高浜 虚子

 

音譜石ばしる 垂水の上のさわらびの 萌えいづる春になりにけるかも       志貴皇子

 

 

なぜか私の好きな歌や句は、春を謳ったものが多いです。

 

 

しかも、私は6月生まれですが、主人や子どもたちは全員春生まれ…

なんだか不思議なめぐり合わせを感じますニコニコ

 

 

私は、「春の息吹」 という言葉が大好きで、息子の 「伊吹」 という名は、そこからいただきました♡

 

それにしても、日本古来の文化である和歌や俳句の世界って、すごいですね~♡

 

 

和歌は31音、俳句にいたってはたった17音で、無限の世界を表現しているのですから…。

 

 

小5の娘のクラスでは、毎日百人一首をしていますニコニコ

 

今年のお正月、娘が市内の大会に初めて出場したので、その応援に行ってきました。

 

 

小学生が畳の上に正座して、他校の生徒と 「宜しくお願いします」 と握手を交わし、すごい緊張感の中で百人一首のかるたをとっていきます。

 

 

スポーツでもしていれば、こういう緊張感を味わえるのかもしれませんが、11歳という年齢で、このような場の空気を味わえたことは、彼女の人生にとって、とても大きな意味があるのではないかと感じ、貴重な経験をさせていただいたことに、心から感謝しました音譜

 

百人一首って、素晴らしい競技なんだなぁ~ニコニコ

と感動し、会場から帰ってきたのですが、その後、競技かるたを舞台にしたマンガがあることを知って、読み始めました。

 

 

題名は…『ちはやふる』 ♪♪

 

 

 

これがまた、往年のスポ根アニメに負けないぐらい、泣けて感動できるストーリーなんですよニコニコ

 

 

千年の時を超えて、今によみがえる大和心…音譜

 

伝統を受け継ぎつつ、新しい世界を切り拓いていく日本人のDNAは、どこまでも素晴らしく、たくましいと思いますニコニコ


民のかまど

(2011年3月29日のブログ記事より)

 

3月27日付の産経新聞に、とても心打たれる記事を見つけましたニコニコ

以下、転載します。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

『日本書紀』に「民のかまど」の話がある。第16代仁徳天皇が難波の高津宮から外を見ると、かまどを炊く煙が見えない。「民は食事を作ることもできないのか」と嘆いた天皇は3年間課役を免除するとともに、

自らもぜいたくを絶ち、宮殿は荒れるにまかせた。

 

▼3年後再び高殿に立つと、こんどは多くの煙が見え、天皇は「これで私も豊かになった」と満足する。「宮殿は荒れ放題ですのに」と不満げな皇后に「民が豊かになるのが私が豊かになることだ」と答えた。

この「民のかまど」の精神は歴代の天皇に脈々と受け継がれてきたようだ。

 

▼昭和天皇は戦後間もなく全国を巡幸された。着ていかれる洋服がみすぼらしいと、周囲は新調を勧めたが「みな着るものにも不自由しているのだから」と、断られた。学校の板の間にゴザを敷き、黒いカーテンをかけお休みになったこともある。

 

▼今の天皇、皇后両陛下が、大震災の後に「自主停電」されているという話にも鼻のあたりがツーンときた。15日から「第1グループ」の計画

停電の時間に合わせ皇居・御所の電気を切っておられる。実際に停電にならない日も、予定通り続けておられるそうだ。

 

▼天皇陛下は77歳のご高齢である。以前には前立腺がんの手術も受けられた。それなのに「寒いのは(服を)着れば大丈夫」と、その間は暖房も使われない。ろうそくや懐中電灯を使いながら、暗い中で夕食をとられたこともあるという。

 

▼それほどまで国民に思いをはせておられる。そのことを知れば、被災地で苦難の生活を強いられたり原発の修復にあたったりしている人々にこれ以上にない励ましとなるだろう。身勝手な買いだめなど決してできないはずだ。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

この記事を読ませていただき、今、自分たちが何をしたらいいか、少しわかったような気がしました。

 

とてもはしゃぐ気にはなれないけれど、だからといって、私たちが沈痛な想いで暗い日々を過ごすのは、天皇・皇后両陛下のご本意ではないのではないか…

節度を持って、日々笑顔で過ごしていくのを喜んでくださるのではないか…

 

そんなふうに感じました。

 

これは私一個人の私見ですが、気分を害する方がいらっしゃいましたら、

本当にごめんなさい。


桜の心☆彡
(2011年4月11日のブログ記事より)

さてさて、今回は、桜に込めた日本人の心について、感じるままに書かせていただこうと思います。

 

 

奈良時代までの日本人にとって、“花” と言えば梅のこと。

私の好きな日本最古の和歌集 『万葉集』 には、桜よりも梅の花を歌った

歌が多く、桜が約40首詠まれているのに対して、梅は約100首。

 

それが、平安時代になると、なぜか梅と桜の立場が逆転するのです。

 

桜の美しさに、日本史上はじめて心を奪われたとされるのは、嵯峨天皇です。

 

それは、平安次代の初め、812年のことでした。

地主神社を訪れた嵯峨天皇は、御所への帰途、地主神社に咲く桜の美しさに見とれ、二度、三度と牛車を引き返したそうです。

 

この噂が都中に広がり、平安貴族たちは桜を愛でるようになったんですね(*^-^*)

 

さらに時代が下って江戸時代になると、桜の散り際の見事さが、武士道の死生観と相通ずるようになり、日本人にとって、桜は特別な花となりましたニコニコ

 

 

開花からわずか2週間で散ってしまう桜…

その儚さ、そして美しさが、しばしば人の一生に例えられるのです。

 

でも、日本人が素晴らしいのは、花が咲き誇っている時だけ桜を愛でているのではないということ音譜

 

風に散っていく花びらを “桜吹雪” と呼び、その散った花びらが水面に浮かび流れるのを筏に見立てて、“桜筏 (はないかだ)” と呼びます音譜

 

風流ですね~ニコニコ

さらに、私たち日本人は、花びらが散ってしまった桜の木を “葉桜” と呼び、新緑の美しさと香りを愛でるのです。

 

散りゆく花びらをいつまでも惜しむのではなく、その移ろいを受け入れ、愛で、その一瞬一瞬に楽しみを見い出してきた日本人…。

 

桜を見ると、私は、日本人の受け入れる力= “受容力” を感じずにはいられません。

 

こうやって、日本人は、地震や台風などの自然の猛威さえもを受け入れ、独特の無常観を育んできたんでしょうね。

 

日本人の受容力は、きっと、この未曽有の震災に対しても、大いに発揮されるはずです。

 

私たちのDNAを信頼して、できることを粛々とやり続けていきましょうねニコニコ


今宵は中秋の名月♪

(2013年9月19日のブログ記事より)

今日は旧暦8月15日。

中秋の名月、しかも満月ですね音譜

 

私の大好きな万葉集には、桜よりも、梅よりも、月がダントツで数多くの歌に詠まれているんです。

昔は通い婚でしたからね、夫が妻に会いに来るのは夜。

そして、まだ月が出ている間に帰っていく。

 

 

月を歌に詠むということは、最高の愛情表現だったんでしょうね。

 

満月や三日月を意味する言葉は外国語にもありますが、十六夜の月、有明の月など、日本語にしかない言葉も多く、月の呼称に表れるいにしえの日本人の感性は、本当に素敵ですニコニコ

 

さて、明日20日(金)の和ごころ塾@東京。

先日ご紹介した台湾のジョーさんに、幸せな隣国関係・台湾と日本についてミニ講座をお願いしたところ、快くOKをいただきました!!

ジョーさん、本当に有り難うございますニコニコ
そして、和ごころ塾にご参加の皆さま、ご期待くださいね音譜

 

ちなみに、ジョーさんが制作協力し、ジョーさん自身も番組の中でコメントなさった『Mr.サンデー』が、Youtubeでご覧いただけます。
http://www.youtube.com/watch?v=Kb4zkM4PFak&feature=youtu.be

 

今夜は全国的に晴天に恵まれるようですね音譜
皆さまが心静かに秋の夜長を味わえますように…ニコニコ


小柳左門先生に学ぶ、古事記の壮大な物語♪

(2016年1月29日のブログ記事より)

台湾には、日本時代を懐かしむおじいちゃん、おばあちゃんがたくさんいらっしゃいます。

おじいちゃん、おばあちゃんは、日本人が忘れかけている日本精神を次の世代に継承するために、台湾歌壇をを立ち上げ、和歌をつくったり味わったりしています。

日本人の心は和歌にこそ溢れているからですニコニコ

和歌と聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは、万葉集ですが、実は、「古事記」の中にも実に多くの和歌が出てきます。

昨夜は、和歌をたどりながら、古事記の壮大な物語を味わうという、素敵な機会をいただきました。

講師は、小柳左門先生ニコニコ

心臓外科の名医として知られる方です。

えっ、なぜお医者さんが、古事記や和歌を教えるの?
と、不思議に思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。

実は、江戸時代に「古事記伝」を著した本居宣長も、職業は医師だったんですよ!

昼は何十キロも歩いて往診し、夜になると、疲れた身体を引きずって古事記の研究に打ち込んだのです。

私は昨夜、左門先生の豊かな感性と誠実なお人柄を目の当たりにし、「この方は本居宣長の再来に違いない」と確信しました(*^^*)

それにしても、古事記に出てくる神話や歴史物語は、幼い頃に絵本で読み、内容は知っていましたが、和歌をたどっていくと、古代の人々の息づかいが聞こえてきそうで、もう言葉では表せないほどの大きな感動をいただきました。

私は、スサノオノミコトが婚礼の喜びを詠んだ歌も好きですが、やっぱり私の中のNo.1ヒーローは、ヤマトタケルノミコトかなぁ。

オトタチバナヒメとの夫婦愛、そしてヤマトタケルが国を思う心には、胸を打たれますニコニコ

左門先生は、1998年に開かれた国際児童図書会議での美智子皇后のご講演「橋をかける」の内容をご紹介くださりながら、ヤマトタケルとオトタチバナの遺した和歌を教えてくださいました。

涙腺が崩壊したのは、言うまでもありません・・・

自分の命に代えてでも、大切な人を守る、その決意の中に、愛と感謝に最も満たされた瞬間があること。

二人の物語は、そんなやまとの民の根源的な感情を再確認させてくれました。

知識は自分一代で終わりますが、感性は循環します音譜

そして感性こそが、生きる力ニコニコ

感性を磨き、生きる力を育むには、和歌が一番ですね!!


1300年の時を超えて、今蘇る万葉の心

(2016年4月3日のブログ記事より)

誰の人生にも忘れえぬ出会いがあると思いますが、私にとって高校時代の古文の先生との出会いが、まさにそうでした。

文法や言葉の解釈だけでなく「この作者はね」「この時代はね」と話が深まる授業は、まるでその時代にタイムスリップしたかのよう。

その古文の先生が、一番気合を入れて授業してくださったのが、万葉集でした。一首の歌を解説するのに、まるまる一コマ分の授業時間をかけて、熱弁をふるってくださるのです。

歴史を知ることで、万葉の歌人たちが、まるですぐそこにいてくれる友だちのように思え、万葉集の歌がより味わい深いものに感じられる・・・・。

私はこうして古典の素晴らしさと歴史の面白さに目覚めていったのですが、それは現在の私の活動の原点となる体験でした。

30年以上前のあの時、私の心に深く刻まれた万葉の名歌。

その多くが、今回の講座で“春の歌”として取り上げられますニコニコ

小柳先生の感性は、きっとそれらの歌の魅力をさらに引き出し、歌人たちをより一層輝かせることでしょう。春の喜びを分かち合う機会をいただけて、本当に幸せですニコニコ

《連続四季講話 ~和歌と日本の心~》

「万葉集、春の歓びの歌」

春になると芽吹く生命の歓び、青春の歓びが、万葉集では高らかに詠まれています。

巻頭の有名な「籠もよみ籠もち」や額田王の紫野の歌、志貴皇子の早蕨の歌などの名歌をたどりながら、春の歓びをともにしましょう。 (小柳左門先生)

【とき】 平成28年4月21日(木) 19時~21時

懇親会を21時から1時間程度、近くのお蕎麦屋さんで開催します。(※懇親会の参加は自由です)

【ところ】 書斎りーぶる 2F (菊竹金文堂 福岡天神店)
(福岡市中央区天神4-1-18 サンビル2F TEL:092-713-1001)

【会費】 2,000円

【講師】原土井病院 院長 小柳 左門 先生


百人一首の一番歌 ゆかりの地「朝倉」

(2017年10月18日のブログ記事より)

『 秋の田の かりほの庵(いお)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ 』

これは、百人一首の一番歌。この歌を詠んだのは、大化の改新で知られる中大兄皇子、後の天智天皇です。

 

「かりほのいお」とは、農作業のための粗末な仮小屋のこと。

「屋根を葺いた苫の目が粗くて隙間があるから、夜露が私の袖に落ちて、着物を濡らしているなぁ」という意味ですが、天智天皇が、そんな粗末な小屋で寝起きするわけはないので、「この夜露は農民たちを冷たく濡らしていることだろう…」と、民の暮らしを思う、優しい心を詠んだ歌と言われています。

 

ただ、これは私の想像ですが、もしかしたら、民に愛を注ぎながらも、天智天皇は深い悲しみの中にあり、涙で袖を濡らしていたのではないかなと思うんです。

 

今から1350年ほど前、天智天皇のお母様でいらっしゃる斉明天皇が皇位に就かれていましたが、その斉明天皇が、九州の朝倉(現在の福岡県朝倉市)で崩御なさいました。

 

なぜ飛鳥の都から遠く離れたこの地で斉明天皇が亡くなったのかというと、それは当時の朝鮮半島の事情が大きく影響しています。

朝鮮半島にあった百済(くだら)という国が、同じ朝鮮半島の新羅(しらぎ)に滅ぼされ、日本に助けを求めてきました。

日本は百済と深い友好関係を結んでいましたから、ときの斉明天皇は、百済の人々を気の毒に思われ、百済の復興を願い、朝鮮半島に出兵することを決意します。

そのための前線基地が置かれたのが、朝倉だったのです。

 

68歳と、当時としては高齢だった上に、心労や長旅の疲れが重なったのでしょう、朝倉に着いてたった2ヶ月で、斉明天皇は亡くなりました。

 

中大兄皇子は深く嘆き悲しまれ、喪に服されますが、その場所が、御陵山(ごりょうさん)の木の丸(きのまるでん)だったと言われています。御陵山の中腹には、恵蘇八幡宮という神社があり、地元・朝倉の人々から大変大切にされてきましたが、恵蘇八幡宮には斉明天皇と天智天皇が祀られ、その敷地には木の丸殿跡が残っています。

 

実は、百人一首の一番歌は、ここ朝倉で詠まれたと言われています。もしそうだとしたら、天智天皇の袖をぬらした露とは、涙のことだったのかもしれませんね。

 

私はこの歌がもともと好きでしたが、昨年、母を亡くしてからはさらに好きという気持ちが募っていって、シャープでクールな印象の天智天皇が、急に友だちになってくれたような気がしています(笑)

 

天智天皇の深い悲しみと、母宮へのかぎりない愛情が詰まった朝倉の地。

この地は、歴史上、幾度となく水害に見舞われています。山に囲まれ、水運に恵まれ、九州の各地に繋がる朝倉は、要害の地でありながら、万が一戦いに敗れたとしても、陣をはらって落ち延びるのが容易でしたから、斉明天皇が前線基地に選んだのでしょうが、その地形は、ひとたび大雨に襲われると、大洪水に繋がる危険性をはらんでいたのです。

 

朝倉は百人一首一番歌ゆかりの地として、毎年、百人一首の大会を開催してきましたが、今年は、7月に起こった水害の影響で、その大会も中止となりました。

 

朝倉の復興を心から祈り、来年以降の大会の開催に期待したいと思います。

 

さて、斉明天皇による朝鮮半島への出兵。

その結果がどうなったのか、そしてその戦いは日本人に何をもたらしたのか。

次回のブログでお伝えしたいと思いますニコニコ


初めての国難。そのとき日本人はいかにして乗り越えたのか。

(2017年10月26日のブログ記事より)

 

先日は、百人一首の一番歌の裏側にある、歴史秘話をお伝えしましたニコニコ

 

一番歌を詠まれた天智天皇のお母様・斉明天皇は、新羅によって滅ぼされた百済の人々を大変気の毒に思われ、やむにやまれぬ思いから、朝鮮半島に出兵します。

そのために前線基地が設けられた九州の朝倉(現在の福岡県朝倉市)で斉明天皇は崩御されるのですが、海を渡った日本軍も、不運に見舞われます。

日本・百済連合軍は、朝鮮半島で唐・新羅連合軍に大敗を喫したのです。天智2(西暦663)年のことでした。

 

この戦いを『白村江(「はくすきのえ」、または「はくそんこう」)の戦い』といいます。斉明天皇は崩御され、戦いにも敗れた日本は、大ピンチ!

 

唐の日本侵攻に備え、九州北部に大野城(おおのじょう)というお城が築かれ、水城(みずき)呼ばれる堤防が造られました。

現在も福岡県内には、大野城や水城という地名が残っています。

さらに国境を守る兵士たちが、東国から九州に続々と送られてきました。彼らを「防人(さきもり)」と呼びます。

 

防人の詠んだ歌が、日本最古の和歌集『万葉集』に数多く収録されていますが、この時期に古事記や日本書紀という歴史書や、万葉集という和歌集が編纂されたのは、ピンチに立たされた日本人が、これまでの国の歴史をまとめあげ、和歌に込められた日本の心を後世に伝えることで、自分たちの国を守ろうとしたのでしょう。

 

『万葉集』を編纂したのは、武門の誉れ・大伴家を率いる大伴家持でした。彼自身が、大君を守るという強い信念と、大伴家が没落していく中で襲われた孤独感や憂い、そして大切な人々への溢れる思いなど、歌人として我が心を切々と詠みあげましたが、防人たちも、心は一緒でした。

家族と別れるつらさ、ふるさとに残してくる子への尽きぬ愛情、そして国を守るという気概。これらは表裏一体をなし、国難に立ち向かう男たちを支えていたのです。

 

武門の誉れ・大伴家の総帥だからこそ、家持は彼らの思いが痛いほど理解できた。だから防人という名も無き民に対し、作者の名前をその作品とともに一人残らず万葉集に記すことで、彼らへの敬意を表したのでしょう。

 

国難を救った先人たちの中に、大伴部博麻(おおともべのはかま)がいました。

白村江の戦いで捕虜(ほりょ)となった博麻は、唐に送られ、驚くべき噂を耳にします。唐が日本に攻め入る準備をしている、と。このことを何としても本国に伝えなければいけないと思った彼は、自分の身を奴隷として売り、そのお金でほかの日本人を帰国させるのです。

幸い、唐は日本を攻めずに、国家存亡の危機は回避され、彼は約30年後に帰国を果たしました。

彼の苦労を思うと涙が止まりませんが、こういう先人たちの祖国を思う心があったからこそ、今、私たちはこんなにも豊かな暮らしをしていられる。そのことを胸に刻み、次の世代に継承していきたいですねニコニコ


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日露戦争
サッカーワールドカップ・サムライジャパン 歴女の総括☆彡

(2010年7月3日のブログ記事より)

昨日は、どのテレビ番組も、南アフリカから帰国した日本代表の爆笑記者会見の模様を流していたので、わたしも繰り返し、何度も見てしまいましたニコニコ

 

試合に出ることのなかった今野選手や森本選手にスポットが当たったり、その今野選手が披露したのは闘莉王選手のモノマネ

 

~ 闘莉王選手は、体調を崩していらっしゃるブラジルのお父さまの元に行って、記者会見には参加していなかった ~

 

ただのアドリブ、ただのムチャ振りを超えたドラマが存在したことに、あらためて感動しましたニコニコ

 

今回のワールドカップでの日本チームの戦いぶりは、本当に、脈々と繋がってきた大和心が結集した結果だと思います。

 

 

日本人って、ふだんは、とっても優しくて穏やかでおとなしいのに、ひとたび民族の危機がやって来ると、世界中が度肝を抜かれるほどの勇気を振り絞って、その危機に立ち向かっていくんですよね。

 

その象徴的な出来事が、歴史の上では日露戦争だったと思います。

 

 

日本は、大国ロシアに戦いを挑むにあたって、楽観論も悲観論も捨て、ただ自分たちにできるすべてのことを行ったのです。

 

 

実際に前線に出て戦った人たち、作戦を立てた人たちはもちろんですが、ありとあらゆる方向から、この負けられない戦いをどう制するのか、みんなが自分の役割を演じきりました。

 

 

国土も狭く天然資源が豊かでない日本は、長期戦になれば絶対に不利です。

 

 

だから、短期決戦で有利なうちに講和条約を結べるように、戦う前から 「どうやって戦争を終わらせるか」 を練りに練ったのです。

 

 

その一つは、利害関係のない第三国に、日本の立場をわかってもらい、講和を後押ししてもらうこと。

 

そのために、金子堅太郎が、新渡戸稲造の著した 『武士道』 を携えてアメリカに飛び、旧知の間柄だったセオドア ・ ルーズベルト大統領に会ったことは、有名なエピソードですよね。

 

T ・ ルーズベルト大統領は、一晩で 『武士道』 を読み終えると、すぐに50冊を発注し、自分の子どもたちや友人 ・ 知人、それに主要閣僚に配ったと言われています。

 

そして、陰になり陽なたになり、日露の講和を推し進める役を果たしてくれたのです。

 

さらに、日本が考えた日露戦争終結へのシナリオは、こんなレベルではありません。

 

ニコライ二世の帝政に異を唱え、社会主義革命を起こそうとしていたレーニンに、活動資金を与えたり、ロシアの圧政に苦しめられているフィンランド人やポーランド人に、独立を呼びかけ、その資金を提供したりしました。

 

つまり、ロシアの戦争続行を困難にするために、ロシアの足元を揺るがそうとしたのです。

 

この大胆な諜報活動は、後に陸軍大将となる明石元二郎を中心に進められました。

 

ここまでして、日本は一つになって、大国ロシアに立ち向かったのです。

 

わたしは、けっして戦争が好きなわけではないのですが、今回のワールドカップでの日本の活躍、そして岡ちゃんが言っていた「脈々とつながる大和魂」 という言葉の背景には、こういう民族の歴史、先人たちの大いなる叡智があるのではないかと思い、書かせていただきました。

 

今回の日本の活躍は、ピッチに立つ選手と控えにまわった選手の想いが一つであったこと、彼らを指揮する監督への信頼はもちろんですが、おそらく、高地での戦い方を徹底的に分析したチームもあったでしょうし、選手のコンディションづくりに携わった方々もいらしたでしょう、それに心から応援した人たちも含めて、みんながそれぞれの役割を演じきった結果だと思います(*^-^*)


特攻隊
百年後☆
(2011年7月8日のブログ記事より)

 

七夕の夜、池袋リブロ本店さんでのミニトークショー&サイン会を終えて、福岡に帰ってきましたニコニコ

 

本当にたくさんの方々が駆けつけてくださり、感無量ニコニコ

東京近郊の方々だけでなく、新潟、長野、岩手からも…!!!

 

 

こんなにたくさんの方々に支えられ、応援されているなんて、もういつ死んでもいいぐらい幸せです☆

本当に、本当に、ありがとうございますニコニコ

 

共通の価値観で結ばれた仲間って、何物にも代え難くて、本当にありがたいなぁと思います。

 

さて、さて、昨日のミニ講演、ひすいさんと特別打ち合わせをしたわけではないのですが、期せずして “志” というテーマで繋がっていました。

 

志…。

よく聞く言葉だけれど、ピンと来ないという方も多いのではないかしら?

 

 

たぶんね、志って、百年後のことを考えて、行動することだと思うんです。

 

特攻隊としてフィリピンから出撃していった青年は、その遺書に、「あとに続く日本の若者たちが、世界に誇れる文化国家を創造するために」 自分たちは出撃していく…と書きました。

 

海の特攻である人間魚雷・回天に乗り込み、明日いよいよ出撃する…という日の夜、青年たちは話し合いました。

「何を思い、どう考えたら、自分たちは平常心で出撃できるか?」 と…。

 

「天皇陛下のため?」

「家族や愛する人を守るため?」

 

その時、一人の若者が叫びました。

 

「百年後、二百年後の日本のために、出撃しよう!!!」

 

みんなの目が、輝きました。

翌日、彼らは誰一人として取り乱すことなく、平常心で出撃していったそうです。

 

私は右翼でもないし、戦争は絶対に反対ですが、彼らの想いは尊いと思います。

そして、このエピソードは、日本人というのは、夢より志に生きられる稀有な民族だということを、端的に物語ってると思うのです。

 

震災以来、原発のことで、世論は揺れ動いています。

 

 

環境を優先するか、経済を優先するか…。

「難しい問題で、容易に答えが出ない。」 と言う人もいます。

 

でも、問題を複雑にしているのは、私たち自身の心。

本当は、もっとシンプルなはず。

 

最も優先すべきは、「百年後の日本のために、百年後の世界のために、どうしたらいいか」 ということ。

それ以上に大切なことなんて、ないはずだよね。

 

それが、日本人の生き方。

取り戻そう、日本人の生き方を…ニコニコ


私の人生を変えた手紙

(2011年9月7日のブログ記事より)

謹啓

 

初春の候と相成り、その後、御両親様には、お変りなくお暮しのことと思います。

 

お父さん、お母さん、喜んで下さい。

祖国日本興亡のとき、茂も待望の大命を拝しました。

 

心身ともに健康で、任務につく日を楽しみに、日本男児と、大橋家に、父と母の子供と生まれた喜びを胸に抱いて、後に続く生き残った青年が、戦争のない平和で、豊かな、世界から尊敬される、立派な、文化国家を再建してくれる事を信じて、茂は、たくましく死んで行きます。

 

男に生まれた以上は、立派な死に場所を得て大空の御盾となり、好きな飛行機を、我が墓標と散る覚悟であります。

 

親より先に死んで、親孝行出来ない事をお許し下さい。

 

お父さん、お母さん、長生きして下さい。
お世話になった皆様方に、宜しくお伝え下さい。

 

この便りが最後になります。

 

昭和二十年三月二十四日 遠き台湾の特攻基地より   茂

 

父上様 母上様

 

身はたとえ 南の空で果つるとも  とどめおかまし 神鷲の道

大命を拝して十八歳  茂

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

これは、台湾から特攻で出撃していった大橋 茂さんという18歳の青年が、遺書としてご両親に宛てた手紙です。

 

特攻で出撃した若者たちが、いったい何を感じ、何を考えていたのか…私はその本音を知りたいと、ずっと思っていました。

 

数年前に、陽なた家のしげちゃん からこの遺書の話を聞いて、涙が止まりませんでした。

その瞬間から人生観が変わりました。

 

私は、もし自分の子どもが車にひかれそうになったら、あるいは自分の子どもが川や海で溺れそうになったら、自分がそこに飛び込んで、子どもを助けるでしょう。

 

たとえ自分が死んでも、子どもの命は守りたい…

親なら、誰もがそう考えるに違いありません。

 

けれども、66年前に、特攻で出撃していった若者たちは、10代がほとんどで、結婚もしていなければ、当然、子どももいません。

 

その若者たちが、「後に続く生き残った青年が、戦争のない平和で、豊かな、世界から尊敬される、立派な、文化国家を再建してくれる事を信じて」 飛び立っていった…。

 

お父さんやお母さん、恋人、家族…

そういう具体的な対象があれば、人は、自己犠牲もいとわないと思うんです。

でも、彼らは、そういう具体的な対象を超えた存在である、後世に生きる私たちのために出撃していってくれたのです。

 

パイロットは、今でもエリートがなる職業ですが、当時は、なおさらその傾向が強かったと聞きます。

エリートで頭がよかった彼らは、戦争の結果がどうなるかを百も承知していた、それでも出撃していったのは、世界に 「負け方」 を示してくれたんだと思います。

 

それを示すことが、日本の復興に役立つと信じて…。

 

 

私たち日本人は、全員、「世界から尊敬される、立派な、文化国家を建設する」 という共通の使命を持って生まれてきました。

 

けれども、私は、この想いを今までストレートに表現することができませんでした。 「右」 って言われるのが不本意で、戦争が好きと誤解されるのがイヤで…。

 

でも、先日、東京で、『「また、必ず会おう」と誰もが言った』 が10万部を超えるベストセラーになった喜多川 泰さんとお会いする機会があり、この手紙のことをお伝えしました。

 

そしたら、喜多川さん、「白駒さんがおっしゃっていたのは、大橋 茂さんの遺書のことですよね?」 って、全文をメールで送ってくださったのです。

福島在住の喜多川さんのお知り合いの方が暗唱されたことに衝撃を受け、その方から全文を送ってもらい、喜多川さんも折りに触れてこの手紙を読み返すようになったそうです。

 

私は、しげちゃんから聞いた時はうろ覚えで、はっきりと人に伝えることができず、「こんな感じの遺書でね…」 と話すしかなかったのですが、わざわざ喜多川さんが送ってくださったということは、そろそろきちんとこのことを発信する時期が来ているのではないか、そう感じて、このブログでご紹介しました。

 

この記事を読んでくださった皆さまは、もうすでに、英霊たちからタスキを受け取っています。

 

自分たちの使命を果たすため、それぞれの立場でできることをしていきましょうね。 今日は、その第一歩を踏み出す日。

 

私も、「右だ」「左だ」 と言われたら、胸を張ってこう答えてやります。

「もういいかげん横を見るのはやめて、前を見ませんか?」 と…

 

茂さん、しげちゃん、喜多川さん、勇気をありがとうございますニコニコ

 

これから、講演会などでも、批判を怖れずにこういう話を発信していきたいと思います。

この想いを分かち合いに、ぜひ講演会にいらしてくださいニコニコ

 

宜しくお願いしますニコニコ


「怖いのはお母さんの涙」遺書に託した思い

(2013年12月10日のブログ記事より)

週末は両日講演があり、ゆっくり新聞を読めなかったので、遅ればせながら、今日ひと通り目を通しましたニコニコ

産経新聞九州・山口版に掲載されていた記事を読み、涙が止まらなくなってしまいました(;し;)

 

人間魚雷・回天で特攻出撃した青年の遺書をご紹介します。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。 胸は日本晴れ。 本当ですよお母さん。 少しも怖くない。 しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

 

それは、今日私が戦死した通知が届く。 お父さんは男だからわかっていただけると思います。 が、お母さん。 お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのではありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。

 

お母さん。 こんなことを考えてみましたら、私も人の子。

やはり寂しい。 しかしお母さん。 考えて見てください。

今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。

 

戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。

 

母さん。 今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。

 

だからね、お母さん。 今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。

 

でもやっぱりだめだろうな。 お母さんは優しい人だったから。 お母さん、私はどんな敵だって怖くありません。 私が一番怖いのは、母さんの涙です。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

「あなたは、日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった日を知っていますか」

この夏、NHKが実施した世論調査によれば、その正答率はわずか20%だったそうです。

 

終戦からもうすぐ70年。

評価したり、裁いたりするのでなく、当時の日本人の思いを受け止め、リレーしていくこと。

 

私たちに課された大切な使命ではないかと思います。


準備中です
暫くおまちください
震災
祈りましょう!!
(2011年3月12日のブログ記事より①)

午後からずっとテレビを見続けていますが、余震・津波・火災・寒さ…

胸がしめつけられるように痛いです(;し;)

 

命さえ助かれば、あとはなんとでもなります。

 

 

どうかご無事で…。

 

世界中の人たちが心を一つにして祈りましょう♡l

 

今は祈るだけですが…

 

離れていてもできることがきっとあるはず!!!

 

被災された皆さま、状況が落ち着いたら、ぜひ私たちにできることをお知らせくださいね。

 

だいじょうぶです、こういう時にこそ力を合わせるのが日本人です。

 

心配するより、信じて祈りましょう。

祈りの力はすごいということを、信じて…☆彡


世界から届いた日本への祈り☆

(2011年3月12日のブログ記事より)

 

国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長の声明です。

 

「日本は、今まで世界で助けを必要としている人達に対する
最大の支援国をしてきた国の一つだ。

国連は日本国民と共にある。

今度は私達国連の番だ。我々は全力を尽くす。」

 

世界中の人々が、日本のために祈ってくれています。

 

祈りは、きっと届きます!!

 

いま、世界中の愛が日本に注がれています。

 

こういう時だからこそ、みなで力を合わせて、これから始まる

救助と復興を、人類の財産にしていきたいですね!


「がんばれ」じゃなく・・・「がんばろう!」

(2011年3月13日のブログ記事より)

“平成の松下村塾” 群馬・いとう眼科 のbeji-taさんの記事、

とにかく感動です!

 

ぜひご覧になってください!!

 

http://ameblo.jp/papi-gyo/entry-10829382465.html

被災地の情報です!!

(2011年3月13日のブログ記事より①)

 

新撰組助勤さんのブログより…

 

◆3月12日20:25 『洋上のヘリポート、洋上の総合病院…』

 

それが『空母 ロナルド・レーガン』
同艦は救助支援経験は無いが、同形艦『空母 A・リンカーン』がスマトラ沖地震の際に、救援出動しています。
同艦の支援は非常に心強い。

 

 

◆3月12日20:44 『自衛隊、さらに増員へ』

5万人から8万人体制へ!

正に挙国体制での救援作戦です!

みんな 諦めるなっ! きっと大丈夫!

 

◆3月13日9:54 『活発化する救援活動』

 

陸自、空自、各県警から派遣されている広域部隊のヘリなどによる救助が活発化!

 

◆3月13日10:03 『仙台・若林区 本格救援行動開始!』

重機やトラック、救助犬投入!

 

 

◆3月13日10:05 『救援チーム、続々来日』

中国、タイ、米レスキュー隊午後到着予定!

 

 

◆3月13日10:08 『各国の支援部隊、続々日本へ2』

イギリスやドイツ…続々日本へ!

『東北を救え!』

 

◆3月13日10:11 『空母ロナルド・レーガン 仙台沖100海里で展開中』

更に10隻のアメリカ海軍艦隊が日本へ向け航行!

 

このような最新情報が、被災地の皆さまに届きますように…♡


世界から愛され、尊敬される日本☆

(2011年3月13日のブログ記事より③)

 

“平成の松下村塾” 群馬・いとう眼科のエムさんのブログより、

抜粋して転載させていただきます。

 

 

  • CNNで、大地震後でも信号を守って走っている車のことを、

驚異を持って伝えている。

強奪が起こらない事は勿論の事、 日本人の精神力は素晴らしいと…

 

  • 【外国人から見た地震災害の反応】

物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、

そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。
運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。
この光景を見て外国人は絶句したようだ。すごいよ日本…

 

  • 米国人の親友からまた連絡あり。
    暴動はないか、商店強奪はないか?くれぐれも身の安全を、

という事を言われた。
暴動も、商店強奪もなく、皆粛々と家路につ いている、

と説明したら日本人の高潔さ、法の順守姿勢はすごい、

と驚いていた。これは我々日本人が世界に誇れるものだと思う。

  • BBCのロンドン大学の教授の解説・涙出てくる
    要訳すると、この規模でこの被害規模というのは日本以外

では考えられない。地学的、歴史的に経験がある事を差し

引いても日本人の特異性、規律性、自律性、協調性を私達

こそ学ばなければならない

  • 今こそ世界が一つに。 中国版twitterは今、

「日本加油!(日本がんばれ!)」のツイートで溢れているそう。

ありがたいね~。

 

以上です。

 

次は、笑顔の匠 癒し人・アッキーから…

 

http://ideapad.jp/d9385fb4/show/

 

 

エムさん、アッキー、ありがとうございます♡

 

日本は、世界から愛されているんですね…♡


だいじょうぶ!!

(2011年3月13日のブログ記事より)

 

以下、群馬のいとう眼科の事務長・エムさんのブログを転記します。

すでにご存知の情報も混ざっていると思いますが、あらためて日本中の皆さんとシェアしたいと思いますニコニコ

 

CNNでもBCCでも絶賛されている。

 

「有史以来最悪の地震が、世界で一番準備され訓練された国を襲った。

犠牲は出たが、他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。

日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている。」

 

 

「ニュージーランドが被災した際、ニュージーランドの救助隊の側には常に日本人の救助隊がいた。だから今度は私たちが日本を助ける番だ。」

とラジオで流れてきた。

…まだ諦めるのは早いよ!

もう少しだから頑張って!

 

韓国人の友達からさっききたメール。

「世界唯一の核被爆国。

大戦にも負けた。

毎年台風がくる。

地震だってくる。

津波もくる……

小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが

日本なんじゃないの。頑張れ超頑張れ。」

 

(拡散希望)速報 トルコ、日本に100億支援。

さすが親日国!これを見て被災者が勇気が少しでも出る様、祈っています。 

 

CNNの専門家の言葉

「日本の国民はミラクルだ。被害は確定しないが、他国だったら数倍の被害になっていただろう。ハイチの500倍以上の威力の地震で津波到達まで5分しか時間のない中で、信じられない対応だ。この国民には常に準備がある。この国は常に非常事態に準備ができるのだ」

 

チリ人からメッセージが来た。

「僕らも1年前に同じように大きな地震を受けました。

その時からこれまでを強く支えてくれたのは日本人でした。

チリは日本に感謝しています。無事を祈っています。」

 

 

米国、韓国、中国、ロシア、欧州連合(EU)など38の国・地域から支援の申し出。

国連の潘基文事務総長は「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。

今回は国連が全力で日本を援助する」と(時事)

 

日本の強さがこんな時に始めて分かった気がする。

国の規模でも軍事力でもない、日本人の深いところにある思いやりの心。

世界がそれに応えようとしてくれてる。

 

ハリケーンカトリーナの時は、普段1$の水が10$で売られ、それを経済学者は”It’s market price.”と擁護したのです。

今回サントリーが自販機無料開放してくれたことを、忘れてはいけませぬ。

オバマさんは「必要なあらゆる支援を行うと申し出た」と、ゲーツ国防長官は「日本は洗練された国家だが、あまりにも大きな災害であり、要請があることは何でもやるつもりだ」と言ってくれているそう。

 

日本に住む外国人の友人から→

「スーパーに買い出しに言ったら床にばら撒かれた商品を黙々と拾う人々が。

みな横入りをせずに黙って列を作り、順番に並んでお金を払って買い物をしてる。

略奪は起きていない。超満員電車では高齢の方が妊婦さんに席を譲っているのをみた。日本はすごい」と

 

中国人の父が、地震発生後は食い入るように被災地の映像を見つめ、叫び、痛ましげに、ずっと、ずっと、悲痛としか言い様がない顔をしていました。誰よりも、日本の血の濃い私や母よりも。彼等の多くは、四川の恩も、人としての道理も忘れていません。

 

自分は今バンクーバーに住んでいるのだが、少し離れたこの地でも日本に向けての募金がスタートした。

UBC(近所の大学)生を中心に、本日付スタートで参加者は400名に上る。

これからもっと増えて、日本にいる人たちを少しでも助けられたらと思う。

みんな一緒に頑張ろう!!!!

 

世界の皆さん、ありがとうございます!!!

 

日本に来たこともない人たちまで、こんなに心配し、こんなに祈ってくれている…

こうして、顔も世界の皆さんと繋がっていることに、心から感謝します♡


全国の皆さまへ☆
(2011年3月13日のブログ記事より)

 

福岡でも、陽が西に傾いてきました。

 

被災地は、すでに暗くなり始めている頃でしょう。

 

 

太陽が沈むと、より強い祈りの力、言霊の力が必要だそうです。

 

各家庭が、あるいは企業やお店が、今夜も節電に努めながら、一人でも多くの人の命が助かるように、祈ってください。

 

言霊の力は、暗闇の中でも天照らす光となることでしょう。

 

一つ、皆さまにお願いがあります。

 

 

さまざまな方が、政権批判や原発への不安にフォーカスした記事を書いていらっしゃいますが、怒りや怖れは、最悪な事態に力を貸してしまいます。

 

思い出して下さい。

 

マザーテレサは、一度も反戦集会に参加したことはありません。彼女が参加していたのは、平和集会です。

 

 

今回の地震や事故で、政権の善悪や功罪、原発の是非などを知らしめよう…などと、けっして今は考えないでください。

 

 

対立や言い争いをやめ、怒りや怖れを祈りのパワーに変えて、被災地を、傷ついた人々の心と身体を、癒しましょう♡

 

祈る、ただひたすら祈る…

そして、節電。

 

今夜、日本を世界で一番暗い国にしましょう。

 

だいじょうぶ、私たちは、生きているだけで、誰かの光になっているのですから…!!!


「不屈の日本」・・・米誌称賛!

(2011年3月13日のブログ記事より)

 

<東日本大震災>「不屈の日本」…米紙称賛

毎日新聞 3月13日(日)17時59分配信

 

【北米総局】 東日本大震災を受け、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は、

12日、「不屈の日本」と題する社説を掲載した。社説は地震大国日本の技術力と「備え」をたたえ、「日本は経済が低迷し、政治家の失態に国民の大部分は当惑しているが、間違ってはいけない。日本の産業力は依然として偉大だ」と述べた。

 

社説は「1億2600万人以上が住む島国が、(大規模)地震にいかに持ちこたえたかについて言及せざるを得ない」としたうえで、日本が100年以上にわたり「建物の耐震化をしてきた」と指摘。「今回の地震で高いビルは持ちこたえたようだ」と分析した。

 

93年完成の横浜ランドマークタワーに触れ「高さ971フィート(約296メートル)は地震大国では驚異的。最先端の建築工学を駆使できる技術と富があって初めて可能になった」と評価。また07年導入の緊急地震速報を「世界最先端の技術」と紹介し、11日の地震発生時にも「高い評価を得た」とたたえた。

 

また米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は11日、阪神大震災当時に東京支局長だったニコラス・クリストフ氏の「日本へのお悔やみ、そして称賛」と題するコラムを掲載、

日本人の精神力の強さをたたえ、復興に向けてエールを送った。

 

クリストフ氏は、阪神大震災時の取材で、崩壊した商店街で略奪がほとんどなかったことや、支援物資の奪い合いが生じなかった事例を紹介。「我慢」という日本語を引き合いに「日本人の忍耐力や冷静さ、秩序は実に高潔だった」と説明し、「今後、それらが示されるだろう」と期待を寄せた。


日本人だから・・・・

(2011年3月15日のブログ記事より)

世界中が日本のために祈ってくれています。

 

そして、世界中が日本人に感動してくれています。

 

 

「なぜ、日本人はこれほどの惨事のなかで、暴動も略奪もなく、冷静、沈着に行動できるのですか?」

 

 

この問いに対して、

「これが日本人なのです」

と、私は答えたいと思います。

 

ひじょうに高度な精神性を持った悟りの文化。

 

それを連綿と伝えてきた日本人…。

 

被災地の方々が、このような状況でも冷静、沈着に行動していらっしゃるのに、私たちが絶え間なく流れる情報に右往左往し、取り乱していては、本末転倒です。

 

 

この時代に、この日本に生を享けたことに心から感謝し、今日も平常心で、心をこめて丁寧に生きましょう!!!

 

 

そして、自分の心を平和に穏やかにして、目の前から平和を広げていきましょう!!!

 

だいじょうぶ、私たちには、日本人の DNA が宿っているのですニコニコ

 

今日は全国的に冷え込むそうです。

 

 

心をポッカポカに温かくしてお過ごしくださいね♡


「大丈夫です!また再建しましょう!!!」
(2011年3月16日のブログ記事より)

 

まずはこの動画をご覧ください!!!

https://www.youtube.com/watch?v=uyqC9FvNj6
今にも倒壊しそうな家から、42時間ぶりに救出されたおじいちゃん♡

 

 

満面の笑みで…

 

「大丈夫です!」

 

 

そして、力強く…

 

「また再建しましょう!!」

 

いやぁ、感動しました♡

 

「笑顔で、希望の第一歩を踏み出そう」 って、ようやく気持ちを切り替えたところなのに、おじいちゃんが、被災地で、すでにその第一歩を踏み出していたなんて…♡

 

しかも、このおじいちゃん、

 

「チリ津波も体験しているから大丈夫!」

 

ですって!!!

 

言葉の重みが違う…!!

 

経験に裏打ちされた言葉だったんですね!!!

 

人間の可能性って、素晴らしいですね♪

 

おじいちゃん、勇気と希望をありがとうございますニコニコ


宇宙からのメッセージ☆

(2011年3月16日のブログ記事より)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
空はけして真っ暗じゃない。
地震発生直前に撮影したオーロラです。
少しでも皆さんの心が晴れますように。
撮影はアラスカ遠征栗城隊ケイさん
(拡散希望。沢山の人の心を暖めたいです)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

栗城クンは、無酸素で、しかも単独で、世界の名だたる山々の登頂に成功している、若きアルピニスト。

 

 

子どもたちに、「やればできるよ」 という素敵なメッセージを発信し続けてくれています。

 

 

これが絵ではなく写真なんて、信じがたいですね。

 

 

宇宙は広い…

 

この広い宇宙の中で、この地球という星に、そして今の時代の日本にお互い生まれたことに、心から感謝♡


伝えたいこと!

(2011年3月17日のブログ記事より)

 

驚きました!!!

 

そして…感動しました♡

 

 

 

このような状況で、現場の生の声を伝えてくださる方がいらしたとは…!!!

 

 

ブログの主は、cao さん♡

 

笑顔のかわいい女の子の赤ちゃんのママですニコニコ

 

まずは彼女からのメッセージをお読みになってください!!

 

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

本当に本当に本当に本当に・・・。みんなありがとう。

まだ、爽空は目を覚ましません。

がんばれ
・・・がんばれ!!

肺炎になっていて
体温も運ばれた時は
33.0゜でした

本当に冷たくて・・・
こんなにも小さな手で
全身震えさせながら・・・
必死でcaoの服を掴んでいたんです

爽空の口にも泥水が
たくさん入って
本当に怖くて

ドンドン人が流されて
たくさんの人叫んでて
怖くて怖くて
みんなが助けを求めてて

爽空も必死に生きようと
何度も息が出来なくなって
それでも必死で咳を出して
嘔吐をして・・・

小さな身体で
一生懸命生きて、生きて、
生きてくれて・・・

まだ治療室だけど、
大丈夫!!
絶対絶対この子は生きてくれる!!

だから
みんなも信じてください。

また一緒に笑える日が
来ることを
祈っていてください。

ねぇ、爽空??
また「まんま~」って
笑いかけてくれる??

爽空は甘えん坊の
女の子だもんね・・・^^*

大丈夫、
caoはずっと側にいるよ。

病院へ来て、
初めて目にする世の中の状況に・・・
言葉がありません。

自分がいた悪夢のような現実
生きていられたことが奇跡で・・・
本当に。

今もまだあの状況下に
たくさんの人達が
助けを求めて待っています

ヘリの音がすごいんです
助けを求めている声が消されるんです

どうか・・・
どうか一台でも減らしてください

ヘリに手を振って
サインを送ったんです
でもヘリは
別の場所へ遠ざかっていきました

今思えば
報道のヘリだったのだと
わかります。
でも、それが
その行動が
どれ程!
どれ程被災者に絶望を与えるのか・・・

本当に本当に・・・
生きる気力がなくなるんです

どうか・・・
どうかインタビュアーさん、
被災地へ行き来出来る余裕があるのならば、
その移動車で
被災者を運んでください
食料を、おむつを運んであげてください

報道されていない現実
現状がたくさんあります

私達がいた避難所
・・・というか、
生き残った建物の上。
一切テレビに映りません。

テレビに出ている専門家たちの声。
-寝て、少しでも体力を温存してください-

寝られるわけがないんですよ。
寒いんです!
余震がすごいんです!

現地の状況はそんなもんじゃない

テレビに映っている
避難所はまだいい場所ばかりです。
まだまだ物資が行き届いていない避難所、
避難所とさえも呼べない
“かろうじて避難している場所”
で助けを待っている人達が
たくさんいます

メディアの皆さん、
生き延びたみんなを!
避難所をもっと映してください!

停電する事に対してどう思いますか?
とか
政府の対応が遅い事にどう思いますか?
とか・・・

心配している人達が
連絡がまだまだ取れない人達が
たくさん、たくさん!いるんです

みんなも突然の停電や
交通不便で
すごく大変だと思う・・・

でもどうか、
協力してください

まだまだ
まだまだ・・・
水がなく、暖房も効かず、
電気もつかない真っ暗闇で
助けを求めている人がたくさんいます

本当に怖いんです・・・
本当に寒いんです・・・

外は雪が降っています。

どうか命を
助けてください・・・

仙台の家族の安否
未だ連絡がつきません。
どうか生きてて!!

みんな
すごく心配してくれて
ありがとう、
本当にありがとうございます・・・

caoのblog、
みんなで広めてくれたんだね

caoの声、
みんなで受け止めていてくれてたんだね

soulaの笑顔、
読み返して見てくれたってね

ね??
とってもラブリーな笑顔で
笑ってくれるんです。

また笑って・・・
また一緒に笑おう??

たくさんのコメント
メッセージ

本当に嬉しくて
有り難くて
励まされて
涙が出ます・・・

必ず一人一人に
返事を書きます

もう少しだけ
待っていてください

首都圏でも、
節電してくれていたり、
みんな助けてくれて
ありがとう・・・

私達が搬送された時、
ロビーは人で溢れかえっていました。

caoなんて
まだまだいい方なんだ

生きていられたんだから!!

みんな大変なんだ
みんな辛いんだ

被災者だって辛いけど
ニュース見て何も出来ないって
そんな自分が悔しいって
みんなだって辛いんだよね・・・

突然の停電や、混乱・・・
みんなだって大変だよね

それなのに、
こんなに沢山応援してくれて
みんな本当ありがとう

みんなのその気持ちが
私たち東北人に
どれ程パワーをくれているか!!
みんながパワーくれてるんだ!!

大丈夫!!
東北人は強ぇんだ!!

爽空、生きろ!!

絶対また笑える!!

いつか必ず
みんなのところへ
会いに行くよ!!

その時は
最大級のhugsをしよう!!

だからみんなで
がんばっぺ

 

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

 

 

caoさんの心の叫び、みんなで受けとめるから…♡

 

soulaちゃん、生まれてきてくれてありがとう☆

 

 

caoさん、soulaちゃんを守ってくれて、そしてともに生きててくれて、本当にありがとう~ニコニコ


自衛隊員の皆さんへ感謝の気持ちを込めて・・・

 

(2012年3月19日のブログ記事より)

千葉でパチンコ屋さんを経営しているてっちゃん は、いつもブログを通して笑顔と感動を伝えてくれていますが、そのてっちゃんのブログから、どうしても皆さんとシェアしたい記事を見つけたので、転載させていただきますねニコニコ

 

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

パチンコ業界の人材育成に特化している、

フェイスホールディングス小倉さんのメルマガを読んで、
めちゃくちゃ感動してしまいました。

深く心が動かされたので、シェアしたいと思います。

----------------

◆ 自衛隊員の皆さんへの深い感謝の気持ち ◆

どうしても書かずにはいられない。

自らのすべてを投げ打って人命救助と復興支援に奔走する自衛隊の皆さんに対する深い感謝と敬意の気持ちを伝えずにはいられない。

昨日のコラムで「正々堂々と胸を張って仕事をしよう」と書いた。
その手前、震災関連のコラムは書くまい、と決めていた。

しかし、許してほしい。どうしても書かずにいられないのだ。

以下は主にインターネットを通じて入手したニュースやツイッター、ブログなどをソースとした情報だ。

そのため、若干の正確さに欠けるかもしれない。しかし、たとえそれを差し引いて考えたとして、おそらく僕の気持ちに何一つ変化はないだろう。

深く頭を垂れ彼らに感謝し、心から敬意を表したい。

・自衛隊員は、災害支援を最優先とし、たとえ自分の家族が行方不明であったとしても、他人の救出を続けている。

・自衛隊員は、被災者の方に対して温かい食事を炊きだしで提供する時も絶対にそれに口をつけない。そして自らは冷たい缶詰の米を食べる。

・自衛隊員は、被災者の方に対して温かい風呂を用意する時も絶対に自らが入ることはない。そして氷点下の雪の下で水のシャワーを少しずつ浴びている。

・人を殺した数よりも助けた数が多い軍隊は世界中で自衛隊のみ。現時点で既に1万人を救出している。

・24時間交代で休憩3時間。

・パパの仕事  旦那さんが自衛官の友人より。以前息子さんが 「パパは戦争がお仕事?」 と涙ながら聞いてきた事があったそうだ。誰かの心ない言葉に傷ついたんだろう。 今、息子さんは毎日TV画面に向かい「パパ頑張れ、パパのお友だち頑張れ!」と叫んでるって。「僕も自衛隊になる!」って。…通勤中に号泣。

・ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、「大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、「自衛隊なめんなよ。いま無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ」

 

・自衛隊の友人より 「少し歩く度に死体ばかり。一人ずつ生存確認をしていく。サイレンが鳴り響く中、上官から言われたのは 『一斉に救助者がすがりついてきても絶対に笑顔を絶やすな。絶対に泣くな』 泥だらけの救助者達が、力の入らない手で俺の手を握り「ありがとう」と言われる度に涙を堪えるので精一杯」

 

・災害支援で現地に行っている、自衛隊員の友人からのメール。
『子供の遺体を収容した幼稚園くらい。兄弟だろうか、抱き合ったまま、亡くなっていた。子持ちの仲間は、肩を震わせていた。でも、俺たちは泣くことはできない。この町が復興するまで、俺たちの涙なんか意味がないから』

ここまで書いてあることに気づいた。

「正々堂々と胸を張って仕事をしよう」

昨日、そうコラムに書いたから、震災関連のことを書くのはよそう、と考えていた。

しかし、それは浅はかな考えだった。

上記のような自衛隊の方々の献身ぶりを知ることこそが、最高の仕事の教科書になるのではないか。これこそがプロフェッショナル。これこそが仕事の素晴らしさではないか。そう思ったのだ。

 

最後に、かつて、防衛大学第1回の卒業式にて、当時の内閣総理大臣であった吉田茂の言葉を記して本コラムを終わりにしたい。くどいようであるが、命を賭けて、すべてを犠牲にして、人命救助と復興支援に奔走する自衛隊員の皆さん、そして、警察、消防、東京電力社員他、すべての方々に心からの感謝の気持ちと深い敬意を表したいと思う。

昭和32年2月  防衛大学第1回卒業式にて

君たちは自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。

きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。ご苦労だと思う。

しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、

外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか

国民が困窮し、国家が混乱に直面している時だけなのだ。

言葉を換えれば、君たちが日陰者である時のほうが

国民や日本は幸せなのだ。

どうか、耐えてもらいたい。

内閣総理大臣 吉田茂

★★★★★★★★★★★★★★

自分は、前まで自衛隊の人達に、
心から感謝したことがありませんでした。

今となってはとても恥ずかしいことです。

今も、私の住んでいる浦安は、断水状態が続いています。

自衛隊の人達が、給水車で学校に来てくれていて、
給水してくれています。

寒い中でも、外でずっと立ってくれています。

ただ感謝しかありません。

そして、昨日から本当に冷え込んでいて、
その中でも、休みなく、
救助活動をし続けてくれている自衛隊の皆様に、
心から感謝の気持ちでいっぱいです。

命を削り、不眠不休で、
自衛隊の方も、
消防の方も、
警察も、
お医者様も、
政府関係者も、
頑張ってくれています。

前代未聞の大震災。
もちろん、誰もが初めての経験。
その中で一生懸命にやってくれています。

心からの感謝の気持ちを持ちたいです。
非難することなく、まず自分が、何ができるか考えて行動したい。
そう思います。

みんなが命を削って、
頑張ってくれている中、
自分が何ができるんだろうあらためて考えます。
自分の使命に命かけれるんだろうか?

問い続けます。

本当に自衛隊の皆様、心から感謝します。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

 

以上が、てっちゃん のブログです♪

 

 

てっちゃんが住んでいる地域は、液状化の上に水道もガスも止まっていて、さらに計画停電……当然、生活に支障を来たしているはずなのに、てっちゃんは周辺に住む友人・知人に 「何かお手伝いできることはありませんか?」 って言って、本当に手伝ってくれているんです♡

 

被災地の方々に対して何もできないって嘆くよりも、「こういう善意を、そして笑顔をリレーしていきたい」 って強く思いました。

 

被災地の方々のお気持ちを思うと、ついついいろんなことを自粛してしまいがちになりますが、すべてを自粛してしまっては、日本経済の回復がどんどん遅れてしまいます。

 

バンバン仕事して、義捐金をいっぱい寄付すると同時に、経済活動もちゃんと行って、日本経済の再生に一役買いましょうねニコニコ


原発にも愛と感謝を・・・☆

(2012年3月19日のブログ記事より)

 

私は、昨年の夏から秋にかけて、抗がん剤治療を受けました。

 

その時、「抗がん剤は、健康な細胞にまでダメージを与えるから、絶対にやらない方がいいよ」 って、いろんな方がアドバイスをくださいました。

 

 

私自身、かなり悩みました。

でも、家族の気持ちを考え、治療に踏み切りました。

 

 

抗がん剤治療を選択した以上、怖れや不安を手放し、現実を受け入れようと思いました。

 

 

そして、ガンという病気、抗がん剤という薬にも愛と感謝を注ごうと思い、ガンのことを 「ポンちゃん」、抗がん剤を 「抗ポン剤」 と呼ぶようにしました。

 

それだけで、病気にも、薬にも、そして自分の身体に対しても、なんだか愛着がわいてきました。

 

 

毎回およそ6時間点滴を受けるのですが、その間、ずっと

「ありがとう、ありがとう♡」

っていう想いを持ち続けました。

 

 

そうしたら、周りの人たちも、看護師さんたちもびっくりするくらい元気で過ごすことができ、副作用もそんなに辛くありませんでしたニコニコ

 

 

こういう状況で、こういう記事を書くことはすごく勇気がいるのですが、でも、その時の経験からたどり着いたことを、敢えて皆さんにお伝えしようと思います。

 

誰も、苦しめようと思って、抗がん剤や原発を開発したわけではないと思います。

 

 

 

開発した人、推進した人…

その人たちなりの愛がベースにあったのだと信じます。

 

 

 

それに、抗がん剤だって、副作用に苦しむ人も多いけれど、そのおかげで命が助かっている人もいるはずです。

 

 

 

原発だって、ずっと私たちの生活を支えてきてくれた…

 

なのに、ひとたび事故が起きたら、みんなから寄ってたかって批難され、怖れられ…(;し;)

 

たしかに、放射能は怖いです。

 

 

でも、怖れからは何も生まれない、

怖れは、最悪の結果を引き寄せるだけです。

 

今こそ、愛と感謝を注ぐ時なのではないでしょうか。

 

まずは、福島第一原発の1号機、2号機、3号機、4号機、5号機に、愛着の持てるようなニックネームをつけたいですね♡

 

 

何かいいネーミングを思いついた方、ご連絡お待ちしてます♪

 

最後に…

 

処女詩集 『くじけないで』 が150万部のベストセラーとなっている柴田トヨさんの詩を、転載させていただきますね。

 

 

被災者の皆様に

柴田トヨ

 

 

あぁ なんという

ことでしょう

テレビを見ながら

唯 手をあわすばかりです

 

皆様の心の中は

今も余震がきて

傷痕がさらに

深くなっていると思います

その傷痕に

薬を塗ってあげたい

人間誰しもの気持ちです

私もできることは

ないだろうか? 考えます

もうすぐ百歳になる私

天国に行く日も

近いでしょう

その時は 日射しとなり

そよ風になって

皆様を応援します

 

これから 辛い日々が

続くでしょうが

朝はかならず やってきます

くじけないで!


奇跡のバラ☆
(2011年3月20日のブログ記事より)

今月初めに、2ヵ月も咲き続ける “奇跡のバラ ” のことをブログに書かせて

いただきましたが、なんとあのバラが、さらに2週間経っても、美しく、凛と

咲き誇っています


このバラは、1月8日のひすいこたろうサンと私のコラボ講演会の時に、花職人・まっちー さんが、参加者の皆さまに1輪ずつプレゼントしてくださったものです。

 

この講演会に小1の息子の担任の先生がお越しくださり、先生が持ち帰られたのが、このほんのり薄いピンクのバラだったのです。

 

教室の廊下に飾られたバラ…

普通なら、わんぱくざかりの子どもたちが、休み時間になるとパァーッと廊下に駆けだして行きそうなのに、そこにバラがあるだけで、子どもたちは花にぶつからないように気をつけて教室を出て行きます。

 

一輪のバラが、子どもたちの優しさを育んでくれているんですね♡

 

 

1年5組の廊下になくてはならなくなったバラの花…

「18日の卒業式まで咲き続け、卒業生を見送ってくれたら嬉しいなぁ」

と思っていたのですが、卒業式を過ぎても、変わらない美しさ、きっと24日の修了式、さらに4月5日の始業式と、子どもたちの進級を祝ってくれそうですニコニコ

 

 

実は、息子のクラス、インフルエンザが猛威をふるって、先週の火曜日から学級閉鎖になっているんです(;し;)

 

子どもたちが学校に来なくても、誰にも見られなくても凛と咲き続けるバラは、まるで “希望” を象徴しているようですね☆彡

 

時として、自然は厳しく、人間の無力さを思い知らされますが、自然には無限の優しさもあります。

 

太古の昔から、その自然を敬い、自然と共生してきた日本人…。

 

今回の原発事故は、技術ややり方が問題なのではなく、私たちの“あり方” が問われているように思えます。

 

本来の日本人の生き方をもう一度思い起こすきっかけにしたいですねニコニコ


覚悟と勇気☆彡

(2011年3月21日のブログ記事より)

いつも、とびっきり素敵な笑顔で、周りの人たちをハッピーにしてくれる

笑顔人(^^♪ ひとりさん ♡

 

 

2月のブログに、ひとりさんもアンパンマンの歌詞をご紹介くださっていますが、私の目にとまったのは、アンパンマンの生みの親であり、この歌詞をつくった やなせたかしサンのインタビューですニコニコ

 

皆さんとシェアしたいので、転載させていただきますね。

 

ちなみに、やなせたかしサンは、“手のひらを太陽に” の作詞もなさっているんですね♪

 

<アンパンマン誕生のきっかけは?>

「仮面ライダーやウルトラマンなどが正義のための戦争で怪獣をやっつけて活躍していた。でも、みんなが助けを 求めるのは、どんな時だろうか。 本当の正義の味方は、道に迷ったり、転んだり、おなかがすいたような困った時に助けてくれるような人だろう。 そんな身近正義の味方を作りたいと考えたんだ」

<どんなメッセージが込められているんですか?>

「アンパンマンは、正義のために戦っても、パンの体は雨に弱いし、汚れると食べられなくなって、ぼろぼろになる。 みんなも禁煙電車の中で、たばこを吸う人に注意をしたら “よけいなこと”と殴られるかもしれない。 正しいことをするには、自分自身も傷つく覚悟が要る。 でも、勇気をふり絞って行わなければいけないこともあるんだ」

 

皆さんも、「きれいごと」 という言葉や 「偽善者」 呼ばわりされて、傷ついたことはありませんか?

 

私は、何度もあります。

 

でも、傷ついている場合じゃありませんね。

 

自分自身が傷つくことを覚悟して、正しいことをし、信じる道を進んでいきましょう ☆彡


アンパンマン』の歌詞、ご存知ですか?

(2011年3月21日のブログ記事より②)

【作詞】やなせたかし
【作曲】三木たかし

 

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

 

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!

 

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

 

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

 

 

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

 

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

 

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

 

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

 

 

 

 

昨年の秋、ixy cafe で、シンガーソングライターであり、合唱作曲家の弓削田健介クン のホームコンサートに参加させていただきました。

 

 

初めの曲が流れだし、1分も経たないうちに、隣りの席に座っていたひすいこたろうサンの目に涙が…(;し;)

 

 

ゆげちゃんの歌声、本当に素晴らしいんですニコニコ

 

 

このコンサートで、ゆげちゃんは自分のつくった歌を中心に、メジャーな歌も披露してくださったのですが…

 

私が最も感動したのが 『アンパンマンのうた』 だったんです♡

 

 

キーボードで弾き語りをしてくれたゆげちゃんの優しい歌声と、その生きる喜びに満ちた素敵な詩が、見事にマッチして、それは私にとって忘れられない一曲になりました!!

 

震災から10日…

「さぁ、悲しみに暮れるのはもうやめて、これから日本がもっといい国になるように、力強く立ち上がろう」 と思った時、頭の中で心地よいメロディーが鳴り始めたんです。

 

 

ああ、あの時のアンパンマンのうた…♪

 

 

 

皆さんとシェアしたいと思い、全歌詞を掲載させていただきました!!

 

 

被災地で、子どもたちに声高らかに歌ってほしいなぁ(*^-^*)

 

 

 

ところで、私には素朴な疑問があります。

 

世界中の芸能界やスポーツ界から、多くの方々が義捐金をお寄せ

くださっていますが、政界からの義捐金って、とんと聞かないですよね?

 

 

政治家の寄付って、禁止されているのでしょうか?

 

 

それとも、「人気取り」「票集め」 と揶揄されるのがイヤで、寄付したことを黙っているとか…??

 

 

多くの政治家の個人資産は、一般の人たちよりもかなり多いと思うのですが、その一部を寄付しようという心温かい人がいれば、私は次の選挙でその人に投票したいです!!

 

 

ぜひマスコミにも公開していただきたいですし、もし政治家の方々の寄付の状況をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてくださね!!


(2011年3月21日のブログ記事より③)

平成23年3月19日現在、自衛隊による救助者数は、約19,430名。

先日、「自衛隊の皆さんに感謝の気持ちをこめて… 」 という記事を書かせていただきましたが、今回は、なんとも微笑ましいショットを見つけましたニコニコ

 

 

極度の緊張が強いられる中、子どもたちとの交流で、きっと自衛隊員さんたちの心は癒されたことでしょう♡

 

19日には、仙台にある東北高校野球部が、春の選抜に出場するために、被災地から甲子園へと旅立っていきました!!

 

野球部員たちは、あの日から1週間、学校近くの給水所で毎日お手伝いをしてきましたが、この日も、ギリギリまで手伝ってからの出発だったそうです。

 

大正時代に高校野球の全国大会が始まってから、優勝旗は白河の関を越えたことがありませんでした。

 

それが、7年前の夏に北海道代表の駒大苫小牧が優勝し、一気に津軽海峡を越えたのです。

 

 

でも、残念ながら、東北地方は準優勝が最高で、未だに優勝旗を手にした高校はありません。

 

 

東北高校野球部には、この春、ぜひ甲子園で活躍してほしいです!!

 

そして、被災地に、明るいニュースが届きますように…♪

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優しさにもいろいろあるよね☆
(2011年3月22日のブログ記事より)

 

10代から20代にかけて、旅行が大好きで、国内外を問わず、さまざまな土地を旅しました。

 

あれは、いつだったかな、今でいう “女子会” のようなノリで、女子のグループで電車で旅をした時のこと…

 

一人の子が、切符をなくしてしまい、改札お手前で立ち往生(;し;)

 

 

ポケット、かばんの中…

いろいろ捜してみたけれど、見つかりません(;し;)

 

「ホームや階段に落ちてるかもしれないから、一緒に見に行こう」と、私は、すぐに駆けだそうとしました。

 

 

すると、一人が、こう言ったのです。

「私、ここで荷物見てるから、行ってきて」

 

 

えっ…!?

一緒に見に行かないの?

〇〇ちゃん、優しくないなぁ~(>し<)

 

そんな空気が漂いました。

 

 

でも、私は、彼女がとっても優しいことはわかっていました。

ただ、彼女はいつも人と違う視点を持っていて、表現方法が独特

だったのです。

一緒に見に行くという行為だけが、優しさじゃない。

私が代表してみんなの荷物を見てるから、みんなは手ぶらで行ってきて…

それも、溢れるほどの優しさなんだなぁって、気づきましたニコニコ

 

実は、こんな20年も前の話を思い出したのには、わけがあります。

 

ブログでご縁をいただいたサムライ菊の助さん のブログに、俳優の辰巳啄郎さん の記事が紹介されていました。

 

 

辰巳さんは、被災地にお知り合いの方がたくさんいらして、その方々が伝えてくれた現場の生の声を、ブログを通して発信してくださっていました。

 

 

現場の状況は、私たちの想像をはるかに超えていて、テレビなどの報道からは窺い知ることのできない凄惨な事実を知ることができました。

 

その中で、特に印象に残ったのが、この言葉です。

以下、辰巳さんのブログから転載させていただきます。

 

「今、来ていただいてもやれることは殆どないんです。それよりも、復興に向かって立ち上がった時に、是非、力を貸してくださいね。」

そうなんです。地震から10日、まだまだ救援活動の段階なんです。

情報の入り乱れる原発騒動に、相次ぐ余震。被害者の数すら掴めていません。明るい報道(これもテレビの使命だと思います)や、作り込んだ映像が増えて来ましたが、復興が始まるのは、特に沿岸部では、かなり先のことになりそうです。

その日まで、しっかり力を蓄えておかなければ… そう自分を納得させながら、自分自身出来ることを続けながら、一刻も早く現地へ赴いて何か出来ないか、悶々としています。

 

ここまでが、辰巳さんのお知り合いの方の言葉、そして辰巳さんの想いです。

この記事を読んで、私が思い出したのが、旅行の時のエピソードだったのです。

 

 

すぐにでも被災地に駆けつけて何かお手伝いをしたい、

義捐金だけでなく、援助物資を送りたい…!!

 

いろんな想いがわいてきて、あせるばかりですが、自己満足の優しさでなく、実際に被災地にいらっしゃる方々が望むことをしていきたいと、気持ちを新たにしました!!

 

菊の助さん、辰巳さん、ありがとうございます☆彡


どの土地も素晴らしい♪
(2011年3月23日のブログ記事より)

 

私は、ご依頼があれば、航空会社に勤務していた頃の経験を生かして

接客マナーや接遇の講演や研修をさせていただいていますが、近ごろ、

ありがたいことに、観光業に携わる方々に対して、“おもてなしの心” をテーマにお話しする機会をたびたびいただいています(*^-^*)

 

 

仕事って…? 幸せって…?

おもてなしをする上で大切な考え方は…?

相手を大事に思っている気持ちをどのように表現すれば相手に伝わるか?

 

などなど、受講してくださる方やいただいた時間に合わせて話を進めていくのですが、私の考える究極のおもてなしは、スキルではないのです。

 

 

そこに住んでいる人、そこで生まれ育った人たちが、その土地に愛着と誇りを感じて、とびっきりの笑顔でその土地を訪れる人たちを迎えること

…それが、究極のおもてなしだと思っています!!

 

 

ですから、いつも講演や研修の初めに、「この町の自慢できるところ、大好きなところを教えてください」 と受講者にお願いします。

 

 

景色、グルメ、おみやげ、歴史、文化、イベントやお祭り…

いろんな角度から、いまご自分が住んでいる町の良さを検証してもらいます。

すると…

一気に緊張が解けて、受講者の皆さんのお顔が、なんとも言えず幸せそうな笑顔に変わるのですニコニコ

 

 

皆さんからのご意見を聞きながら、私も笑顔…ニコニコ

 

そして、仮に初めて訪れる町であったとしても、皆さんのご意見を聞いているうちに、たまらなくその町が魅力的に思えてきますニコニコ

 

逆に、土地に対する愛着と誇りに欠けると、どれだけ接客が素晴らしくても、

なんだか物足りない印象なんです(´・・`)

 

 

こういう研修を何度もさせていただいて、思うのは、昨今のパワースポットブームが、実はちょっと方向性がおかしいのではないかということ。

 

去年一年で、伊勢神宮の参拝者が800万人を越えたそうですが、もしその800万人が、伊勢神宮というパワースポットからエネルギーをもらおうとしているのだとしたら、それはちょっと違うんじゃないかなぁ。

 

 

土地からエネルギーをもらうのでなく、自分の生まれ育った土地、自分の住んでいる町、自分が訪れた町の素晴らしさに気づき、その土地に愛着と誇りを感じると、その土地に愛が溢れ、エネルギーが高まっていく…

それが本当のパワースポットなんじゃないかしら☆彡

 

 

そう、愛に溢れた私が、あなたがいる所がパワースポットなんですよね☆彡

 

 

 

日本中がパワースポットになるように、みんなで自分にご縁のある土地に思いきり愛を注ぎましょうね!!

 

終戦後も、阪神大震災のあとも、世界中がびっくりするぐらいの早さで復興できたのは、みんなが愛を注いで日本中がパワースポットになったからだと思います。

 

 

奇跡の復興、それは日本全国パワースポット化計画!!

 

 

今までもそうであったように、これからも、日本人に生まれたことに誇りを思えるようなエピソード、日本中のいろんな土地に伝わる愛に溢れたエピソードを拾い集めて、お伝えしていこうと思います。

 

これからもますます宜しくお願いいたします☆彡


天皇・皇后両陛下の想い☆

(2011年3月26日のブログ記事より)

 

わが家は産経新聞をとっていますが、その中に、感動的な2つの記事を見つけました。

天皇・皇后両陛下の深い愛と祈りを感じ、涙が止まりません(;し;)

 

◆両陛下、「自主停電」お続けに

2011.3.24 21:30

 

天皇、皇后両陛下が、東日本大震災の被災地に思いをはせ、お住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を続けられていることが分かった。

「国民と困難を分かち合いたい」という趣旨で15日に始めたもので、宮内庁の羽毛田信吾長官らによると、陛下は「寒いのは(服を)着れば大丈夫」とおっしゃっているという。

両陛下は計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電時間に合わせ、1回約2時間にわたり、明かりや暖房といった電気の使用を一切控え、時にはろうそくや懐中電灯を使いながら過ごされているという。暗い中で夕食を取られることもあったようだ。

両陛下は、第1グループで停電が計画されたものの、実際には電力供給が逼(ひっ)迫(ぱく)せず、停電がなかった日も、当初の計画時間に合わせ、自主的な停電を実行された。15日から23日までは1日も欠かさずに行い、スケジュールに合わせて同じ日に朝晩2回、電気を止められた日も複数回あったという。宮内庁東宮職によると、皇太子ご一家も、同様の「自主停電」を、お住まいの東宮御所で行われているという。

計画停電では、皇居のある東京都千代田区は対象地域になっていない。

 

那須御用邸の風呂を開放 両陛下のご意向で

2011.3.24 15:48

 

宮内庁は24日、両陛下や皇族方が静養に使われている那須御用邸(栃木)で職員が使用している風呂を、近隣地域にいる東日本大震災の避難者に開放すると発表した。また、同県の御料牧場で保管している卵約1千個や缶詰、野菜などを避難所に提供する。いずれも、両陛下のご意向を受けて決めたという。

風呂の提供は26日にも開始。バスで送迎し、最大で週に300人程度の避難者が入浴する見通し。健康相談も受け付ける。

御料牧場では牛乳も生産していたが、地震で原乳の処理施設が損傷し、現在は生産できない状態になっているという。

 

日本という国は、守られているんですね♡!!

 

そして、どんな時も天皇・皇后両陛下は私たち国民の想いに寄り添ってくださっているんですねニコニコ

 

ところで、2月に東京で開催された私の講演会に来てくださった方が、群馬から、被災地の釜石を訪れた時の映像を見ることができます。

マスコミの伝えない生の姿が映し出されています。

すべて見たら1時間近くかかりますが、ぜひご覧ください。

 

東日本巨大震災 石巻市 ありがとうproject (PC用)

 

① http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/4/ds7jm3ZNvJU

 

② http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/3/RNP89pEXaY8

 

③ http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/2/U5__yCC94Ig

 

④ http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/1/4K4o66MvFUg

 

⑤ http://www.youtube.com/user/arigatou222#p/u/0/ncioMwX1Itc

 

 

YOUTUBEでの検索は「ありがとうプロジェクト」

ID名は arigatou222 です。


福島県産、茨城県産を買おう!!

(2011年3月28日のブログ記事より)

 

櫻井翔クンがキャスターを務める 『NEWS ZERO』 によると、都内のイトーヨーカドー葛西店の中にある “ふくしま市場” という福島県のアンテナショップの売り上げが、前年比130%を記録したそうです!!

 

 

別のニュースでは、いわゆる風評被害で、出荷停止になっていない農作物でも、福島県産は敬遠されていると聞いたのですが、本気で被災地・福島の復興を願っている人も多いということがわかり、胸に熱いものが込み上げてきました☆彡

 

 

義捐金も要ですが、被災された方々の生活がたちゆくようになるには、被災地の産業を支援することが大切です。

 

 

九州では、福島県産や茨城県産の農作物はあまり多くありませんが、できるだけ被災地でとれた野菜やくだものを探して買いたいと思います。

 

 

本当は、被災地に飛んで行ってお手伝いがしたいけれど、子育てや仕事をまっとうするのも大事。

 

当面は、自宅にいてもできることをやっていきます!!

 

輸送が大変かと思いますが、福島県産や茨城県産の農作物を、ぜひ全国のお店で扱ってくださいニコニコ

 

 

想いを行動にかえて、助け合っていきましょう~♪♪


倉木麻衣さんに感動~♪
(2011年3月30日のブログ記事より)

 

大阪・長居スタジアムで行われた、サッカー 「日本代表 vs Jリーグ選抜」チャリティーマッチの国歌斉唱を務めた倉木麻衣さん♡

 

 

「がんばろうニッポン!」とプリントされた、選手たちとお揃いのTシャツを着て、アカペラで伸びやかに歌い上げた 「君が代」 は圧巻でしたニコニコ

 

 

試合は、2対1で日本代表が勝ちましたが、Jリーグ選抜の1点は、なんと44歳のキング・カズのゴール☆彡

 

きっとカズのサッカー人生の中でも、特別な意味を持つゴールだったのではないかしら…。


ひとつだよ。

 

(2011年3月31日のブログ記事より)

 

昨日のひすいこたろうサンのメルマガで紹介されていた、福島の高校1年生のブログ…涙なしには詠めませんでした(;し;)

 

あらためて、全文を転載させていただきますね。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

こんにちは。

こないだ日記を
見てコメントしてくれた方ありがとうございます。

私の周りでは、
原発を恐れて救援物資が
来ず
せっかく、助かった命が
亡くなっていきました…

福島を通りこし、
他の地域に行ってしまいます

でも、私達には
ただ、みんなで励ましあうことしか出来ません

毛布も一人一枚も
ありません

また、放射能で立入禁止になっているため、海に遺体が浮いてても助けにいけません

遺族は出来るだけ早く
火葬してあげたいって
言うけど、当分無理そうです。

一人が泣くとみんな
泣きます

一人が励ますとみんな
励ましあいます

一人が喜ぶとみんな
喜びます

テレビで頑張れ!
って言われても
私達はこれ以上何も
頑張れません…

祈ります、
生きてる人には安全を

祈ります、
行方不明者には命があることを

祈ります、
亡くなった方にはご冥福を
祈ります、
絶望している人には希望を
祈ります、
寒い所には温かい飲み物を

これ以上誰も亡くならないでほしい

これ以上悲しむ人が増えないで

生きてることがこんなに幸せで温かいことなんて、知らなかった

笑うことがこんなに難しいなんて知らなかった

涙がこんなに止まらなくなることも知らなかった

一日がこんなにこんなに長く辛いなんて知らなかった

誰かのために、役に立ちたいなんてこんなに強く思ったことはなかった

生きるって大変なことだって知らなかった

亡くなった一人ひとりが

思い描く未来はどんなだったんだろう

考えるだけで胸が痛い

生き残った一人としてこの事実を伝えなくちゃいけないと思います

たくさんの人が流した涙はきっと無駄ではないでしょう

この涙の一粒、一粒に
意味があり

希望の一歩だと思います

長々と日記を
読んでくれて

ありがとうございます

日本人で良かった。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

これは、大福ふくフクさん の3月17日付のブログです。

 

一人でも多くの方に、彼女のブログを読んでほしい…

ただそれだけ、よけいな言葉は控えますね。

 

一つだけお知らせがあります。

 

福島県内は、原発による風評被害で、物資の流通が滞っていましたが、さらに例の農作物の出荷停止措置の影響で、地元野菜の流通までもがストップしてしまい、食糧がほとんど手に入らない状況だそうです。

 

しかも、支援物資は避難所に届くことはあっても、自宅に戻った方々のところには行き渡っていません。

 

そんな中、福島県相馬市に対して、ヤマト便が物資を直接、ご本人宅まで送るサービスを復旧しました。

相馬にお知り合いのいらっしゃる方、フリーダイヤル 0120-01-9625 (受付は午前8時から午後9時) に申し込めば、相馬まで荷物を届けてもらえます。

 

クール便はダメですが、食材の発送はOKです!!

 

いま現在、食糧をお持ちの方も、この状況がいつまで続くかわからないために、本当に心細い想いをしていらっしゃると思います。

 

東北の方は、皆さん 「お気持ちだけで十分ありがたいです」 とおっしゃいます。

 

現地に飛んでいきたい…

でも、直接現地に行って想いを伝えられない、痛みを分かち合えない私たちは、せめて想いの込もった物資、そして義捐金を送り続けたいと思います。

 

 

被災地の方々にみんなの想いが届くといいなニコニコ


今こそオールジャパン!!

(2011年4月3日のブログ記事より)

先日、知人から、「小さな介護施設に支援の手を…」 という記事を紹介されました。

 

知人は、東京で福祉施設を経営されていて、この記事に出てくる福島・相馬の介護施設のことを以前から知っていたそうです。

 

 

素晴らしい経営者、素晴らしいスタッフ…その彼らが、いま、物資が不足する中で、危機に瀕しながらも、入所しているお年寄りたちのために、がんばり続けているというのです。

 

 

この施設は、幸い、津波の被害はなく、建物は無事だったのですが、支援物資は避難所に優先的に届けられるので、必要な物資の調達に本当に苦労されているようです。

 

 

そんな中、追い打ちをかけるように、風評被害で福島県産の野菜の流通がストップしてしまい、食糧の入手がさらに困難に…(;し;)

 

 

私は、勇気を出して、“グループホームえくせる” さんに電話をかけてみました。

 

 

電話に出られた方は、はじめ、「お気持ちだけで十分ありがたいです」

とおっしゃっていたのですが、もう少し突っ込んで質問を投げかけると、

「もし食糧を送っていただけるなら、どれほどありがたいか…」 と!!

 

 

そして、「こうして話を聞いていただけるだけで、本当に嬉しいです」 と言われた時には、涙が止まりませんでした(;し;)

 

電話を切った後、さっそくお米やお野菜を送る手配をしました。

 

お米は、無農薬でとても美味しいお米をつくってくださっている地元・福岡の福島園 さんにお願いしました。

 

福島園さんには、いつもFAXで注文しているので、今回もいつも通りFAXを送りました。

「時間がかかってもいいので、必ず相馬に送ってください」 というメッセージを添えて…。

 

それから3日後…

帰宅すると、福島園さんから留守電が入っていました。

 

 

「先ほど、グループホームえくせるさんから、お米が届いたと、電話で連絡がありました。あのお米は、被災地への支援物資だったんですね。

えくせるさんからの電話で、そのことを知りました。被災地のために何かしたいと思っていましたが、こういうカタチでお役に立てて、本当に嬉しいです。白駒さんのおかげで、私も復興支援に協力でき、感謝します。」

 

 

私の心に、温かいものが込み上げてきました♡

 

 

今回の震災を、他人事と思っている日本人はいない、みんな何かしら支援をしたいと思っているんだ…ということを、あらためて感じました。

 

実は、ここ数日、とてもブルーな気持ちになっていました。

 

 

それは、ボランティアで被災地に支援に行っている方たちが、ボランティアをしない人たちを責めるような言葉を、何度となく耳にしたからです。

「祈りましょう」 と言っている人たちは、目の前で助けを求めている人が

いるのに、その人の目の前で 「どうかあの人を助けてください」 と祈っているようなものだと…。

 

本当に助けたいと思っているのなら、なぜ自分が動いて被災地に入らないのか、と…。

 

でもね、誰かを責めて、事態が好転するわけじゃない。

 

自分が熱くなりすぎて、周りにいる善意の人たちを焼き殺したら、復興なんてできないよ。

 

 

復興に向けて、私たち日本人は総力戦でのぞまなければ…!!!

 

 

 

今こそ “オールジャパン” を結成する時です。

 

 

被災地に入れる人には被災地で支援してもらって、被災地に行けない人も、いろんな立場の人が、協力しやすいように、みんなを巻き込めるような復興支援ができるといいなぁニコニコ

 

 

被災地に入る人たちには、「日本中の人を代表して手伝いに来ている。

被災地に行けない人たちの想いも、自分たちが届けるんだ」 って、思ってもらえたら、ありがたいです♡

 

みんなが心を一つにして、コツコツと、息の長い支援をしていきましょう!!


がんばろう、西日本!

(2011年4月10日のブログ記事より)

義妹の結婚式に参列するため、横浜に行っていましたニコニコ

 

一年のうちで最も美しいこの季節、満開の桜のもとでの結婚式…

本当に心に残る一日でした!!

 

庭園の桜を眺めながら催されたささやかな披露宴では、生花をはじめとした華美な飾りは一切ありませんでした。

 

 

新郎&新婦の意向で、その分を、震災の義援金として寄付するそうです。

 

震災以来、各地でお花見やイベントの自粛が目立っていますが、私は、はしゃぎすぎるのがよくないだけで、被災地にいらっしゃる方々に想いを馳せながら、生かされている命に感謝してささやかなお祝いをすることは、決して悪いことではないと思います。

 

 

新郎&新婦の二人も、いろいろ悩んだ末の挙式&披露宴でしたが、とてもいい一日でしたし、親族として参列できて、本当に嬉しかったです!!

 

ところで、私が一番驚いたのは、東京や横浜が暗かったことです。

 

どの会社もお店も、節電に協力しているので、街全体がとっても暗いのです。

 

もちろん節電のことは聞いていましたが、ファミリーレストランやコンビニも、営業中なのか閉店したのか判断がつかないほどで、その暗さたるや、想像を超えています。

 

 

節電はいいことですし、私自身も、これからもずっと取り組んでいこうと思っていますが、暗い街を歩きながら、「やっぱり私たち西日本組ががんばって、日本経済を活性化させていかなきゃぁ!!」 と決意を新たにしました。

 

私は、復興支援の一環として、『歴史から紐解く 日本人の愛の絆』 というテーマで、大好きな歴史エピソードを集め、30分ほどの音声データをつくったのですが、その中で最も反響が大きいのが、戦国大名の宇喜多秀家とその妻 ・ 豪姫、そして彼女の実家である加賀前田家の愛の物語です。

 

関ヶ原で西軍の主力として戦った秀家は、戦後処理で、領地を没収された上に、息子とともに八丈島に流されました。

 

 

生まれながらの貴族であり、秀吉の寵愛を受けて成長した秀家が、八丈島で生き延びていくには、どれほどの苦労があったことか…。

 

 

その秀家を、妻の豪姫は一生慕い続け、徳川幕府の許しを得て、米や衣類、薬、日用品などを、二年に一度、船で八丈島に送り続けました。

 

 

ある時、豪姫が、絵師に描かせた自分の肖像画を八丈島に送りました。

 

その肖像画が、以前、テレビ番組で紹介されたのですが、ほかの部分は色もきれいなのに、額のあたりだけ擦れて色がなくなってしまっていました。

 

 

秀家とともに島流しにされた息子たちが、「母上、母上…」 と涙を流しながら、来る日も来る日も額のあたりを撫でていたから、薄くなったのだそうです。

 

歴史の渦に巻き込まれ、引き裂かれた家族の絆を思うと、本当に切ない気持ちになります(´・・`)

 

この、前田家から宇喜多家への物資援助は、豪姫が生きている間はもちろんのこと、彼女の死後も、ずっと続けられ、明治に入って、戦争犯罪人としての宇喜多家の罪が解かれるまで、250年も続いたのです。

 

 

その昔、一族の中に、豪姫という可憐なお姫さまがいた、

その姫は、遠い八丈島にいる家族のことを思い続けて亡くなっていった、彼女の想いを、この先もずっとずっと大切にしよう…

 

そんな加賀前田家を、歴史に持つことのできた私たちは、本当に幸せです!!

 

でもこの話、前田家の人々の心だけが素晴らしいわけではないんです。

 

 

江戸時代中期から後期にかけて、各藩の財政が破たんしていく中、前田家の財政は幕末まで健全であり続け、宇喜多家を支援するだけの財力を保ち続けていたのです!!

 

 

加賀前田百万石の藩祖 ・ 前田利家は、“槍の又左(またざ)” という愛称で呼ばれ、その名の通り、武勇に優れていました。

 

 

ところが、利家が武術以上に得意だったのは、なんと意外なことに、当時の日本に伝わったばかりのそろばんでした。

 

 

利家は、若い頃、主君 ・ 信長の側近を斬った罪で織田家から追放され、約2年間の失業を経験しました。

 

その間、親しかった人もほとんど寄りつかなくなり、世間の冷たさとお金の大切さを痛感したのでしょう。

 

その後は自らがそろばんを用い、前田家の所領がどれだけ増えても、お金の使い道を人任せにせず、利家自身が前田家のすべての決済を行いました。

 

その利家の几帳面さを、前田家は代々受け継いでいったのでしょうね。

 

 

それにしても、戦国武将として名高い利家が、背中を丸めてそろばんの玉を弾く姿を思い浮かべると、何とも言えず微笑ましい気持ちになりますね(*^-^*)

 

 

 

私たちが、被災地の方々の想いに寄り添い、行動にうつすには、前田家のように、想いを持ち続け、財力を保ち続けることが、ともに重要な気がします。

 

 

西日本の皆さん、心を一つにしてがんばりましょうね!!


高貴な人☆

(2011年4月15日のブログ記事より)

今まで、怒りや悲しみの感情は、あまりブログに書きたくないと思い、そのように努力してきましたが、今日は、ちょっと我慢できないことがあったので、そのことをブログに書かせてください!!

 

昨夜からけさにかけての報道でご存知の方も多いと思いますが、経緯をご紹介させていただきますね。

 

 

千葉県船橋市の公園で、子どもたちが遊んでいました。

その中に、周りの子どもたちと少しイントネーションの違う小学生の兄弟がいました。

二人は、福島県南相馬市から千葉県船橋市に避難してきていたのです。

 

公園で遊んでいた子どもたちは、二人に向かって 「どこから来たの?」と尋ねました。

兄弟が 「福島」 と答えると、「放射能がうつるー!!」 と叫んで、一斉に逃げ出したというのです。

 

あとに残された兄弟は、泣きながら帰宅したそうです(;し;)

 

もちろん、子どもたちも悪意があっていじめたのではないと思います。

人は、わからないことがあれば不安を抱くし、不安が怖れを呼び、誰かを思いやる気持ちなんてどこかに行ってしまうのかもしれません。

 

実は、この報道を知った時、ある話を思い出しました。

 

それは、息子の去年の担任の先生から聞いた話です。

 

先生には、ダウン症の娘さんがいらっしゃり、その娘さんの子育てを通して得たことを、授業や講演でお話ししてくださいます。

 

去年、息子のクラスの授業参観のあと、先生が私たち保護者に授業をしてくださり、本当に感動しました!!

 

その時のことは、以前ブログでお伝えしていますので、こちらも併せて

ご覧にいただけたら嬉しいです。

↓   ↓   ↓

http://ameblo.jp/hitomi-mazenda/day-20110302.html

 

 

その時のブログには、一番心に残ったことだけ書かせていただいたのですが、その日、私は、先生の口から驚くべきことを聞かされていました。

 

小学校の高学年に向けて授業をしたあと、生徒たちに感想をきいたら、

「〇〇ちゃんのお姉ちゃんは、結婚できないからかわいそうだと思います」

と言った子がいた…というのです。

妹がダウン症だと、結婚できない…!?

 

そんなこと、小学生が考えつくわけがないと思います。

おそらく、その生徒は、周りの大人がそういう話をしているのを、聞いたことがあったのでしょう。

 

たぶん、今回の 「放射能がうつる~」 も、同じメカニズムだと思います。

 

 

そういう話を子どもの前でしている大人に問いたい!!

自分たちさえよければ、誰を傷つけてもいいのか…と。

 

「自分たちさえよければ」 という気持ちが、買い占めも生んだのです。もう、いいかげん、気づきましょうよ!!

 

 

そんなことを思い、やるせない気持ちになっていたら、けさの新聞やテレビ番組で、天皇・皇后両陛下が千葉県旭市の避難所を訪問なさったことが紹介されていました。

 

 

両陛下は、津波の生々しい爪痕をご覧になり、黙礼していらっしゃいました。

 

そして、両膝をつき、非難している方々と目線を合わせ、時には正座をして、一人一人に、「こわかったでしょう?」「大丈夫ですか?」 と、いたわりの言葉を掛けていらっしゃいました。

 

中でも、私が感動したのは、「ご無事でいてくださって、ありがとう」 という美智子皇后のお言葉です♡

 

 

これが究極の優しさだと思うのです。

 

日本で最も高貴な方が、このような気持ちでいてくださっているということが、本当に嬉しいですニコニコ

 

実は、私は、大学生の頃、皇太子妃でいらした美智子さまを、軽井沢で偶然お見かけしたことがあります。

 

ご夫妻でテニスを楽しんでいらっしゃいました!!

 

 

当時の私は、日本の伝統や文化に反発する気持ちが強くて、皇室に対しても特別な思い入れはなかったのですが、お二人が発するその空気感があまりに素敵で、思わずひざまずきたくなったほどです。

 

とても言葉では言い表せないのですが、テニスのプレイスタイルに、一つ一つのしぐさやお言葉に、得も言えぬ気品があって、「高貴とは、このような方のことを言うのだ」 と、その存在感に圧倒されるばかりでした。

 

 

でも、今回の両陛下の避難所ご訪問で、わかりました。

 

高貴というのは、家柄や身分で決まるのではない、と…。

 

その人の心が、生き方が決めるのです!!

 

「ご無事でいてくださって、ありがとう」 …こういう気持ちを持っていらっしゃるから、

高貴なのです。

 

私たち日本人同士、誰かを傷つけるのは、もうやめましょう。

もし避難している方々にお会いしたら、「ご無事でいてくださって、ありがとう」 って、

声を掛ましょうよニコニコ

 

船橋の公園で傷ついた兄弟に、日本中の人が、「生きててくれてありがとう」 って思っていることを、ぜひ伝えたいです♡


震災の光と影

(2011年4月20日のブログ記事より)

 

「放射能がうつる~」

 

先日、船橋の公園で、福島から避難した小学生の兄弟がこう言われて、

泣きながら家に帰った…という話を書かせていただきました。

 

 

本当に思いやりがないなぁ…って、報道を見て涙が止まりませんでしたが、

なんと、同様の話が、大人の世界でも頻発しているらしいですね(;し;)

 

 

福島から県外に避難した方々が、避難先で、地元の方々の心ないひとことや不安そうな表情に傷ついたり、ひどいケースでは、避難先の自治体から放射能汚染の証明書の提出を求められたりしているそうです(;し;)

 

 

無知というのは、本当に悲しいことですね。

思いやりがないだけでなく、非科学的で、呆れてしまいます。

 

 

カミングアウトしますが、私はチェルノブイリの事故からちょうど1年後に航空会社に入社し、その後何度も仕事でモスクワやヨーロッパ各地に滞在しました。

 

 

きっと放射能を浴びていることでしょう。

 

 

さらに、私は、3年前に放射線治療も経験しています。

 

 

それでも、今こんなに元気です!!

 

 

何が言いたいのかというと、たとえ放射能を浴びた人がいたとしても、空気感染なんてするはずありませんから…!!

 

そんなのちょっと冷静になればわかることですよね。

 

「つながろう、日本♡」

っていうのが、言葉だけなんて空しいです。

 

 

本当につながらなきゃならないのは、心でしょう…ニコニコ

 

私たちの想いを、行動で示さないといけないですね。

 

 

 

今日は、この報道に腹を立てていましたが、一つ、嬉しいニュースもありました。

 

 

自粛ムードで、ほとんどの商品の売り上げが落ちている中、あるものの売り上げが前年比20%増しになっているそうです。

 

 

さて、何だと思いますか?

 

 

それは……結婚指輪や婚約指輪ですって♡

 

 

おそらくこの震災で、みんなが家族の絆の大切さを再確認したんでしょうね。

 

 

“絆”…この言葉は、外国語に訳せないんじゃないかなぁ。

ご縁、絆、おかげさま…きっとこういう言葉=概念は、日本人だけが持ち得ているものなんでしょうね。

 

 

そういえば、絵本のソムリエたっちゃん のブログを読んで、震災以来、中央線や総武線が止まることがなくなった…と知りました。

 

以前、私は総武線の沿線に住んでいたことがありますが、その頃はよく事故で電車が止まっていました。

 

その中には、おそらく自ら死を選ぶ方もいらしたんじゃないかと思います。

 

震災がきっかけで、人々が生きているのではなく生かされていることを実感し、与えられた命に感謝するようになったのだとしたら、それは亡くなった方々の優しい魂が、私たちに大切なメッセージをくださったということなのでしょう。

 

亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、一人一人がかけがえのない存在なのだということを噛みしめ、毎日を丁寧に精いっぱい生きていきましょう。


米軍将校の見た日本☆
(2012年3月11日のブログ記事より)

 

体操教室で知り合った通訳ガイドの方から、とても感動的なお話を伺ったので、皆さまとシェアしたいと思います。

 

一年前の今日、岩手・宮城・福島・茨城の各地は大津波に飲まれ、この世のものとは思えない悲惨な光景が広がっていました。

 

この窮状に対し、世界各国が救いの手を差し伸べてくれましたが、その中でも、最も被災地の方々に希望と勇気を与えてくれたのが、米軍による 「トモダチ」 作戦でしょう。

 

その後、この作戦を遂行した米軍の高級将校たちは、思やり予算の一部を使って日本政府から招待され、九州各地を旅行したそうです。

その時に通訳ガイドを務めたのが、私の知人だったのです。

 

 

以下は、ある将校の話です。

 

 

避難所を訪れると、着の身着のままで数日間を過ごした被災者たちの表情は、憔悴しきっていました。

付近の情景も、被災者の表情も、まるで地獄を見るようでした。

 

みんなどれだけお腹を空かせているんだろう?

やっと届いた支援物資を、みんなが我れ先にと奪い合うんだろうな…。

そう思っていた将校は、被災者たちが誰も取り乱さず、整然と並んでいることに、衝撃を受けます。

 

「なぜ私たちがこんな目に遭わなければいけないんだ?」 と、怒りをぶつけられても仕方がないと覚悟していたのに、支援物資を受け取った被災者たちは、誰もが深く頭を下げ、笑みさえ浮かべて、感謝の言葉を口にする…。

 

さらに、被災者たちが次々に発する言葉を訳してもらった時、その将校は、心が震えたそうです。

 

「ほかの避難所には、ここの避難所よりも、もっと寒くて、もっとお腹を空かせている人たちがたくさんいます。私たちはあとで大丈夫ですから、もっと困っている人たちを先に助けてあげてください。」

 

この地獄のような光景の中に、本当の天国があった…。

 

将校は、そんな感想を伝えてくれたそうです。

 

 

その人の人間性は、順境の時よりも逆境の時にこそ表れるといいます。

私たち日本人の本質も、このような状況に凝縮されるのかもしれませんね。


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