スポーツの話題

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オリンピック
日本人の誇り

(2009年8月3日のブログ記事より)

 

8月2日、日本水連名誉会長で元世界的スイマーの古橋広之進さんが、世界水泳選手権を開催中のローマで亡くなりました。

 

1948(昭和23)年、敗戦国である日本がロンドン五輪への参加を拒否されると、古橋さんは、日本水連が五輪の日程にぶつける形で

開催した全日本選手権に出場。

海の向こうのオリンピックを尻目に、連日、神宮プールで世界記録を上回るタイムを叩き出し、日本中を歓喜させました。

 

古橋さんは、翌年の全米選手権でも4種目で世界新記録を連発。

その時ついたあだ名が、かの有名な「フジヤマのフライングフィッシュ(トビウオ)」だったのです。

 

実は、この「フジヤマのトビウオ」伝説を陰で支えた日系人が います。

 

その人の名は、「フレッド和田勇」…

 

1907年9月、ワシントン州べリングハム生まれ。

貧しい少年時代を送り、日系移民として太平洋戦争を経験、幾多の困難を乗り越えた彼は、戦後、ロサンゼルスに移って青果店を開き、持ち前の才覚と働きぶりで、店を17店舗に増やし、事業を成功させました。

 

1949年、彼の住むロサンゼルスで全米水泳選手権が開かれ、日本選手が出場。

終戦後、日本人が今日食べるものにも困っていた時代に、フレッド和田は、自宅に選手一行を泊め、親身になって世話をしました。

そして生まれた 「フジヤマのトビウオ」 伝説…

 

「古橋さんらの活躍で、ジャップと呼ばれて肩身の狭い思いをしておったのが、一夜にしてジャパニーズと呼ばれるようになり、胸を張って歩けるようになった。

私たち日系人がどれほど勇気づけられたかわかりません。

本当にありがとうございました。」

 

やがて、敗戦のショックから立ち直り、復興著しい日本は、東京でのオリンピックを 計画します。

その招致運動の一翼を担ったのが、フレッド和田でした。

 

「僕は東京でオリンピックが開けるなら、店のことなんて、どうでもええ思うとる。

東京でオリンピック開けば日本は大きくジャンプできるのや。日本人に勇気と自信を持たせることが出来るやろう。」

 

敗戦から、わずか13年後。

当時の日本政府は外貨が不足していたので、フレッド和田に渡せる費用はなく、私費で活動してもらうしかありませんでした。

 

東京オリンピックの実現は、中南米の国々の支持を得られるかにかかっていました。

中南米の IOC委員を説得して東京開催に賛成してもらうために、フレッド和田夫妻は、旅費も自費なら、手土産まで自らが用意して、きわめて治安が悪い地域を40日間もかけて回り、説得し続けました。
夫妻が最初に訪れたのは、メキシコ。

フレッド和田の経営する店はメキシコから野菜を輸入していたという縁もあり、メキシコは最初に東京支持を表明してくれました。

 

ブラジルでは、

「東京に投票するのはかまわないが、投票が行われるミュンヘンの IOC総会に出席するには飛行機代など莫大な費用がかかるので、援助がないと出席は厳しい」

と言われます。

 

それを聞いたフレッド和田は…

 

「僕が出します!」

 

その言葉が日系ブラジル人の心を揺さぶります。

「和田さんに出してもらうのは、われわれ日系ブラジル人の恥。
ブラジルのIOC委員の旅費はわれわれが何とかします。」

祖国日本を想う日系人は、ブラジルにもたくさんいたのです。

 

自費で各国を回り続けるフレッド和田夫妻の姿に感動した中南米のIOC委員は、続々と東京に投票することを約束してくれました。

 

そして迎えた1959年、ミュンヘンで IOC総会が開かれました。

 

オリンピック開催都市の投票結果は…

ブリュッセル  5票

ウィーン      9票

デトロイト    10票

東京       34票

 

東京オリンピックの開催決定から実施までの7年間、日本の年経済成長率は10%にも達し、経済大国の仲間入りを果たしますが、それ以上に、敗戦ですべてを失った日本人が、自信 ・ 誇り ・ 希望 ・ 勇気を取り戻したことが、

東京オリンピックの一番の意義だったのではないでしょうか。

 

「フジヤマのトビウオ」 の活躍を陰で支えたフレッド和田勇の生涯は、

高杉 良さんの『祖国へ、熱き心を』

という作品の中で感動的に描かれているので、ぜひお読みください。

 

わたしがフレッド和田勇を尊敬してやまないのは、東京オリンピック後にとった彼の行動ゆえです。

 

東京オリンピックが開催されたのは1964年、

4年後の次のオリンピック開催地は…

そう、メキシコです。

 

「東京を最初に支持してくれた、メキシコへの恩返し」

と、フレッド和田は、メキシコオリンピックの誘致活動にも大活躍したそうです。


夢は叶う!

(2009年9月30日のブログ記事より)

 

前々回、“日本人の夢の叶え方” というテーマで、ブログを書かせていただきました。

「天命に従って人事を尽くす」 を実践したら、夢を超えた素敵な現実が訪れるようになったのですが、その一例として、今回は、わたし自身の実体験をお話したいと思います。

 

今からお話することは、ちょうど一年前の出来事です。

 

2008年8月、北京五輪をテレビで見ていて、さまざまな人間ドラマに感動したのですが、わたしが最も感銘を受けたのは、金メダルを獲得した女子ソフトボールでした。

 

「上野由岐子ちゃんに会いたい…音譜

 

そう思って迎えた9月、知人から一本の電話が入りました。

「九州女子高校で社会人講和を頼まれたのですが、一緒にやりませんか?」

 

わたしはいつも 「来る者拒まず、去る者追わず」 を心がけていたので、喜んで九州女子高校での講和を引き受けました。

 

そして10月、社会人講和の当日…

 

九州女子高校を訪れてびっくりしました。

応接コーナーには、上野由岐子ちゃんの写真・トロフィー・賞状の数々が…!!

 

そうなんです、九州女子高校は、彼女の母校だったんですビックリマーク

 

「ゆきこちゃんは、金メダルを持って母校に凱旋したんですか?」と担当の先生に伺ったら、

「来週、北九州で試合があるので、その合間をぬってこちらに来てくれることになってます。短い時間ですが、後輩たちの前でひとことスピーチしてもらう予定です。」

 

「先生! 生徒たちに交じって、わたしにもそのスピーチを聞かせていただけませんか?」

「どうぞどうぞ、ぜひ来賓としてらしてください。」

 

…というわけで、天からの素晴らしく粋なプレゼントに、狂喜乱舞したのでしたニコニコ

 

ここまでの流れも、わたしにとっては十分感動的なストーリーなのですが、こうしてブログを通して皆さまにお伝えしたいと思ったのは、当然、金メダリスト・上野由岐子ちゃんが後輩たちに贈ったメッセージが素晴らしかったからですニコニコ

 

ゆきこちゃんのスピーチは、あっけないほど短くて、たったひとこと、

「信じることからすべては始まる。」

でした。

 

「13年間、夢をあきらめずに、自分を信じて、仲間を信じて、ソフトボールを続けてこれた。だから、目標を達成できた。能力・優劣は関係ない。夢の大きさも関係ない。どれだけ信じて物事に取り組めるか…その信じる力だけが問題です!」

 

そして、そのあと引き続き行われたトークセッションが最高だったんですビックリマーク

金メダリスト・上野ゆきこちゃんからの素晴らしいメッセージは、もったいぶって、明日のブログでお伝えしますね(*^-^*)

 

期待していてくださ~い♡


金メダリスト・上の由岐子ちゃんの名言集♪

(2009年10月1日のブログ記事より)

 

前回のブログの続き、いよいよ上野由岐子ちゃんと担任の

先生、そして現在のソフトボール部監督の3人のトーク

セッションを、ここで再現させていただきたいと思います。

 

 

T(担任の先生) : 上野は、中学生の頃から“オリエンタル

エキスプレス”と呼ばれて、世界一のピッチャーだった。

その上野が九州女子高に入学することが決まった時、当時

のソフトボール部の監督だった平島先生(2003年に死去)

は、すごくびびってた。あの名監督にして、上野をあずかる

ことは、それだけプレッシャーだったんだ。でも平島先生は、

あるとき吹っ切れた。「3年間、怪我なく卒業させればそれ

でいい。」って。ところが、上野は、高2の時、体育の授業で

腰の骨を折るという大怪我をして(平島先生が免許の更新で

休み、代わりの先生が体育の授業をしている時にその事故は

起きました)、3ヵ月入院、シドニーオリンピックを棒に

振ったもんな。あの時の怪我が、上野の唯一の挫折だろ?

 

Y(ゆきこちゃん): たしかに怪我はショックでしたけど、挫折っ

ていうわけじゃないです。私は小3からソフトボールを始めて、

あんなに長い間、ソフトボールから遠ざかったことはなかっ

た。

あの時、初めてわかったんです。「ああ、私はこんなにソフト

ボールが好きだったんだ。」って。4年前、アテネで負けた日

から、北京の金だけを考えて生きてきたけど、厳しい練習や

プレッシャーに逃げ出したかった。そんな時、自分自身の支え

になったのは、「これだけたくさんの方々に応援してもらって

いる」という感謝の思いと、入院中に感じたソフトボールに

対する自分の想いの強さでした。それに、入院前は、「自分が

打たれなければチームは負けることはない」と思って、絶対に

抑えるつもりで、自分一人で試合しているような気持ちで投げ

ていたけれど、入院生活で仲間のありがたさがわかり、仲間を

信じて投げることができるようになりました。

 

K(現在のソフトボール部監督) : 僕はテレビで北京での上野の試合

を見たんだけど、オーストラリア戦やアメリカ戦では、「とに

かく打ってくれ。このままでは上野の肩が壊れてしまう。」っ

て叫んでた。上野も、ベンチで「なんで打ってくれないの」っ

て、イライラしてただろ?

 

Y : それは絶対にないです。私は、一球も打たれるつもりはない

し、毎回0点に抑えるつもりで投げてますが、それでもヒット

を打たれるし、点を取られる時もあります。それは、バッター

も一緒だと思うんです。三振しようと思って打席に立つ人はい

ないし、みんなヒットを打つつもりで、点を取るつもれで打席

に入ってる。だから、アウトになったバッターに対して「なん

で打ってくれないの」とは絶対に思わないです。

 

 

T : 僕はね、上野の持って生まれた素質と、上野の努力と、そして

時の運…この3拍子が揃ったから金メダルをとれたと思うん

だ。

 

Y : う~ん、それはちょっと違いますね。

 

T : えっ、違うの?じゃあ、なんで金メダルを取れたと思ってる

の?

Y : ソフトボールは、9人でやるスポーツですよね。でも、ベンチ

入りは15人いるんです。その15人は、それぞれのチームではみ

んなスタープレーヤーで、技術も高いし、プライドも高い。そ

の15人が集まって全日本になった時、試合に出る9人と出られ

ない6人に分かれます。試合に出られない6人は何をするかと

いうと、雑用をしてくれたり、ベンチで声を掛けたりしてくれ

る。北京で金メダルをとれたのは、15人それぞれがお互いの役

割を100%理解し、「チームのために」という想い・金メダルへ

の想いを全員が同じレベルで共有できたからです。

 

 

K: あの2日間の熱投は『上野の413球』と言われて有名になった

けど、最後の一球まで金メダルを取れるって、信じてた?

 

Y : もちろん、信じてました。でも、私はさっき「信じることから

すべては始まる」と言いましたが、「ただ信じればいい」とい

うものではないんです。大事なのは、「信じられるだけのこと

をしてきたか」ということ、準備があるからこそ信じられるの

です。ソフトボールがこんなに好きなんだという想いの強さ、

これだけの猛練習に耐えてきたという実績と自信があるから、

自分を信じられる。もう一つ、自分を信じるのと同じくらい、

仲間を信じることも大事です。私がなぜ仲間を信じられるのか

というと、ただのコミュニケーションで信頼関係を培ったので

はなく、彼女たちの日頃の練習態度・生活態度を見ているか

ら、信じられるんです。言ってみれば、お互いの

“生きる姿勢”に共感しているから、理解し合え、信じ合えるん

です。

 

司会者:最後に在校生にひとこと。

 

Y:「やりたいことをやったらいいよ」って言ってあげたいけど、

学校にも、社会にも、守らなきゃいけないルールがありますよ

ね。でも、「ルールがあるからできない」じゃなく、そのルー

ルの中でどうやったら自分のやりたいことをできるか…その想

像力と発想力が、人生を楽しくすると思います。

もしかしたら、日常生活というのは、毎日同じことの繰り返し

で、窮屈で退屈かもしれない。でも、自分の意識が変わると、

その日常が楽しくなると思うんです。まずは「私はこれをやり

たい」と発信していくこと。そうすれば、必ず応援してくれる

人が現れます。

「自分がまわりを動かしていく」という意識を持つことが、日

常生活を楽しくします。ルールをどれだけ自分の中でアレンジ

できるか…

その工夫が楽しさにつながります。

由岐子ちゃんは、自分の自由にさせてくれた故・平島監督にとても感謝していて、監督の優しさと期待に、ずっと応えたいと思っていたそうです。

北京でも、平島監督の写真に向かって毎日語りかけていたそうで、この日も、「平島先生に金メダルを報告できる」と、晴れやかな表情で母校に凱旋されました。

 

このような話は、マスコミにも報道されていないので、生で話を聞くことのできたわたしが皆さんにお伝えしなければ…と思い、記憶をたぐって内容をまとめてみました。


あなたがあなたであるために・・・♪

(2010年2月25日のブログ記事より)

 

いやぁ~音譜

昨日のバンクーバーオリンピック 女子フィギュア ショートプログラム、

浅田真央ちゃんとキム・ヨナ選手の華麗で完璧な舞い、本当に

素晴らしかったですねニコニコ

 

 

明日のフリーの最終決戦も含め、二人の戦いは、冬季オリンピック史に燦然と輝く伝説となるでしょうね☆彡

 

 

 

わたしにとって、あらゆるスポーツ史の中で、たぶん永遠に変わることのない名場面ナンバー1は、4年前のトリノオリンピックの荒川静香さんの金メダルです音譜

 

 

わたしは、以前からフィギュアスケートを見るのが大好きだったのですが、

オリンピック直前で、彼女が曲目も振付けも変更し、プログラムをまったく新しいものにしたのには、本当に驚きましたビックリマーク

 

 

おそらく彼女は、トリノオリンピックを最期に引退し、プロスケーターに転向することを決めていたのだと思います。

 

厳しいプロの世界、オリンピックでメダルを取ったのか取れなかったのか、メダルの色は何色なのか…それによって、ギャラも、格も、扱いも雲泥の差になりますから、金メダルが、喉から手が出るほど欲しかったに違いありません。

 

 

でも、おそらく、ご本人が一番、金メダルを取れないことをわかっていたと思います。

 

当時、フィギュアの世界は、アメリカのミッシェル・クワンとロシアのスルツカヤが二強 (ちょうど今のキム・ヨナと真央ちゃんのように) で、荒川静香さんとサーシャ・コーエンは三番手、メダル争いには絡めるかなぁ…という感じだったと思うんです。

 

 

しかも、トリノオリンピックの前年に採点方式が変わり、荒川静香さんが得意とするイナバウワーは、得点にならないことが決まったのです。

 

そんな状況の中、どうしても金メダルが欲しかった彼女は、モロゾフコーチを訪ねます。

いま安藤美姫ちゃんや織田信成クンのコーチを務めている、あのイケメンコーチですニコニコ

 

 

彼は、荒川静香さんのコーチを引き受ける時に、一つだけ条件を出したそうです。

 

その条件は…

 

「絶対にイナバウワーを入れなさい。

得点になる、ならないは関係ない。

あなたがあなたであるために、イナバウワーを入れなさい。」

 

 

この瞬間に、伝説がつくられたのだと思いますビックリマーク

 

 

今までのコーチは、得点にならないイナバウワーをプログラムの中に入れることに反対しました。

当り前です、ショートプログラム2分半、フリー4分間の中で、どれだけ採点に結びつく要素を盛り込めるかで勝負は決まるんです。

 

でも、モロゾフコーチは、荒川静香さんが、最も輝くことだけを考えたのだと思います音譜

 

 

「あなたがあなたであるために…(*^-^*)」

 

 

なんて素晴らしい考え方なのでしょう音譜

 

 

結果的に、彼女は金メダルを取りましたが、もしイナバウワーをしないで金メダルを取っていたら、トリノオリンピックのクライマックスとして、どのシーンが映し出されたのでしょう?

 

 

ジャンプでしょうか?

 

スピンでしょうか…?

 

 

ジャンプやスピンじゃなく、イナバウワーがあったから、あの金メダルは彼女じゃなければ取れない伝説となり、その後のプロスケーターとしての商品価値も、オンリーワンになったのだと思いますビックリマーク

 

真央ちゃんには、明日は結果を考えずに、ただ世界一のスケーターである真央ちゃんらしく、自分の命を輝かせてほしいな…と思います☆彡

 

そして、このブログを読んでくださっている皆さまにも、ぜひ気づいてほしいのです。

 

 

あなたがあなたであり続けることで、あなたにしか作れない伝説がもうすでに始まっているということを…ニコニコ


人生の花を咲かそう☆

(2010年3月12日のブログ記事より)

今から18年前の1992年夏…

 

日本中の視線が、6日前に14歳の誕生日を迎えたばかりの

一人の少女に注がれましたビックリマーク

 

 

彼女の名前は岩崎 恭子ちゃん。

 

彼女は、200M平泳ぎに日本代表として出場し、当時のオリンピック記録で優勝し、見事に金メダルを獲得しました↑

 

 

オリンピック前の彼女のベストタイムは、世界記録から遅れること10秒……

誰が彼女の金メダルを予想できたでしょうビックリマーク

 

 

予選、決勝と、あり得ないスピードで成長していく彼女を見て、

「人の可能性は素晴らしい」

と、その神に近い才能に心から感動したことを覚えています(*^-^*)

 

ところが、日本に帰国すると、競泳史上最年少金メダリスト (その記録は今も破られていません) の彼女の生活は一変してしまいます。

 

どこにいても、何をしても注目され、気が休まらない毎日、

しかも14歳という年齢は、心も体も大きく変化する時期…

 

 

ジュニアの頃から順風満帆だった競技人生に、初めての大スランプが容赦なく襲います(;し;)

 

 

 

先日、NHKテレビの番組で、岩崎恭子ちゃんの金メダルの軌跡と、その後のスランプを彼女がいかに乗り越えたかが、特集されていました。

 

彼女にとって、金メダルをとったことと同じか、それ以上の自信になっているのが、スランプを乗り越えて復活し、アトランタオリンピックに出場できたことだそうです。

 

金メダルという大輪の花を咲かせてから、もがき苦しみ、それを乗り越えたとき、彼女の本当の人生が始まったんじゃないかなぁ…と思いますニコニコ

 

子どもたちに水泳の楽しさを伝える彼女の姿はキラキラ輝いていて、神々しいほどでしたビックリマーク

 

恭子ちゃんのような特別な才能を持っている人は少ないかもしれないけれど、誰もが自分にしか咲かすことのできない花を絶対に持ってると思うんです音譜

 

その花を大事に育てて、自分だけの人生の花を咲かせましょうね音譜


パラリンピックの感動秘話♪

(2010年3月24日のブログ記事より)

 

バンクーバーオリンピックは、メダルラッシュとはいきませんでしたが、

パラリンピックは、金メダル3個、銀メダル3個、銅メダル5個…と

輝かしい成績でした。

 

 

そのパラリンピックで、ノルディックスキー距離スプリント・クラシカル、

距離10キロクラシカルで二冠に輝いた新田佳浩選手のとっても素敵なエピソードが、22日付けの産経新聞に出ていたので、ご紹介しますね(*^-^*)

 

新田選手は、現在29歳。

3歳の時、稲刈り用のコンバインに左腕を巻き込まれて、ひじから先を失いました。

 

コンバインを運転していたのは、新田選手のおじいちゃん。

おじいちゃんは、運転していた自分を責めました。

その後も、孫の成長を見守りながら、自分を責め続けたそうです。

 

佳浩少年は、そんなおじいちゃんの気持ちを、ちょっとした言葉の端々にも感じながら大きくなりました。

 

 

大好きなおじいちゃんが苦しんでいるのがつらくて、逆に自分の方が申し訳ないと思うこともありました。

 

「おじいちゃんに、“最高のおじいちゃんだよ” と言ってあげたい。」

 

 

その想いが、彼の原動力になりました。

 

 

どうしてもおじいちゃんに金メダルを贈りたかった…。

 

 

だから、新田選手は、17歳の時から4大会連続で金メダルに挑み続けたのです。

 

4年前の2006年ミラノパラリンピックでは、メダルを期待されながらも、

転倒してしまいましたが、転んでも起き上がることができたのは、

「おじいちゃんに金メダルを贈りたい」 という夢があったから…。

 

 

「転んだことで、成長する機会を与えてもらった。」

by 新田選手

 

 

人は、愛する人のためなら、こんなにがんばれるのだということを、新田選手が教えてくれました。

 

 

あなたは、誰のためならがんばれますか?

 

誰を笑顔にしたいですか?

 

人は、笑顔にした人の数だけ自分が輝く…

 

 

最高の笑顔と感動をありがとう~ニコニコ


愛、感動、そして奇跡は連鎖する!!

(2010年9月8日のブログ記事より)

 

1948(昭和23)年、第二次世界大戦で途切れていたオリンピックの歴史が再開し、夏季五輪が12年ぶりにロンドンで開催されました。

 

ところが、このロンドン五輪、敗戦国である日本は参加を拒否されます。

 

 

実はこの時、オリンピックに出場していれば、おそらく金メダルを獲得したであろう世界的スイマーが日本にいました。

 

その人の名は、古橋 廣之進さん。

 

 

この年、ロンドン五輪の日程にぶつける形で開催された全日本選手権に出場した古橋さんは、海の向こうのオリンピックを尻目に、連日、神宮プールで世界記録を上回るタイムを叩き出し、日本中を歓喜させました。

 

 

なにせ、この時の日本選手権のレベルの高さは半端じゃないんですビックリマーク

1500メートル自由形決勝では、1位の古橋選手と2位の橋爪選手が出した記録は、ロンドンの金メダリストより40秒以上も速かったのですから!

 

 

ところが、悔しいことに、日本が国際水泳連盟から除名されていたためにこれらの記録は公認されず、幻の世界記録に…(;し;)

 

しかも、海外のメディアの中には、

 

「日本のプールは短いに違いない」とか

 

「日本のストップウォッチは壊れている」

 

なんて、失礼極まりない記事を書き立てる新聞もあったのです。

 

この報道を、選手たちと同じくらい悔しい想いで見つめている一人の日系人がいました。

 

フレッド和田勇。

 

 

1907年、ワシントン州べリングハム生まれ。

貧しい少年時代を送り、日系移民として太平洋戦争を経験、幾多の困難を乗り越えた彼は、戦後、ロサンゼルスに移って青果店を開き、持ち前の才覚と働きぶりで、店を17店舗に増やし、事業を成功させました。

 

1949年(ロンドン五輪の翌年)、日本の国際水泳連盟への復帰が認められ、

彼の住むロサンゼルスで開かれた全米水泳選手権に、日本選手が出場。

 

終戦後、日本人が今日食べるものにも困っていた時代に、フレッド和田は、

自宅に選手一行を泊め、練習の送迎も買って出るなど、親身になって世話をしました。

広いベッドルーム、フレッド和田の妻・正子さんが作る栄養満点の日本食に、選手たちは大感激音譜

 

この遠征自体が、日本水連幹部や在米日系人の寄付によって実現したことを知っている選手たちは、和田夫妻の祖国に対する熱い想いに、期するものがあったでしょう。

 

 

大会初日、1500メートル自由形の予選A組。

まず、橋爪選手が、2位以下を150メートル以上も引き離してゴールイン。

それまでの記録を一気に20秒以上も短縮し、世界記録を樹立しました。

 

そのどよめきが収まらないうちにスタートした予選B組。

今度は、古橋選手が、橋爪選手が出したばかりの世界記録を、さらに16秒も縮める大記録を打ち立てました。

 

 

翌日の決勝は、古橋・橋爪両選手がデッドヒートを演じます。

結果は、1位古橋選手・2位橋爪選手・3位田中選手と、日本勢がメダルを独占!!!

アメリカの選手たちはなすすべもなく、観衆は、総立ちで日本選手たちを讃えました。

 

 

日本チームは、大会3日間を終え、自由形6種目中5種目に優勝、9つの世界記録を樹立しました。

中でも古橋選手は、4種目で世界新記録を連発。

その時ついたあだ名が、かの有名な「フジヤマのフライングフィッシュ(トビウオ)」だったのです。

 

全米水泳選手権の祝賀パーティーで、フレッド和田は次のように挨拶しました。

 

「先ほど監督さんが、新聞社との電話で、在留邦人が理解してくれたおかげだと言うてくださいました。しかし本当にお礼を申し上げなければならないのは、私たち日系人なんです。

古橋さんたちの活躍によって、ジャップと呼ばれて肩身の狭い思いをしておったのが、一夜にしてジャパニーズと呼ばれるようになり、みんな胸を張って街を歩けるようになりました。本当にありがとうございました。」

 

やがて、敗戦のショックから立ち直り、復興著しい日本は、東京でのオリンピックを計画します。 その招致運動の一翼を担ったのが、フレッド和田でした。

 

「僕は東京でオリンピックが開けるなら、店のことなんて、どうでもええ思うとる。

東京でオリンピック開けば日本は大きくジャンプできるのや。日本人に勇気と自信を持たせることが出来るやろう。」

 

敗戦から、わずか10数年。
当時の日本政府は外貨が不足していたので、フレッド和田に渡せる費用はなく、私費で活動してもらうしかありませんでした。

 

 

東京オリンピックの実現は、中南米諸国の票がカギを握っていました。

1959(昭和34)年3月、和田夫妻はプロペラ機に乗って、10ヵ国を巡る旅に出ました。

中南米の IOC委員を説得して東京開催に賛成してもらうために、旅費も自費なら、手土産まで自らが用意して、きわめて治安が悪い地域を40日間もかけて回り、説得し続けたのです。
夫妻が最初に訪れたのは、メキシコ。

フレッド和田の経営する店はメキシコから野菜を輸入していたという縁もあり、

メキシコは最初に東京支持を表明してくれました。

 

二人が次に赴いたのは、革命直後のキューバ。

戒厳令下にあり、空港のいたる所で兵士たちが銃を構えています。

キューバのIOC委員は、危険を顧みず革命直後のキューバを訪れた夫妻の祖国に対する深く熱い想いに感動し、東京への投票を確約してくれました。

 

ところが、ブラジルでは、

「東京開催を支持するが、投票が行われるミュンヘンの IOC総会に出席するには、飛行機代など莫大な費用がかかるので、援助がないと出席は厳しい。」

と言われてしまいます。

 

それを聞いたフレッド和田は…

「僕が出します!」

 

 

その言葉が日系ブラジル人の心を揺さぶります。
「和田さんに出してもらうのは、われわれ日系ブラジル人の恥。
ブラジルのIOC委員の旅費はわれわれが何とかします。」

祖国日本を想う日系人は、ブラジルにもたくさんいたのです。

 

 

こうして、自費で各国を回り続ける和田夫妻の姿は、各国に感動の渦を巻き起こしていきました。

そして、中南米のIOC委員は、続々と東京に投票することを約束してくれたのです。

 

そして迎えた1959年5月、ミュンヘンで IOC総会が開かれました。

 

 

オリンピック開催都市の投票結果は…

ブリュッセル  5票

ウィーン      9票

デトロイト    10票

東京       34票

 

 

2位以下を大きく引き離して、東京の圧勝でした。

 

 

 

東京オリンピックの開催決定から実施までの7年間、日本の年経済成長率は10%

にも達し、経済大国の仲間入りを果たしますが、それ以上に、敗戦ですべてを失った日本人が、自信・誇り・希望・勇気を取り戻したことが、東京オリンピックの一番の意義だったのではないでしょうか。

 

 

わたしがフレッド和田勇を尊敬してやまないのは、東京オリンピック後にとった彼の行動ゆえです。

 

 

東京オリンピックが開催されたのは1964(昭和39)年。

4年後の次のオリンピック開催地は…

そう、メキシコです。

 

「東京を最初に支持してくれた、メキシコへの恩返し」

と、フレッド和田は、2ヵ月近くもメキシコに滞在し、誘致活動から開催までのあらゆるノウハウを伝授しました。

 

彼の献身的な協力に感動したロペス大統領は、メキシコ招致の礼状と記念品を贈呈。

 

 

フレッド和田は、その後、ロサンゼルス五輪の誘致・開催にも協力、日系人の自分を受け入れてくれたアメリカ社会にも恩返しをします。

 

 

 

日系二世の彼が、最後に果たした恩返し…

それは、年老いた日系一世たちのために、ホームを建設することでした。

 

日系一世たちが、日本語で日本人の医師と看護師に診てもらえるように。

日本食をとり、日本語で仲間と語り合えるように。

 

 

そして、三世・四世の若者たちが、後顧の憂いなくアメリカ社会で思いきり仕事ができるように。

 

 

 

 

1989年、彼の夢だった日系引退者ホーム新館が完成しました。

 

 

この時、日本で集まった寄付金は、なんと4億3600万円。

 

 

 

和田夫妻にお世話になった、スポーツ界や政財界の人々が、その恩に報いたのです。

 

 

争いや虐待など、昨今の悲しいニュースに触れるたび、

「憎しみや怖れはどこまで連鎖するのか…」

と切ない気持ちになりますが、フレッド和田の生涯は、連鎖するのは憎しみや怖れだけではないことを教えてくれますねニコニコ

 

 

愛、感動、そして奇跡の連鎖を巻き起こしていきましょう音譜

 


安藤美姫ちゃんの金メダル☆

(2011年5月3日のブログ記事より)

 

先日のフィギュアスケートの世界選手権…

優勝した安藤美姫ちゃんだけ、別次元のオーラでしたねニコニコ

 

 

今から15年前…

お父さんが亡くなって悲しんでいる8歳の美姫ちゃんに、友だちがスケートに誘ってくれたそうです。

 

 

楽しい~音譜

リンクの上では、悲しみを忘れることができた…。

 

この時のことを、美姫ちゃんは、「お父さんとスケートを交換した」 って

表現しています。

 

 

彗星のごとくデビューして、天真爛漫な笑顔で無邪気にすべる彼女は、

あっという間にトップ選手に…。

 

 

でも、その後は順風満帆ではなかった。

ケガの影響もあり、彼女の代名詞になった “4回転ジャンプ” の重圧も、彼女にのしかかってきました。

 

 

そして、トリノ五輪での惨敗…。

 

大好きだったスケートが、嫌いになったこともあったでしょう(;し;)

 

 

 

その姿を重ね合わせてテレビ画面を見ていたから、今回の金メダルの感激はひとしおでしたビックリマーク

 

 

美姫ちゃんは、大切な人を失った被災地の方々の気持ちがわかるから、

「自分のスケートを見てくれた人が、少しでも笑顔を取り戻してくれたら嬉しい音譜」 っていう想いで、すべったそうです。

 

 

ほかの選手がみんな自分のためにすべる中、彼女は、元気をなくしている日本人のために、祈りをこめてすべった…。

 

 

本来は3月に東京で開催されるはずだった世界フィギュアが、ひと月延期されたことで、本当は、調整に支障をきたしたと思うんです。

 

でも、大切な誰かのためにすべる彼女は、そんな問題を超越していたと思うんですよね。

 

「ジャンプが跳べない」 とか 「調整に失敗した」 などの悩みは、自分のためにすべっているから出てくる悩みですよね。

 

 

自分以外の誰かのためにがんばっていると、次の次元に上がって、そんな悩みは消えてなくなってしまうのではないかしら…。

 

あのトリノの時に、こんな日が来るなんて、誰が想像したでしょう(*^-^*)

 

えへへ、実は私にはわかっていたんですよニコニコ

 

本当のことを言うと、トリノ五輪での演技を見て、安藤美姫ちゃんの選手生命は終わったと思いました。

 

ところが、神さまは、美姫ちゃんを見捨てていなかった。

 

トリノ五輪といえば…そう、まだ記憶に新しい、荒川静香さんの金メダル音譜

 

金メダルを首に下げて会場の出口から出てきた荒川静香さんの胸に、一人の少女が満面の笑みを浮かべて飛び込んでいったんです。

 

「しーちゃん、おめでとう~ビックリマーク

 

そして、その少女は屈託なく、こんなおねだりをしました。

 

「しーちゃん、いいなぁ。ミキにもかけさせて~♪♪」

 

そうです、この少女が安藤美姫ちゃん。

金メダルを首にかけて喜ぶ彼女を見て、私は 「きっとこの子が世界女王になる日が来る」 って確信しました。

 

美姫ちゃんは、自分の不甲斐なさを嘆くよりも、姉のように慕う荒川静香さんの金メダルを喜ぶ気持ちの方が、ずっとずっと大きかったんですニコニコ

 

そして、自分もこうなりたいと思ったから、素直に荒川静香さんの胸に飛び込んでいった…。

 

この素直さと潔さが、天に愛される最大の要因なんだと思います。

 

彼女にとって、一番悔しくて一番嬉しかったトリノの日から、1年後…

世界選手権で初めて女王に輝きます。

 

今回の金メダルは、4年ぶり。

 

でも、4年前の彼女とはまるで違う、苦しみ、もがき続けた中で、アスリートとしての揺るぎない哲学を身につけた、異次元の美姫ちゃんがいました。

 

彼女の成長は、人間の可能性を物語っていますね。

 

ずっと彼女を見守ってきた一人のファンとして、その成長を本当に嬉しく思いましたニコニコ

美姫ちゃん、感動をありがとう~音譜


ロンドン五輪に寄せて

(2012年7月23日のブログ記事より)

 

ついに九州も梅雨明けです~音譜

今年の梅雨は、雨量が多くて、各地で甚大な被害が出ました。

被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 

今日、出演させていただいた 『今日感テレビ』 も、先週まで被災地からの中継が多く、スタッフの皆さまも沈痛な表情でしたが、今日はまたいつものスタジオに戻って、とてもいい雰囲気で番組が進行していきましたニコニコ

 

いつも旬な情報を提供してくださるスタッフ、出演者の皆さまに、心から感謝です♡

そしてこんなに素敵な番組の仲間に加えていただいて、最高に幸せです☆彡

 

 

それにしても、もうすぐロンドン五輪ビックリマーク

楽しみですね~音譜

 

 

実は、ロンドンで五輪が開催されるのは、今回が3回目。

1回目は1908年。日本チームは、この次の大会から五輪に参加したので、第1回のロンドン五輪には出場していません。

 

2回目は1948年。戦時中に中断されていた五輪がこの年に復活したのですが、敗戦国である日本は招待されませんでした。

 

 

でも、もしこの時日本チームが出場できていれば、絶対に金メダルを取れた選手がいます。古橋広之進さんです。

 

 

古橋さんは、日本水連が五輪の日程にぶつける形で開催した全日本選手権に出場。

 

連日、神宮プールで世界記録を上回るタイムを叩き出し(古橋選手が1500メートル自由形で出した記録は、なんとロンドン五輪の金メダリストのタイムよりも、約40秒も早かったのです!)、日本中を歓喜させましたニコニコ

 

 

ところが、この時、日本は国際水連から除名処分を受けていたので、古橋選手の記録は公認されず、幻の世界記録となってしまいます。

 

その上、海外メディアの中には、古橋選手があまりにも速すぎるので、「日本のプールは短いに違いない」「日本のストップウォッチは壊れている」などと書き立てる新聞もありました。

 

悔しい思いの古橋選手に、翌年、チャンスが訪れます。

 

日本の国際水連への復帰が認められ、全米選手権に日本選手団が招待されたのです。

 

米国在住の日系人たちの協力を得て、日本選手団は、万全な体制で大会を迎えました。

 

初日の1500メートル自由形の予選A組。

橋爪四郎選手が、2位以下を150メートル以上も引き離してゴールイン、世界記録を樹立しました。

 

そのどよめきが収まらないうちにスタートした予選B組。

今度は古橋選手が、橋爪選手が出したばかりの世界記録を、さらに16秒も縮める大記録を打ち立てたのです。

 

そして翌日の決勝。

古橋、橋爪両日本人選手がデッドヒートを演じます。

 

結果は、1位古橋廣之進選手、2位橋爪四郎選手、3位田中純夫選手。

日本勢がメダルを独占、観衆は総立ちで日本選手たちを讃えました。

 

 

この大会で、日本チームは、自由形6種目中5種目に優勝、9つの世界記録を樹立。中でも古橋選手は、4種目で世界新記録を連発。

その時ついたあだ名が、かの有名な「フジヤマのフライングフィッシュ(トビウオ)」です。

 

 

その後、古橋選手は、遠征先の南米で赤痢に罹患し、五輪では無冠に終わりましたが、彼の活躍があったればこそ、敗戦ですべてを失った日本人が勇気と希望を取り戻し、さらにアメリカ社会で「ジャップ」と蔑まされていた日系人が、一夜にして「ジャパニーズ」と呼ばれるようになったのです音譜

 

出場したくても出場できなかった過去の選手たち。彼らの分まで、ロンドン五輪に出場する選手たちにはがんばってほしいですね(*^-^*)


ガンバレ、ニッポン!!

(2012年7月30日のブログ記事より)

 

ついにロンドン五輪が開幕しましたねビックリマーク

暑さとオリンピックで、眠れない夜を過ごしている方が多いのではないでしょうか?

 

日本選手の金メダル第1号が待ち遠しいですねニコニコ

 

 

でも…

このCMを見たら、メダルの色なんて関係ないって思えてきました。

 

 

http://www.youtube.com/watch?v=cXICFRi38qo

内村 航平選手の 「母の言葉」。

 

 

4年前の北京五輪…体操個人総合で銀メダルを獲得した息子に、お母さんがこんな言葉をかけました。

 

「“銀”っていう字は、金より良いって書くのよ。」

 

 

 

この言葉、銀メダルを獲得したすべての選手にかけてあげたいですね♡

 

 

そして…

銅メダルを獲得した選手には、こう言ってあげたいです。

“銅” は、金と同じ なのよ…って音譜

 

 

日本選手の皆さん、今夜もたくさんの感動をありがとうニコニコ


競泳日本!!

(2012年8月3日のブログ記事より)

ロンドンオリンピック 競泳のチームジャパン、金メダルこそないものの、「金より良い」銀メダル、そして「金と同じ」銅メダルを蓮日獲得!!!

 

選手たちの笑顔がはじけて、感動の連続です(;し;)

 

 

レースも素晴らしいですが、レース後のインタビューが、たまらない…ニコニコ

 

 

昨日も、個人種目でメダルを獲った入江選手や松田選手が、「北島選手にメダルをかけてあげたい」って、メドレーリレーへの決意を語ってくれました!!

 

 

「自分のため」より、大切な「誰かのため」の方が、断然力を発揮できる日本人のDNA。

 

 

チームジャパンの活躍に、最後まで目が離せませんねニコニコ


終戦記念日

(2012年8月15日のブログ記事より)

 

昨日までの雨が嘘のよう、澄み切った青空が広がっています。

67年前から、この空の色は変わらないんでしょうね。

 

終戦記念日の今日、すべての日本人が、それぞれの胸にそれぞれの思いを刻みましょう。

 

 

数えきれないほどの感動をもらったロンドン五輪が閉幕、なんだか心にポッカリと穴があいてしまったような…((+_+))

 

でも、これで寝不足が解消できるのは嬉しいかなニコニコ

 

 

昨夜は、選手たちが続々と帰国して、解団式が行われたんですね。

 

空港に詰めかけた人たちから、メダリストには大きな拍手が送られましたが、ひときわ大きな拍手をもらった選手は誰だったでしょう?

 

 

なんと…

なんと…

それは、初戦で敗れたレスリングの浜口京子ちゃん♡

 

日本人って、いいよねぁ~って、その温かい拍手に、思わず涙したのでした。

 

メダルをとれた人も、メダルに届かなかった人も、選手の皆さん、本当にお疲れさまでした音譜


西田先生の視点にしびれました!

(2013年8月3日のブログ記事より)

 

連日、真夜中の世界水泳観戦音譜

あ、もちろんTVでですよ(笑)

100M、200M背泳ぎで、ともに4位とメダルを逃した入江クン。
昨年のロンドン五輪では100Mが銅メダル、200Mが銀メダルだったから、今大会は、金メダルに対して並々ならぬ思いがあったのではないかしら。

レース後のインタビューで、衝撃的なひとこと。

「自分は真ん中には立てない人間なのかなと思う。これからのことはゆっくり考えたい」

う~ん、本人の気持ちを考えると、あまりに切ない。
この日のために猛練習を積んできたんだろうから…。

でもね、入江クン! 北島康介選手だって、寺川綾ちゃんだって、何度も地獄を見て、そのたびに這い上がってきたんだよ。
きっとあなたにも出来る!!

昨日、行徳先生がおっしゃっていた「野生の鴨」になって、感性を取り戻すことが、大切な気がします。

私はずっと応援しているからねニコニコ

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

この記事を、昨夜遅くにFBにアップしたら、なんと、あの西田文郎先生からコメントが…ビックリマーク

 

「スポーツの世界は残酷です。でも、ごまかせないから美しいのです。頑張って来たから、あの言葉がでたのですね。トップスポーツ選手を沢山見てきましたが、彼のあの言葉は凄い言葉です。」

 

うわぁ、本当にそうですね。

みんな見ている人は、無責任に「ガンバレ!」って言いますけど、そう言いたくなるぐらいの、血のにじむような練習を積んできたっていうことですもんね。

 

先生の視点、さすがだなぁニコニコ

 

ひるがえって、わが身を振り返ってみると、なんだかここ数日ダラダラ過ごしていたような…((+_+))

多くの人からいただいた感動、感激、感謝を、自分の人生に生かさないといけませんね。


人間っていいなぁ~♪

(2013年9月9日のブログ記事より)

 

近現代史に関する本のご依頼を受け、いま奮闘しています。

 

今までの2冊の本は、日本史のエピソードということで書かせていただきましたが、近現代史となると、国内だけで完結するエピソードはグッと少なくて、世界との関わりの中で、素敵なエピソードをいくつも見つけることができます。

 

日本人は、自分のことをあまりひけらかさないから、そのような素敵なエピソードが今に伝わっているというのは、それを語り継いでくれた世界中の人々がいるっていうことなんですよね(*^-^*)

 

ほら、人間関係って鏡の法則が当てはまるっていうでしょ。

相手の素敵な所に気づけるのは、自分にも同じ要素があるからなんですよね。

 

確かに、日本人の武士道を称賛し、語り継いでくれるのは、騎士道やジェントルマンシップを身につけている人だったりするわけです。

 

そう考えると、「日本人に生まれてよかった」なんていう思いが、なんだかちっぽけな感じがしてきて、「人間っていいなぁ」っていう思いがわき上がってくるんですよね♡

 

さて、東京五輪決定から一夜明けました。

東京開催が決定した瞬間、トルコの皆さんはガッカリしただろうなぁ。

 

ところが、トルコ国民の皆さんが、次々と「東京、おめでとう」という内容のツィッターを発信してくれているらしいのです。

その数、なんと15万件以上ビックリマーク

(東京開催決定から18時間の
データだそうです)

 

親日国ということは知っていたけれど、ここまでとは…。
トルコの皆さん、カッコよすぎです!!

やっぱり、人間っていいなぁ~ニコニコ


新しい年に誓う☆

(2014年1月9日のブログ記事より)

 

ソチ五輪に出場する選手が続々と決定していますが、金メダルの有力候補・高梨沙羅ちゃんの発言には、いつもハッとさせられ、学ばせてもらっています。

言葉はたどたどしいのですが、その内容たるや、とても17歳とは思えない深さがあり、ただ年月を重ねてきただけのわが身を振り返ると何とも情けない気持ちになりますが・・・ 何かの道を極めるって凄いことなんだなぁと、あらためて感じさせてくれます。
昨日のインタビューで彼女が答えていたこと。

「私はとてもいい時期にジャンプをやらせてもらっている。今の自分があるのも道を切り開いてくれた先輩方、関係者の方々のおかげ。支えてくださった方々のためにも最高のジャンプをしたい」

 

そうだよね、このソチ五輪から女子ジャンプが正式競技になるんだもんね。

それまで、五輪に出られなくてもずっとがんばってきた選手たちがいたんだよね。

そういう先輩たちの思いを感じられる沙羅ちゃん、17歳でその思いを背負おうとする沙羅ちゃんって、カッコいいなぁビックリマーク

 

きっと彼女は、本人の努力もスゴイんだろうけど、いろんな力に応援されているから、あれだけ強いんだろうなぁ♡

 

 

今年は私も天に味方してもらえるような生き方をしていきますニコニコ


真央ちゃんの人生に金メダルをおくりたい♡

(2014年2月21日のブログ記事より)

 

ソチ五輪は、連日、涙、涙…ですね。

 

羽生クンの金メダルも誇らしいけど、真央ちゃんにこそより大きな拍手を送ってしまうのが、日本人なんですね…。

 

日本人のメンタリティーを、もっともっと研究したくなってきました(笑)

 

なんだか清々しいなぁ。

皆さまも笑顔で素敵な一日をお過ごし下さいね音譜


日本人だから・・・☆彡

(2014年3月26日のブログ記事より)

 

昨日の甲子園ビックリマーク

奄美群島から史上初めて甲子園出場を果たした大島高校のアルプス席の応援には、感動したな~音譜

高校野球にこれほど熱中できるのは、日本人だから…??

 

実はこの頃、「日本人だなぁ」ってしみじみと感じる機会が何度もありました。

 

私が今まで本に書かせていただいたエピソードは、どれもわが子のように愛おしくて、みんな等しく思い入れがあるのですが、ただ、その中でも、よく講演でお伝えするエピソードと、本に書いたけど講演ではあまり語ることのないエピソードがあるんですよね。

 

講演でお話しするのは、少し華があるというか、わかりやすい話の方がいいと思っているから…。

 

そういう意味で、『こころに残る現代史』に収録した「神様になった警察官」は、講演でお伝えすることはないと思っていました。

 

ところが、先月の京都での出版記念講演会。

主催の方に「どの話が一番好きですか?」と尋ねたら、「神様になった警察官」を挙げられたので、驚きました。

 

あいにく、この日の講演は、他の話に割いた時間が長くなってしまい、時間配分が上手くいかなくて、この話をすることができなかったんです。

 

でも、それからひと月後、大阪で講演させていただく機会があり、もしかして「彼女が来てくれているかも…音譜」と思い、京都ではできなかったこの話をさせていただきました。

 

実際は、その方はいらっしゃらなかったのですが…意外なことに、「神様になった警察官」、すごい反響だったんですよ(*^-^*)

 

明治時代に村人たちをコレラから救うべく、誠心誠意尽くした巡査の話。

そしてその巡査から受けた恩を、100年以上にわたって伝え続ける日本人の話。

 

こういう地味な話に感動できる日本人って、いいなぁ~ニコニコ

 

ここから先の話は、ちょっと飛躍してしまいますが、私は、浅田真央ちゃんの生き方って、いかにも日本人らしい、日本人の琴線に触れる生き方なんじゃないかって、思うんです。

 

ソチでのフリー演技、いま思い出しても涙が出てくるんですよね(;し;)

 

前日のショートプログラムで取り返しのつかないミスをし、絶体絶命のピンチに立たされた時も、真央ちゃんの中には「トリプルアクセルを飛ばないという選択肢はなかった」と、本人が明言しています。

 

あの時、真央ちゃんは、なんであれほど気持ちを強く持てたのでしょう?

 

真央ちゃんは、幼い頃から伊藤みどりさんを目標にしてきたそうです。

 

伊藤みどりさんは、1992年のアルベールビル五輪で女子選手としては五輪史上初めてトリプルアクセルを成功させ、世界を沸かせました。

 

フリー演技の残り1分を切った時、演技前半で失敗し、転倒したトリプルアクセルに、彼女は再び挑んだのです。

それはまさに、彼女のスケート人生を賭けた、気迫のジャンプでした。

 

この大会で、伊藤みどりさんは銀メダルを獲得、目標の金メダルには届きませんでした。

 

でも、この大会の金メダリストを、一体どれだけの人が覚えているでしょう?

 

成績は2位でも、誰がなんと言おうと、この大会の主役は伊藤みどりさんでした。

彼女の演技は、彼女の生きざまは、伝説になったのです。

 

その伊藤みどりさんに憧れ、伊藤みどりさんのようになりたいと練習に励んできた真央ちゃんだからこそ、絶体絶命のピンチを迎えても、けっして逃げなかったのです。

 

逃げるどころか、迷うこともなかったのだと思います。

 

真央ちゃんは、メダルは手にできなかったけれど、メダルの先にもっともっと大切なものがあるということを、証明してくれました。

 

このメダルの先にあるものにこれほど感動できるって、やっぱり日本人だからでしょうかね。

 

でも、今回うれしかったのは、その日本人ならではの感性に、世界が共感してくれたことです。

 

ロシアのプルシェンコ選手やアメリカのミッシェル・クワン選手たちからの絶賛の声、そして中国国内で真央ちゃんの検索エンジンが第1位になったことなどなど…。

 

こういう感性に共感してくれる人たちの輪が広がっていけば、世界は一つになれるかもしれませんね(*^-^*)

 

真央ちゃんは、憧れ続けた伊藤みどりさんと同様に、その演技は、彼女の生きざまは、伝説となりました。

 

きっと、20年先も、30年先も、「ソチは浅田真央の大会だった」と言われ続けるでしょう。

人々は、たとえメダリストの名前は忘れても、「浅田真央」の名前は記憶し続けるはずです。

 

誰かに憧れる力というのは、その人に真の勇気を与えてくれますね。

そして、その人の人生は、何にシビれ、何に憧れたかで決まるもなのかもしれません。

 

プルシェンコ選手に憧れた羽生クンは、プルシェンコ選手の後継者となり、金メダルを獲得、そして真央ちゃんは、伝説となった…。

 

「この人みたいになりたい」そんな気持ちが、自分を遠くまで運んでくれるパワーの源になるんでしょうねビックリマーク


日本人にしかできなオリンピックを・・・!

(2014年4月3日のブログ記事より)

 

あー、大好きな選抜高校野球も、昨日で見納め…。

心にポッカリと穴があくとは、このことです(;し;)

 

これから夏の予選が始まるまで、淋しくなるなぁ。

実は私、夏の大会より、春のセンバツが好きなんですビックリマーク

準優勝校にも準優勝旗が授与されるし、どこまでも厳しい夏の大会に対して、春は優しい感じがするでしょ音譜

 

それに負けた選手たちに「夏にまたおいでね!」って声を掛けられるから…。

 

特に今大会は、センバツの良さをあらためて実感しました。

応援団賞の最優秀賞に、21世紀枠の鹿児島県立大島高校が選ばれたからです。

 

奄美群島から初めての甲子園出場、本土復帰61年目で快挙を果たした大島高校は、全校生徒による応援を決断。

 

彼らは2日前に島を出て、フェリーとバスを乗り継ぎ、およそ1200キロを移動して甲子園にたどり着いたのです。

 

試合は、優勝した龍谷大平安高校に大敗を喫しましたが、アルプス席はまるで奄美大島がそっくりそのまま甲子園に移ったみたいで、本当に素晴しい応援でした。

 

 

そしてこの応援してくれた全校生徒に心から感謝した大島高校の選手もまた、最高でした!!

 

 

この大島高校が21世紀枠で選出されたことも、そして応援で最優秀賞に選ばれたことも、センバツという大会の持つ優しさなのかと思ったら、心に温かいものがこみ上げてきましたニコニコ

 

 

 

この前のフィギュアスケートの世界選手権でも感じたのですが、スポーツの国際大会を開催するのに、日本ほどふさわしい国はありませんねビックリマーク

 

何と言っても、観客が粋ですニコニコ

 

 

どの国の選手にも、いいプレーには惜しみない喝さいを贈るから、選手たちも、素晴らしいパフォーマンスで応えてくれる。

 

こういう観客のフェアな精神は、甲子園を愛する日本人ならではなんじゃないかな。

 

 

2020年の東京五輪も、この精神で、各国の選手をおもてなししたいですね音譜

 

そして、日本でしかできない、日本人ならではのオリンピック、絶対にやりとげたいですねビックリマーク


真央ちゃん、ありがとう~!!

(2015年5月20日のブログ記事より)

 

私は、今まで4冊の本を出版させていただきましたが、実は、原稿を書くのが大の苦手です。

いくらでも喋るから、誰かそれを書き留めて~なんて思っているせいか、なかなかエンジンがかかりません( ;∀;)

原稿を書くのは苦労するのに、いざ書き終わると、何かが乗り移ったように、一気に編集していきます。

意外に編集作業は好きで、何日も続けて朝方まで作業していきます。

そうやって一冊の本が出来上がると、もう私は、絞り尽くして一滴の水分も出ない雑巾のようにボロボロになって、魂が吸い取られたような感じになります(;し;)

こういう状態で、次の本を書くって、とても覚悟がいるんですね。

覚悟さえ決まれば、なんとか出来ると思うのですが、覚悟を決めたらやらなきゃいけないから、なかなか覚悟できないんです。

なんでこんなこと書いてるのかというと、こんなダメダメな私を真央ちゃんに重ねるのも失礼な話なんですが、でも、真央ちゃん、きっとすごく高いハードルを越えて覚悟を決めたんだろうなって想像したら、涙が止まらないのですビックリマーク

真央ちゃん、本当に有り難う~ニコニコ音譜

 


準備中です
暫くおまちください

サッカーワールドカップ
伊メディアがベルギー戦後の日本代表のロッカールームの美しさを絶賛☆彡

(2018年7月4日)

日本代表、お疲れさま! そしてありがとう!!

2-0となった時、本当にいい夢をみせてもらいました。これから4年かけて、ぜひ正夢にしてください。

勝って涙、負けて涙、さらにこの記事にまた泣かされました。日本人の誇りがここにも~♪

皆様もぜひご一読くださいね。

「心を砕かれたはずなのに…」 伊メディアがベルギー戦後の日本代表のロッカールームの美しさを絶賛!(SOCCER DIGEST Web)


サッカーワールドカップ・サムライジャパン 歴女の総括☆彡

(2010年7月3日のブログ記事より)

昨日は、どのテレビ番組も、南アフリカから帰国した日本代表の爆笑記者会見の模様を流していたので、わたしも繰り返し、何度も見てしまいましたニコニコ

 

試合に出ることのなかった今野選手や森本選手にスポットが当たったり、その今野選手が披露したのは闘莉王選手のモノマネ

 

~ 闘莉王選手は、体調を崩していらっしゃるブラジルのお父さまの元に行って、記者会見には参加していなかった ~

 

ただのアドリブ、ただのムチャ振りを超えたドラマが存在したことに、あらためて感動しました♡

 

今回のワールドカップでの日本チームの戦いぶりは、本当に、脈々と繋がってきた大和心が結集した結果だと思います。

 

 

日本人って、ふだんは、とっても優しくて穏やかでおとなしいのに、ひとたび民族の危機がやって来ると、世界中が度肝を抜かれるほどの勇気を振り絞って、その危機に立ち向かっていくんですよね。

 

その象徴的な出来事が、歴史の上では日露戦争だったと思います。

 

 

日本は、大国ロシアに戦いを挑むにあたって、楽観論も悲観論も捨て、ただ自分たちにできるすべてのことを行ったのです。

 

 

実際に前線に出て戦った人たち、作戦を立てた人たちはもちろんですが、ありとあらゆる方向から、この負けられない戦いをどう制するのか、みんなが自分の役割を演じきりました。

 

 

国土も狭く天然資源が豊かでない日本は、長期戦になれば絶対に不利です。

 

 

だから、短期決戦で有利なうちに講和条約を結べるように、戦う前から 「どうやって戦争を終わらせるか」 を練りに練ったのです。

 

 

その一つは、利害関係のない第三国に、日本の立場をわかってもらい、講和を後押ししてもらうこと。

 

そのために、金子堅太郎が、新渡戸稲造の著した 『武士道』 を携えてアメリカに飛び、旧知の間柄だったセオドア ・ ルーズベルト大統領に会ったことは、有名なエピソードですよね。

 

T ・ ルーズベルト大統領は、一晩で 『武士道』 を読み終えると、すぐに50冊を発注し、自分の子どもたちや友人 ・ 知人、それに主要閣僚に配ったと言われています。

 

そして、陰になり陽なたになり、日露の講和を推し進める役を果たしてくれたのです。

 

さらに、日本が考えた日露戦争終結へのシナリオは、こんなレベルではありません。

 

ニコライ二世の帝政に異を唱え、社会主義革命を起こそうとしていたレーニンに、活動資金を与えたり、ロシアの圧政に苦しめられているフィンランド人やポーランド人に、独立を呼びかけ、その資金を提供したりしました。

 

つまり、ロシアの戦争続行を困難にするために、ロシアの足元を揺るがそうとしたのです。

 

この大胆な諜報活動は、後に陸軍大将となる明石元二郎を中心に進められました。

 

ここまでして、日本は一つになって、大国ロシアに立ち向かったのです。

 

わたしは、けっして戦争が好きなわけではないのですが、今回のワールドカップでの日本の活躍、そして岡ちゃんが言っていた「脈々とつながる大和魂」 という言葉の背景には、こういう民族の歴史、先人たちの大いなる叡智があるのではないかと思い、書かせていただきました。

 

今回の日本の活躍は、ピッチに立つ選手と控えにまわった選手の想いが一つであったこと、彼らを指揮する監督への信頼はもちろんですが、おそらく、高地での戦い方を徹底的に分析したチームもあったでしょうし、選手のコンディションづくりに携わった方々もいらしたでしょう、それに心から応援した人たちも含めて、みんながそれぞれの役割を演じきった結果だと思いますニコニコ


倉木麻衣さんに感謝~♪

(2011年3月30日のブログ記事より)

 

大阪・長居スタジアムで行われた、サッカー 「日本代表 vs Jリーグ選抜」チャリティーマッチの国歌斉唱を務めた倉木麻衣さん♡

 

「がんばろうニッポン!」とプリントされた、選手たちとお揃いのTシャツを着て、アカペラで伸びやかに歌い上げた 「君が代」 は圧巻でしたニコニコ

 

試合は、2対1で日本代表が勝ちましたが、Jリーグ選抜の1点は、なんと44歳のキング・カズのゴール音譜

 

きっとカズのサッカー人生の中でも、特別な意味を持つゴールだったのではないかしら…。

 

被災地の方々にみんなの想いが届くといいなニコニコ


女神に微笑んでもらうには・・・☆彡

(2011年7月20日のブログ記事より)

 

昨日の朝、なでしこジャパンが凱旋帰国してから、彼女たちが出演する番組を追って、テレビのチャンネルを変え、感動の余韻にひたりまくっています。

 

 

いま思い返しても、決勝のアメリカ戦は、奇跡の連続でしたよね。

 

「もうダメかも…((+_+))」 と、何度思ったことでしょう。

でも、彼女たちは、誰一人、あきらめていなかった。

 

 

アメリカに先制ゴールを決められ、残り時間が10分を切った時。

延長に入って、またアメリカがリード、残り時間が3分になった時。

そして、せっかく同点に追いついたのに、最後に訪れた決定的ピンチ…ビックリマーク

 

 

これだけ奇跡が続いたら、それはもはや “運” ではなく、彼女たちの実力ですね音譜

 

 

それでもまだなでしこたちの勝利に確信が持てなくて、ドキドキしていた人も、PK戦に持ち込んだ時の彼女たちの輝く笑顔を見たら、勝利を信じられたんじゃないかなぁ。

 

 

あの土壇場で、あの笑顔…ニコニコ

日本女性は、本当に強くて美しくて、“和” の心を持っていて、最高ですねビックリマーク

 

 

なでしこを率いる佐々木監督は、あの時、「追いつかれたアメリカこそショック、PK戦に持ちこめただけでもうけもの、自分たちには失うものは何もない。」 という気持ちだったそうです。 世界 No.1 のアメリカと対等にわたりあい、素晴らしい試合をしている選手たちに対する感謝の気持ちが、あの笑顔になって表れたのでしょうね♡

 

実は私も、少しだけ佐々木監督の気持ちがわかるんです。

 

一年前に主治医から 「もう助からない」 と言われた私が、こうして元気になり、今を生きていられるだけで幸せで、一瞬、一瞬に幸せ感が溢れてくるのです。

 

勝利の女神って、徹底的に勝ちにこだわって準備をしてきた者が、勝ち負けを超えた想いを持った時に、微笑んでくれるのかなぁ~って思いました。

 

勝利の女神、チャンスの女神、幸運の女神…

女神に微笑んでもらいたい人はいっぱいいますよね。

 

でもね、女神に微笑んでもらえる究極の生き方は…

あなたが誰かの女神になることですビックリマーク

 

大切な誰かを、笑顔にしてあげられる人…

きっとそんな人に女神は微笑んでくれると思います。

 

私たちの中に、女神がいる…

なでしこの勝利を見ていたら、それが確信になりましたニコニコ

 

台風が近づいて心配なさっている方も多いと思いますが、どうか

今日も一日笑顔でお過ごしくださいね音譜


おめでとう、澤選手!!

(2012年1月10日のブログ記事より)

やったぁ~音譜

女子サッカーの世界年間最優秀選手「FIFAバロンドール」に、我らがなでしこジャパンの澤選手が輝きましたねニコニコ

 

澤選手のフィールドでの活躍は文句のつけようがありませんが、表彰式の振り袖姿も素敵で、惚れ惚れしちゃいますニコニコ

 

 

澤選手には、名言がたくさんありますが、その中でも、私はこの名言に心が震えましたビックリマーク

 

 

澤選手が小学生の頃、男の子から 「女なのにサッカーなんてやって…ビックリマーク」 って言われて、すごく傷ついた経験があるそうです。

 

きっとその男の子、実力では澤選手に敵わないから、そんなこと言ったんでしょうね((+_+))

 

 

澤選手は、その悔しさをバネに猛練習して、ついに世界一にまで登りつめたわけですが、そのことに関して、今ではこんなふうにおっしゃっているそうです。

 

「私が女であるという “宿命” は変えられないけれど、“運命” は自分の手で切り拓くことができる。」

 

しびれますね~

 

 

私の人生を引き合いに出すのもおこがましいですが、実は私、以前、ある有名な風水の先生に、「こんなに運の悪い人は見たことがない。」 って言われてしまったんですよ((+_+))

その時、かなりショックを受けて、4日間ぐらいふさぎこんで、誰とも会えなかったんです(;し;)

 

 

でもね、落ち込むだけ落ち込んだら、ふっと、ひらめいたんですね。

 

先生がおっしゃったのは、私の 「宿命」 であって、「運命」 は、どんなに凄い先生にもわからないんじゃないか…って。

 

たとえ私が 「最悪の宿命」 のもとに生まれたとしても、それを私がどう受け止め、何を感じ、何を思い、何を考え、どう行動するかで、運命はいくらでも変わるんじゃないか…って。

 

 

きっと努力した分、運命は変わるはず…って思ったんです。

 

 

あきらめない、でも執着もしない、ただ自分の宿命を受け入れる…

そしたら、運命の扉が開いて、思いもよらないところに運ばれる人生になっちゃいました(*^-^*)

 

きっと、この 「運ばれた先」 が 「運命」 なんでしょうね。

 

 

だから皆さん、占いや風水で何を言われても大丈夫ですから…音譜

 

どんな人生でも、大切な自分の人生です。

自分の運命を信じ、慈しみましょう~音譜


なでしこジャパンの快挙☆

(2011年7月10日のブログ記事より)

昨日は、斎藤一人さんのいとこ・斎藤工宝詞(こうじ)さんの講演会に行ってきましたニコニコ

 

成功するためのマインドづくりをわかりやすくお話ししてくださったのですが、昨夏の岡田ジャパンのワールドカップでの快進撃を例にとってのお話だったので、本当にわかりやすくて、一年経って、新たな感動がわき上がってきましたビックリマーク

 

 

“人生に悩んだら「日本史」に聞こう ~幸せの種は歴史の中にある” の中でも書かせていただいたのですが、私は、日本人ならではの成幸哲学というものがあると思っています。

 

 

ご縁を大切にする日本人、自分のためにがんばる時よりも、大切な誰かのためにがんばる方が、1000倍の力を発揮できる日本人…。

 

日本人の私たちが輝く時、幸せをを感じる時は、『for you』 で生きている時なんですね♪

 

 

昨日、素敵な出逢いにとてもウキウキして帰宅すると、もう一つ、素晴らしいニュースが飛び込んできました!!

 

なでしこジャパンが、戦前の不利な予想をくつがえして、ドイツを撃破、歴史的な勝利を飾りました音譜

 

ドイツは、ワールドカップ2連覇中で、しかも開催国。

その上、日本は、一度もドイツに勝ったことがありません。

 

 

予選リーグ、イングランドに敗れ2位通過となった時点で、決勝トーナメント準々決勝でドイツと対戦することが決まり、早々にあきらめていた人も多かったのではないかしら。

 

何を隠そう、お恥ずかしながら私もその一人でした。

 

でも…なでしこは誰もあきらめていなかった。

最後まで勝利を信じて、集中力を切らすことなく、最高の戦いを演じましたビックリマーク

 

延長戦後半で値千金の決勝ゴールを決めた丸山選手の、「決めたのは私ですが、みんなの力です」 というコメントも、いかにも日本人らしくて、素敵でした音譜

 

聞くところによると、丸山選手は、東京電力女子サッカー部で長年プレーしていたそうです。

彼女はきっと、この4ヶ月間、複雑な想いを抱き続けてきたのではないでしょうか。

 

選手一人一人のそんな想いに心を寄せると、単なるスポーツの試合に勝った、負けたというレベルの話ではなく、そこにはさまざまなドラマがあり、そのワンシーンに人としての生き方、あり方が凝縮されていることに気がつきますね。

 

 

なでしこジャパンの、準決勝、決勝での健闘を祈って…♡


澤選手にしびれてます!!

(2011年7月18日のブログ記事より)

 

なでしこジャパンの金メダルのシーン、何度見ても泣けますね(;し;)

 

試合中の選手の皆さんの集中力や冴えわたるプレーは、神がかっていましたね。

私たちのご先祖様が、日本の神さまが、なでしこたちをこぞって見守り、優勝への後押しをしてくれているのが感じられました♡

 

 

それにしても、スポーツの力って、本当にすごいビックリマーク

 

 

66年前、敗戦にうちひしがれた日本を元気にしたのは、古橋廣之進さんら競泳陣の活躍や、東洋の魔女と謳われた女子バレーボールの選手たちでした。

 

 

そして今回、なでしこたちの被災地への想いは、画面を通して痛いほど伝わってきました。

 

 

試合内容については、多くの方がお書きになっていると思うので、私は、澤選手の印象に残った言葉をご紹介したいと思いますニコニコ

 

 

試合前、アメリカと決勝を戦えるのは、「サッカーの神さまからの最高のプレゼント」 と言っていた澤選手。

 

彼女は、このプレゼントが、本当に嬉しかったんだろうなぁ音譜

 

感謝の気持ちが、アメリカという強敵に対する 「怖れ」 を上回っていた気がします。

 

そして、これは、アメリカに敗れてメダルを逃した北京五輪での澤選手の言葉。

他の選手たちに対して、「苦しい時は、私の背中を見て!!」

 

これぞリーダーとしての、究極のひとこと音譜

 

人の人生は、何にしびれるかによって決まるそうです。

 

なでしこジャパンの活躍と沢選手の言葉によって、多くの人の人生が変わりそうですね音譜


熱い夏

(2011年7月14日のブログ記事より)

なでしこジャパン、やりましたねビックリマーク

ワールドカップ、悲願のメダル獲得、そして決勝進出…ビックリマーク

 

「ここまで来たら、優勝させてあげたい」


…というのが、全国民の気持ちですね♡

 

連休最終日、早起きして(ほぼ徹夜で?)テレビ中継見ちゃうよ~音譜

電力消費に余裕がある時間帯なので、大丈夫ですよねニコニコ

 

 

試合内容も素晴らしかったですが、選手たちが掲げた横断幕に感動しちゃいました(;し;)

 

To Our Friends Around the World 

  Thank You for Your Support

 

世界中の人々の支援に対する感謝を、こういうカタチで表現できるなんて、やっぱりスポーツって素敵だなぁと思います。

 

さてさて、ワールドカップの開催地・ドイツ以上に熱くなっているのが、博多の街…音譜

 

博多っ子たちが一年で一番熱くなるのが、山笠の時なんです。

明日の早朝が、山笠のクライマックス・追い山。

 

4:59に追い山が始まり、その様子はテレビ中継もされます。

もちろん電車も山笠に合わせて運行していますが、正直、小学生の母である私にとって、平日の早朝に博多の街まで繰り出すのはかなりきついのです・・・・

 

それで、昨日、集団山見せを見てきました。

 

実は、博多の街は、住所では福岡市博多区ですが、本来は、博多と福岡は、那珂川を挟んで、隣り合った街同士。

 

商人の町・博多から、城下町・福岡に、山笠が唯一、舁き入れる日が、昨日だったのです。

 

今年の一番山笠は、西流(にしながれ)。

 

福岡藩の藩祖・黒田長政です。

 

10月に予定されている筑紫野市図書館での講演で、黒田如水&長政父子を例にとり、歴史にみる親子関係について語ることを、先日決めたばかりですが、そんな時、この勇ましい長政を見ることができて、早くも気分は最高潮です…ニコニコ

 

博多の街に本格的な夏の到来を告げる山笠は、博多っ子の誇りです。

福岡市民になってわずか十数年の私にも、博多っ子の熱い心が育っているんだなぁ~と、山笠を見てしみじみ…音譜

 

全国の皆さま、ぜひ一度山笠の時期に博多を訪れてみてくださいね(*^-^*)


サムライスピリット

(2014年1月15日のブログ記事より)

 

ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。

世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。

だから、今、ぼくはガンバッている。

今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。

そして、世界一になったら、大金持ちになって親孝行する。

Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。

そしてレギュラーになって10番で活躍します。

一年間の給料は40億円はほしいです。

プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り、世界中の人が、このぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。

一方、世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。

セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。

ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。

この得点も兄と力を合わせ、世界の強ゴウをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることが、ぼくの夢です。

 

 

これは、近ごろ話題になっている、本田選手の小学校時代の作文です。

 

先日、ACミランの入団会見で、サムライスピリットの説明を求められた本田選手は、

「僕は“侍”に会ったことはない。だから定かではないのですが、日本の男は決してあきらめません。強い精神力があり、規律を重んじます。自分にもそういう所はあると思うので、その魂をピッチの上で示していくつもりです」

と答えました。

 

1月31日発売の新刊『こころに残る現代史』(角川書店)のテーマは、ズバリ日本人の美しさです。

 

「武士道って何だろう?」とずっと考えてきたのですが、それは日本人の究極の美意識なのではないか、と。

 

確かに明治維新で侍はいなくなったけど、サムライスピリット、そしてサムライを育てた女たちのプライドは、その後も脈々と私たちの中に生き続けていると思うんですよね。

それは、本田選手だけでなく、私たち日本人のDNAに刻まれているのではないか、そんな思いで綴らせていただきました。


準備中です
暫くおまちください

駅伝
あけましておめでとうございます!!

(2012年1月2日のブログ記事より)

 

輝ける2012年の幕開けですねビックリマーク

今年も、今まで以上に一層宜しくお願いいたしますニコニコ

 

 

今日は、第88回箱根駅伝をテレビで観戦しました。

 

優勝候補に挙げられているのは、東洋大学。

「山の神」の異名をとる柏原竜二選手は、過去3年連続、5区の箱根の山登りで区間賞を獲得、そのうち2回は区間新記録も樹立しています。

 

昨年はなかなか調子が上がらなかった柏原選手ですが、大学生活最後の今年、福島出身でもある彼は、きっと期するものがあるはず…ビックリマーク

 

 

そんなことを思いながらテレビにかじりついていたら、柏原選手、やってくれましたニコニコ

自らが2年前に樹立した区間記録を29秒も短縮して新記録を樹立、見事に4年連続区間賞を達成☆彡

チームとしても新記録で往路4連覇を達成しました。

 

 

この東洋大学、実は3年前には、部員の不祥事によって箱根駅伝の出場まで危ぶまれる状態にありました。

けさ届いた『致知』のメルマガに、3年前、窮地に陥った同チームの監督代行を務め、見事日本一に導いた佐藤尚氏の記事が紹介されていたので、転載させていただきますね。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

ゴール後、出場した選手を含め、その場にいた部員全員が、コースに向かって一礼した…。

 

 

私が現在、スカウト兼コーチを務める東洋大学陸上競技部は、平成21年1月3日、第85回箱根駅伝で総合優勝を果たしました。

67度目の出場で、初となる王座獲得です。

 

しかし、この時の箱根駅伝は、選手たちにとって、いつもの箱根ではありませんでした。

 

その前年の12月、部員が不祥事を起こしたことにより、練習を自粛し、試合に出場できるかどうかさえ、分からない状況だったのです。

 

川島伸次監督も引責辞任。箱根駅伝を目指し、努力を積み重ねてきた選手たちにとって、辛い日々だったでしょう。

 

しかしありがたいことに、関東学生陸上競技連盟から「出場制限しない」との裁定が下りました。そして、私が急遽、監督代行に就任したのです。

 

練習らしい練習ができたのはほんの10日間程度でした。しかし、私自身が焦っては選手にもそれが伝わってしまうため、焦らずにとにかく、やれる範囲で頑張ろうと思いました。

 

そして、それまでの私たちの合言葉だった「優勝」は一切口にせず、代わりとなったのが「感謝の走りをしよう」でした。

 

私は日頃から部員たちに「いま、ここにこうしていられるのは、学校だけでなく、世間の皆さんや卒業生たちのおかげなのだから、感謝の気持ちを忘れてはいけない」

と話してきました。

 

レース中の優勝がほぼ決まった状況の時、主将から胴上げの相談がありました。

 

私は、それはしないようにと指示し、後は自分たちで考えなさいと言いました。その結果が、冒頭で述べたゴール後の一礼でした。

 

あの行為は選手たちの感謝の気持ちの表れなのです。

しかも、走った選手だけでなく、その場にいた全員が一礼したということは、「感謝の気持ち」が全体に浸透したということでもあります。

 

私は試合に勝った、とは思っていません。出場させていただき、勝たせていただいた、と感じています。選手たちも同様でしょう。

彼らと一緒にやれたことで、私は選手たちにも感謝しています。

 

(『致知』2010年3月号「致知随想」より)

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

明日の復路も、どんな素敵なドラマが生まれるか楽しみですね音譜


相撲
土俵の神さま☆

(2012年9月24日のブログ記事より)

 

日馬富士が全勝優勝しました。

 

ところが、白鵬を破った日馬富士の額に、なぜか土が…ビックリマーク

 

 

実は、横綱との千秋楽の取り組みを終えた日馬富士関が、土俵で土下座をしたから、額に土がついたのです。

 

 

日馬富士関は、いつもいつも土俵の神さまに感謝しているんですって音譜

 

ク~ッ、しびれる~( *´艸`)

 

 

剣道や柔道に代表される 「武道」、華道や茶道、商人道…

日本人が、スポーツや文化や仕事を 「生き方」 にまで昇華できるのは、どんな場にも神さまが宿っているからなんですよね。

 

 

そのことを、あらためて気づかせてくれた白鵬関と日馬富士関の姿に、感動しました♡


野球
先祖に感謝!  第100回甲子園、決勝戦を観戦してきました♪

金足農業が勝てば、深紅の大優勝旗がはじめて東北の地にひるがえる、しかも秋田勢の決勝進出は第1回大会以来という、世紀を超えた悲願のかかった決勝戦。

大阪桐蔭が勝てば、史上初の2度目の春夏連覇。

どちらが優勝しても歴史に残る大会を、この目で見ることができ、これも先祖のおかげと、深く深く感謝しました。

試合は思わぬ大差がつきましたが、決勝戦、そして閉会式という独特の雰囲気は、点差に関係なく、心に残るものでした。

私が座ったのは、金足農業のベンチの上、最前列。試合中は「がんばれー!」という声援が飛び交っていましたが、試合終了と同時に、声援は「ありがとう」の感謝の言葉に…

甲子園のファンの、この優しさがたまらないんですよね♪

日本人の良心が、そこに溢れているように感じます。

さぁ、感動にひたったあとは、気持ちを切り替えて、これから仕事に邁進します。

素敵な経験ができて、3年は突っ走れそうです(笑)

皆様に全国の講演会場でお会いできること、心待ちにしていますね♪ 

今日のひとりごと(平成30年7月17日)

西日本を中心とする豪雨災害で延期されていた第100回全国高校野球選手権記念広島大会が、

10日遅れで、今日、開幕しました。

 

高校野球って、やっぱりいいなぁ~音譜と感じさせてくれた、開会式での選手宣誓。

全文を掲載しますねニコニコ

「今日、ここに大会が開会されること、野球ができることに感謝します。

7月6日、記録的な豪雨が西日本を襲いました。

多くの命が失われ、今も被災されている方々もいます。

亡くなられた方々に哀悼の意を表します。

私の地元は(広島市安芸区)矢野です。

7日の朝、私が見た景色、矢野が矢野でなくなったように感じました。

とにかく行動せずにはいられませんでした。

その中でどうにもならない無力感も感じました。

今なお困難な状況にある仲間もいると思います。

しかし、私たち一人ひとりにとって、選手権大会は、

一回きりのかけがえのないものです。

どんな状況も克服し、それを乗り越えて挑戦します。

それが野球だから。

その積み重ねが100回目を迎えました。

今回は、私たちの成長、私たちの闘う姿を見てもらう大会です。

被災された方々に勇気と力を与えられるように全力でプレーします。

 

家族、指導者、チームメート、私たちを支えてくれた全ての人々への感謝を胸に、がむしゃらにプレーすることを誓います。

平成30年7月17日
広島県立安芸南高等学校野球部主将 田代統惟 」


【金沢講演】野球道で伝承する青少年育成魂2018年2月3日ぜひお越しくださいね♪

(2018年1月19日のブログ記事より)

 

甲子園をテレビで見守り続け、早や半世紀(笑)

 

私が勝手に選ぶ史上最高の試合は、昭和54年の星稜高校vs箕島高校の延長18回。

 

もちろん勝者の箕島も素晴らしいのですが、私はやはり日本人、判官びいきで星稜高校をその後もずっと応援し続けています。

 

今や伝説となった松井秀樹選手の5打席連続敬遠、ケガ人続出の中、山本省吾投手を擁し準優勝に輝いた時には、その見事な戦いぶりとともに閉会式での美しい入場行進に、大会関係者をして「君たちを準優勝校とは呼びたくない」と言わしめました。

 

星稜高校って、不思議と負けるたびに歴史を塗り替えていくんですね。

 

名将・山下智茂監督の傍らには、いつも本田実先生の姿がありました。

 

延長18回の時はアルプススタンドで、松井選手の時には放送席で、そして平成7年の準優勝の時にはベンチで、星稜野球部の歴史的瞬間を見守り続けてきた、本田先生。

 

山本省吾クンの慶応大学への推薦書類では、膨大な担任の記述欄にひるむどころか、「ここまで生徒のことを知って選んでくれる慶応は、素晴らしい」と言いきる、教育者の鑑(かがみ)でもいらっしゃいます。

 

そんな本田先生と、金沢でコラボ講演をさせていただきます。

 

しかも、読書のすすめの清水店長が書籍の販売に駆けつけ、ミニ講演もしてくださるという、何とも贅沢な一日♪

 

野球が好きな方も、興味ない方も、ぜひお越しくださいね。

 

愛が溢れる金沢の歴史に触れながら、野球道について語り尽くしたいと思います。

 

詳細・申し込みフォームは、下記サイトをご参照ください。

 

ライオンズクラブの主催ですが、一般の方々のご参加、大歓迎です!

 

高校生以下は無料なので、ご家族でお越しいただけたら嬉しいですニコニコ

 

既に300名様の高校球児の参加も決まっているそうです音譜

 

金沢にうかがうのを楽しみにしていますね音譜

https://goo.gl/forms/o6yOx7L57a87dzrd2


背番号19番のヒミツ☆彡

(2013年11月2日のブログ記事より)

ワールドシリーズも制し、世界一の胴上げ投手になった上原浩治さん。

巨人時代も、メジャーリーガーになってからも、彼の背番号はずっと19番。

 

よっぽど19番に愛着があるんだなぁ~

とは思っていたけれど、今日、その理由を知って、シビれました( *´艸`)

 

上原さんは、19歳の一年間を忘れたくないから、この一年間が自分の土台をつくってくれたから、だから日本でもアメリカでも19番を貫いているんですって音譜

 

高校3年の時、ドラフトでどの球団からも指名されず、大学で野球を続けることを夢みて、大学を受験するも、不合格。

予備校に入学した上原さんは、毎日、朝9時から夜9時まで勉強して、さらにそのあと体力が落ちないように、トレーニングに励んだそうです。

 

こうして過ごした19歳。

このつらい時期が、その後の自分をつくってくれたと、上原さんはインタビューで答えていました。

 

…うん、やっぱりねビックリマーク

私たちって、苦境に立たされるとついつい「うまくいってない」と思ってしまうけれど、実際は、ただ思い通りにいってないだけ。

うまくはいっているんだよねビックリマーク

 

いま自分の身に起こっている出来事は、過去の結果が半分、でも残りの半分は、未来に必要だから起こっている。

もっともっと天を信頼していいんじゃないかと思う。

 

私たち人間が考えることなんて、どうせ大したことないんだし、思い通りにならない人生だからこそ、楽しいしステキなんじゃないかな音譜

 

明日(11月2日)、講演してくださる鍵山先生は、5年前の致知30周年の講演会で、自転車で行商をなさっていた頃のお話をしてくださいました。

 

行った先々で「もう二度と来るな」と言われ、その後、二度、三度と訪ねると、バケツの水をかけられたり、ほうきやモップの柄で表に突き出されたり、中には自転車を倒されて、積んでいた荷物がばらばらと散ってしまったことも…。

 

それでも、鍵山先生は、そのお店に一礼して立ち去るのだそうです。

なぜなら、この鬼のような人こそが神さまなのかもしれないと思っていらしたからです。

 

神さまが人間の格好をして、私がどれだけ耐えられるかを試している。

あるいは、こういうことを他人にしてはいけないということを、身をもって教えてくれている…。

鍵山先生は、そう自分に言い聞かせ、相手に心から感謝なさったのでしょう。

 

そんな鍵山先生に、私は今まで3度お会いしました。
鍵山先生のお姿を拝見するだけで、お声を耳にするだけで、涙が出てきます。

 

もし神さまが人間の格好をしていらっしゃるとしたら、それは鍵山先生なのではないか、私はそんなふうに感じるんです。

 

鍵山先生の高潔さは、きっと行商時代も恨まず、腐らずに黙々と人知れず徳を積み重ねてこられた賜物なのでしょう。

 

歴史を紐解いても、思い通りにいかない時の身の処し方が、その人の人生を決めるような気がします。

順境の時も逆境の時も、お天道様に恥ずかしくない生き方、しているかな?

明日、私は鍵山先生の前で襟を正して、自分の人生と向き合いたいと思います。 


もちはもち屋!

(2013年10月23日のブログ記事より)

明治生まれの江戸っ子の祖母からは、成績がよくて褒められたことは一度もありません。

 

そのかわり、私が何か気の利いたこと、思いやりにあふれたことをすると、「お前、粋(いき)なことしたね~」って褒めてくれました。

 

祖母から褒められると嬉しくなって、「私、こんなことしてあげたんだよ」って自慢げに誰かに話してしまうんです。

 

すると、それが祖母の耳に入った途端に、「まったくお前は野暮天(やぼてん)なんだから!」というキツ~イひとことが飛んできて、天国から地獄に突き落とされたような、いえいえ、それどころか人間失格という烙印を押されたような気がして、相当凹んだものです(;し;)

 

 

そんな祖母に翻弄されつつも、江戸っ子の「粋か野暮か」っていう価値観は、かっこいいなぁ~って、祖母はいつも私の憧れでしたニコニコ

 

 

私はここ数年、越川禮子先生の本を読んだり講座を受講したりして、江戸商人の価値観や生き方を学んできました。

 

その中に、「もちはもち屋」というのがあるんです。

経済は循環しているのだから、むやみに他人の専門領域を侵さずに、専門家に任せるということ、つまり共生の叡智なんですね。

 

でも、この「もちはもち屋」が成り立つのは、お互いがプロとしてのプライドを持ち、その道に精進していくからですよね。

プロ意識も低いのに、お互いが既得権益を守ろうとしたら、それは単なる甘えの構造になってしまいますからね。

 

 

江戸時代265年間、江戸の町にはほとんど失業者はいなかったそうです。

もちろん景気の波はありましたよ。

好況の時もあれば、不況の時もある。

でも、ふだんの心がけがよかったから、不況の時に、従業員の首をきらなくてもちゃんと乗り切っていけたんですね。

 

そこには、「もちはもち屋」という共生の叡智があったことも、少なからず影響しているのではないかと思います。

 

 

今日、なぜこんな話をしたのかというと…

楽天の日本シリーズ出場が決まり、東北のためにも本当に良かったし、クライマクスシリーズで下剋上になるのも面白いけど、やっぱりセパの1位同士で日本一を争うのが一番だよね、ということで、私はすごく喜んでいたんです。

 

 

ところが、そばで小4の息子が、「楽天には勝ってほしくなかった」って言うんですね。

 

理由を聞いて、びっくりしました。

 

実はうちの息子、よくヤフオクドームに試合を見に行っているんです。

楽天のパリーグ優勝が決まった次の試合は、ヤフオクドームでのソフトバンク戦だったのですが、この日のチケットも、ひと月以上前に購入して、とっても楽しみにしていたんですよね。

 

息子の話だと、その試合の内容が、ひどすぎたらしいんです。

 

楽天の選手がビールかけで疲れていたのか、ヤル気のない緩慢なプレーが多く、大量に点差も開いたそうです。

 

 

しかも星野監督、「(優勝が決まったばかりだから)今日は仕方ないけど、明日から気合を入れ直さないと…」とおっしゃっていたんですよね。

 

「プロの選手が、あんな試合したらいかんビックリマーク

これ、息子の言葉です。

 

 

私は、息子にプロ意識を教えられたような気がしました。

 

 

そうなんです、公式戦である以上、入場料を観客からいただいている以上、「消化試合」なんてありえないんですよ。

 

確かに優勝することは、大事なことでしょう。

でも、野球が大好きで、プロ野球に憧れて、選手の皆さんの一挙手一投足をワクワクしながら見守っている子どもたちがいることを、忘れないでほしいなぁ~って思います。

 

選手の皆さん…

子どもたちの夢を育むこと。

そこにもプロ意識を持ってくださいねビックリマーク


甲子園の感動を和気でも・・・♪
(2013年8月20日のブログ記事より)

日曜日は、てんつくマン主催の天岩戸開きのイベントに参加させていただき、月曜日は、甲子園で準々決勝を観戦!!!

 

念願の花巻東のアルプス席、しかも有りえないほど素敵な(濃ゆ~い!!)メンバーとともに…ニコニコ

 


月に17本講演させていただいた時も声が枯れることはなかったのに、今日は涙と笑いと絶叫で、声が枯れ果ててしまいました(笑)

 

甲子園の準々決勝は、なぜか必ず接戦になるのですが、今日の4試合も、奇跡と呼びたいドラマの連続で、手に汗握る大接戦ばかり。

 

高校野球ファン歴40年の私には、たまらない一日でした( *´艸`)

 

もう人生には、感動しかないのではないか…

そんな思いがわき上がってくる2日間でした。


次世代に夢を与える二刀流☆彡

(2013年8月13日のブログ記事より)

息子とのキャッチボールが体力的にきつくなってきた、今日この頃。

「伊吹、野球チームに入ったら? 高取にチームあるよ。ソフトボールなら、西新コングスもあるし…」
と、息子に、チームに入ることを勧めてみました。

 

すると…
「ママ、高取や西新のチームなんて、伊吹は入らんよ。 伊吹は日本ハムに入るんだから」

だって(笑)

いきなり日本ハムに入れたらいいけどね~ニコニコ
彼が世間の厳しさに気づくのはいつなんだろう?

 

あ、息子の年齢は4歳や5歳ではありませんよ。

大谷 翔平クンに憧れる、小学4年生です。

今、日本ハムが最下位ということもあり、二刀流には賛否両論ありますが、エースで4番って、世の野球少年の、永遠の憧れなんだろうなぁ~音譜

 

プロ野球だから、結果を遺さないといけないけれど、人々に勇気や希望を与え、ファンを増やしていくことは、優勝するのと同じぐらい価値があるんじゃないかなニコニコ

 

大谷クン、栗山監督、野球少年に夢を与えてくださって、ありがとうございますビックリマーク

 

雄星クンのケガも、早く治りますように…音譜


究極のサプライズ!!

(2013年7月10日のブログ記事より)

七夕にコラボ講演させていただいた斎藤 工宝詞さんからのサプライズ!!!

 

花巻東高校時代は甲子園の準優勝投手、オールスターにも初出場が決まった埼玉西武ライオンズのエース・菊池 雄星クンのサイン。

 

 

清水店長の紹介で『感動する! 日本史』を読み、感動してくださったという雄星クン、「願えば叶う」という素敵な言葉を添えて、なぜか私の書いた本に(笑)サインしてプレゼントしてくださいました。

9日遅れのバースデープレゼント、嬉しかったなぁ~( *´艸`)

 

工宝詞さんから花巻東高校の素敵なエピソードをたくさん伺ったので、各地の講演会でお伝えしてまいりますねニコニコ

 

 

お近くにお住いの皆さまにお越しいただけたら嬉しいです音譜


川崎選手、おめでとう!

(2013年5月28日のブログ記事より)

 

川崎選手、やりましたね~!!!

メジャーで日本人選手がサヨナラヒットを打ったのは、2009年9月のイチロー選手以来だそうですね。

 

試合での活躍も嬉しいですが、川崎選手がチームから信頼され、ファンから愛されていることが何よりも嬉しいです音譜

 

ヒーローインタビューの「アイム ジャパニーズ!」には、思わず笑っちゃいましたねニコニコ

 

連覇を果たした前回のWBCで、ベンチにいる川崎選手が、誰よりも大きな声とジェスチャーでチームメートに声援を送り、ヒットが出たりピンチを抑えるたびに、勢いよくベンチから飛び出して、仲間を迎えていた姿が、今でも目に焼きついています。

 

やっぱりこういう選手が、天に愛されるんだなぁ~。

 

今年はマイナーの契約からスタートして、苦労もたくさんあったと思いますが、そういう境遇を乗り越えてきたからこそ、今の大活躍があるんですよね。

 

さて…っと、私もがんばろう音譜


とある眼科でのできごと

(2013年5月16日のブログ記事より)

 

娘がものもらいがひどくなり、近くの眼科に連れて行ったら、無情にも「受け付けは終了しました」。

「時間が過ぎているのはわかっていますが、たった2分ですし…なんとかなりませんか?」

「受付時間はもう終わっています。明日またお越しください。」

「娘は部活動をしていて、この時間には帰ってこないんですよ。今日も早退して、明日も…というわけにいきませんし、私も明日は仕事で一緒には来られないので、ご無理をお願いして申し訳ないのですが、今日診ていただくわけにいかないでしょうか?」

「先生はすでに帰られたので、今日は無理なんです。土日も診療していますから、別の日に受付時間内にお越しください。」

 

結局いやな思いだけして帰ってきました。

ものもらいの目薬を薬局で買ってつけたので、症状がよくなるといいのですが…。

 

それにしても、医療に携わる人の意識がこれでいいのかなぁ。

たった2分でも遅れたのはいけなかったんです…けどね、でも、緒方洪庵や北里柴三郎を心から尊敬する私としては、とても淋しいです(;し;)

 

 

話は変わって、読書のすすめの清水店長から素敵な話を聞いたので、それを皆さんにお伝えし、気を取り直そうと思います音譜

 

清水店長は、西武ライオンズの菊池雄星クンと仲がいいのですが、仲良くなったきっかけが、とっても素敵なんです。

 

ある時、清水店長が酔っぱらっていて、初めて会った雄星クンを、別の野球選手と勘違い。

 

「おいおい、このところ店に全然来ないじゃないか~」

すると雄星クン、明らかに人違いなのに、神妙な面持ちで「すみません」。

 

さらにさらに、その翌日、あの都営新宿線篠崎駅から徒歩10分の読書のすすめに本当に行ったというんです。

目上の人の間違いを指摘しなかったばかりか、本当に店まで行くという誠実さ…!!!

 

清水店長曰く、雄星クンが投げるときは、西武球場全体が雄星クンを勝たせたいっていう思いで溢れていて、独特の雰囲気があるんだそうです。

清水店長は、よく「足し算引き算の損得勘定で商売をやるのは下の下。ちょっと気の利いたヤツは、マーケティングなんかを勉強して、ノウハウやテクニックを使って掛け算割り算で商売するけど、これからは、微分積分で商売していかなきゃね」とおっしゃるのですが、なんとなくその意味がわかったような気がしましたニコニコ


ゴールデンウィーク最終日☆彡

(2013年5月6日のブログ記事より)

昨日の長嶋茂雄さん&松井秀喜さんの国民栄誉賞W受賞には感動しましたね音譜

二人がお揃いのスーツで現れたところが、何とも言えず微笑ましかった…ニコニコ

 

昨年末の引退会見の時、生涯にあれだけ華々しい成績を残した松井選手が、一番の思い出は、「長嶋さんと素振りしたこと」と答えたあのシーンには、心が震えました。

 

私の中では、高校3年の夏の甲子園で、5打席連続敬遠にも毅然としていた姿と、それから10年後、明徳義塾の全国制覇を祝福したシーンに並ぶか、あるいはそれ以上の、松井伝説が記憶された瞬間でした。

 

星稜高校の山下監督、そして長嶋さん…名将にこよなく愛された松井選手は、本当に幸せですね。

 

‘92敗れざる君たちへ

 


あなたは たぶん 恨みごとを云ったり
作戦を誹謗したりはしないだろう

無念さは おそらく
青春期の総決算のような形で
猛々しく噴出を持っているだろうが
あなたは それを制御し
次なる人生への勲章にし
エネルギーにしてしまうに違いない

 

感情を小出しに爆発させ
その時その時の微調整を繰り返し
如何にも活力あり気に振る舞う人とは
あなたはスケールが違う

ドンと受け止めて
いつか やがて
まるでこの日の不運が
最大の幸運であったかのように
変えてしまうことだろう

バッターボックスの中で
微動だにしなかった態度を称える

ブーイングに便乗しなかった克己心を
何よりも立派だと賞める

照れたり くさったり 呆れたり
同情を求めるしぐさを
欠片(かけら)も見せなかったことを賛美する

一振りも出来ないまま一塁ベースに立ち
瞑想していた男の顔を惚れ惚れと見る

あなたの夏は
いま 無念の夏かもしれないが
流れの中で自分を見失わない
堂々の人間を証明してみせた
圧倒的に輝く夏だったのだ

 

この詩は、高校野球ファンとして知られる作詞家の阿久 悠さんが、5打席連続敬遠の末、2-3で惜しくも明徳義塾に敗れた星稜高校の4番バッター・松井 秀喜選手にささげた詩です。

 

試合の翌日、スポーツ新聞に掲載されたこの詩を読んで、悔しさと感動と、不思議な気持ちを味わったことが、昨日のように思い出されます。

 

明徳の選手も、それからノーヒットに終わった星稜の5番打者も、本当にかわいそうだった…(;し;)

あれから、彼らは、どんな年月を過ごしたのでしょう?

 

松井選手の引退は、高校野球ファンにとって、一時代が終わったことを象徴しているようで、とても淋しいですね(;し;)

 

でも、昨日は、西武の菊池雄星クンが完封勝利、そしてロッテの大嶺祐太クンが3年ぶりの勝利投手に輝いて、甲子園の後輩たちの活躍が国民栄誉賞の受賞に花を添えてくれたようで、ちょっと嬉しかったなぁ音譜

 

 

なんだかとりとめのないブログ記事になってしまいました( ;∀;)

 

ただ今、伊勢志摩からの帰りの新幹線の中です。

また明日から日常生活に戻って、一日、一日を大切に生きていこうっとニコニコ


もう一つの甲子園♪

(2013年4月2日のブログ記事より)

連日熱戦が繰り広げられている、センバツ高校野球。
いよいよベスト4が出そろいましたね。

 

センバツの開会式があった3月22日、甲子園から遠く離れた宮城で、甲子園に勝るとも劣らない熱戦が行われました。
昨春のセンバツで対戦した、鹿児島の神村学園と石巻工が、石巻市民球場で再び試合をしたのです。

 

石巻工は、2年前に東日本大震災で被災しながらも、昨春のセンバツに21世紀枠で出場。

 

開会式の選手宣誓で、日本中に感動を巻き起こしました。

 

試合では、1回戦で神村学園に5対9で敗れましたが、試合後に両校の選手が両手で握手を交わし、ともに健闘を称え合う姿が印象的でした。

 

あれから一年。

学校創立50周年を迎え、記念試合を計画した石巻工が、昨春のセンバツ後も激励メッセージ入りの色紙や練習着を届けるなど支援を続けてくれた神村学園を招待することを決めたそうです。

 

試合が行われた石巻市民球場は、2年前、震災で地盤沈下。

陸上自衛隊の活動拠点ともなって芝も損傷し、使用不能となりましたが、米大リーグを中心とした米側からの寄付金100万ドル(昨年3月時点で約8000万円相当)で人工芝にするなど、修復され
ました。

 

昨年、甲子園に応援に行きたくても行けなかった生徒や市民が球場に詰めかけ、熱戦を見守りました。

試合は3対1で神村学園の勝利。

 

神村学園の山本常夫監督は、試合後「一生忘れられない思い出になった。石巻工と『甲子園でもう一度会いましょう』と話をした」と語りました。

 

試合前には、球場近くの仮設住宅で炊き出しも行われ、住民らが神村学園の野球部員たちとサンマのつみれ汁を食べながら交流したそうです。

 

石巻は私も2月に訪れたので、なんだか他人事とは思えません。

 

神村学園と石巻工が、ともに今夏の甲子園に出場し、両校の選手や生徒が甲子園で再会することを心から願っていますニコニコ


石巻から甲子園に届けたい思い

(2013年2月8日のブログ記事)

 

昨年のセンバツ甲子園で、石巻工業の阿部 翔人キャプテンが選手宣誓を引き当てた時、神様って本当にいるんだなぁと思いました。

あれからもうすぐ1年…

この記事を読んだら、あの感動が再びよみがえってきました。

ハンカチを準備して、お読みくださいね(*^-^*)

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

「石巻から甲子園へ届けた思い」

松本嘉次(宮城県石巻工業高等学校硬式野球部監督)

『致知』2012年7月号

致知随想より

「宣誓。東日本大震災から一年、日本は復興の真っ最中です。

被災をされた方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、

いまも当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、

悲しみに暮れている方がたくさんいます」

2012年春、21世紀枠で

初のセンバツ甲子園出場を果たした石巻工業。

主将の阿部翔人が行った選手宣誓は、

部員たちがこの1年間のいろいろな思いを白板に書き込み、

その言葉をまとめて作り上げたものである。

監督の私が最後に清書をした時には、

様々な思いが去来し、思わず目頭が熱くなった。

2011年3月11日、石巻市沿岸部を襲った巨大津波により、

我が校の校舎とグラウンドは1,7メートルの浸水をした。

5日間水は引かず、残ったのはヘドロと瓦礫の山。

野球部員は市民800人とともに校舎へ避難したが、

選手の7割は自宅に被害を受け、親族を亡くした者もいた。

当日私は水に浸かりながら周囲の人の救助などに当たった。

3日後、学校を出てからはその間、

昼夜を問わず復旧作業に当たる人の姿をたくさん目にした。

最初に考えたのは、子供がいつまでも

避難所や自宅にいたままだと、親たちも動きがとりづらい。

子供たちに生活のリズムをつくってやることで、

そのリズムが元に戻れば大人たちの生活も

元どおりになるだろうということだった。

そこで思いついた言葉が

「あきらめない街、石巻!! その力に俺たちはなる!!」

である。

選手を集めたのは被災後まもない22日のことだったが、

「野球やりたいか」と聞くと全員が力強く頷いた。

「じゃあ学校再開の4月21日には瓦礫一つない校舎にしよう」

と発破を掛け、皆一日も休むことなく

瓦礫やヘドロの片づけに当たった。

その間、他校の野球部員や近所の方々、

海外の救助隊なども駆けつけてくださり、

錆びついた金属バットなどに代わる道具の支援も

全国からいただいた。

おかげで被災から40日後には

無事練習を再開することができ、

野球ができることのありがたみを実感した。

私は宮城県内の高校で15年野球部長を務め、

3年前、当校の監督に就任したが、選手たちにはいつも

「当たり前が当たり前と思うな。

人が嫌がることを進んでできる人間になれ」

と言い続けてきた。

高校を卒業して世の中に出れば、

ほとんどの仕事は雑用と雑用との組み合わせで

成り立っていることが分かる。

その雑用を嫌がらずに自らやる癖をつけておけば、

社会に出ても必ず役に立つ人間になれるという

信念が私にはある。

ただ今回の震災で、我われは当たり前のことなど

何一つないことを思い知った。

野球はバットとボールとグローブさえあればできる

といわれるが、まず、やる場所がなければ

何も始めることはできないのだ。

1か月以上のブランクはあったものの、

夏の宮城県予選ではベスト16。

秋の県大会の最中には台風で付近の川が溢れ、

グラウンドが再び浸水する被害にも見舞われたが、

秋季宮城大会で準優勝し、初の東北大会に進出した。

センバツ甲子園の21世紀枠は、

各都道府県の秋季大会でベスト8入りした高校を対象に、

困難の克服やマナーの規範などが評価される出場枠だが、

そうした点を認めていただけたのは光栄なことだった。

ただ、被災地からの出場とあって世間からの注目は高く、

選手たちが背負っているものは非常に大きいと感じた。

そこで私は野球に対する指示や戦略は一切伝えず、

ただ「ありがとう」ということだけを考えろと言った。

甲子園に出られることに対しても、

野球のできる状況をつくってくださった

周りの人に対してもそう。

それ以外は何も考えなくてよいと。

大会では鹿児島の強豪・神村学園と当たり

初戦敗退したものの、一時は四点差をはね返すなど、

選手が一丸となり最後まで諦めないプレーを見せてくれた。

試合後には相手チームのスタンドからも

「また夏に戻ってこいよ」と大きな声援をいただき、

全国からいまも多くの励ましのメッセージが届いている。

これまでの指導経験を踏まえて私がつくづく感じるのは、

「動けば変わる」ということである。

被災後、石巻地区でグラウンドの掃除を始めたのは

我われが最初で、練習再開に踏み切ったのも当校が一番早かった。

こんな状態の中で本当に野球などしていて

よいのだろうかとも思ったが、保護者の方からも

「先生、早く練習をやってけろ。

子供たちの野球を見るのが一番の楽しみだったから」

と声を掛けていただき、再開させた。

するとそれまで自粛していた周りの高校も、

挙って練習を始めるようになったのである。

今回の被災では本当に多くの方々にお世話になった。

それに対する感謝の気持ちを

なんらかの形でお返しするとともに、

これからの世の中をつくる担い手を

生活指導を通して育てていけたらと考えている。

なお、冒頭に紹介した選手宣誓は次のように続く。

「人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは

苦しくて辛いことです。

しかし、日本が一つになり、

その苦難を乗り越えることができれば、

その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。

だからこそ、日本中に届けます。

感動、勇気、そして笑顔を。

見せましょう、日本の底力、絆を――」。

まだ10代の若者たちが、それぞれの悲しみを胸に秘め、

日本全国へ届けた渾身のメッセージだった。


感動の選手宣誓!

(2012年3月21日のブログ記事より)

 

今年もまためぐってきた、選抜高校野球。

 

何を隠そう、私は歴史と同じか、それ以上と言ってもいいくらい、高校野球、特に春のセンバツが大好きなのです

 

今日は朝から仕事で、リアルタイムでセンバツの開会式を見ることはできなかったのですが、先ほどニュースで石巻工の阿部 翔人主将の選手宣誓の全文を知り、感動で胸が震えました音譜

 

ご覧になれなかった皆さまのために、選手宣誓を再現しますね!

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

震災から一年、東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。

被災された方々の中で苦しくて心の整理のつかない方、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみに暮れている方々がたくさんいます。

 

人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。

しかし日本がひとつになり、この苦難を乗り越えることができれば、その先に大きな幸せが待っていると信じています。

 

 

だからこそ、日本中に届けます。

感動、勇気、そして笑顔。

見せましょう、日本の底力、絆を。

 

われわれ高校球児にできること。

それは全力で戦い抜き、最後まであきらめないことです。

今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

去年の宣誓も素晴らしかったけど、今年は被災した地域の学校がクジを引き当てたっていうのも、何か天の意思を感じます。

 

高校球児の皆さん、がんばってくださいね!!!

連日の熱戦を楽しみにしていますニコニコ


春はセンバツから・・・♪

(2011年3月27日のブログ記事より)

 

私が歴史と並んで好きなもの…

 

それは、高校野球、特に春のセンバツが大好きです♡

 

 

 

夏の大会が 「厳しさ」 を象徴しているのに対して、春のセンバツには 「優しさ」 が感じられるからです。

 

 

“春” という季節が、大会の趣旨が、そう思わせてくれるのでしょうニコニコ

 

 

そして何よりもセンバツが好きな理由…

それは、健闘空しく負けた選手たちに対して、「また夏に待ってるね」 と言える(心の中でつぶやくのですが…) ことです。

 

 

3月23日の開会式。

これほど感動した選手宣誓は、初めてです( *´艸`)

 

岡山・創志学園高の野見山慎介主将の宣誓は、すべての高校球児の想いを、そして私たち日本人の想いを代弁してくれていました。

 

もし見逃してしまった方がいらっしゃいましたら、ぜひ下記アドレスをクリックして、

ご覧になってください!!

 

http://www.youtube.com/watch?v=FI2BFNwT0c0&feature=related (不可)

https://www.youtube.com/watch?v=DH8MnzCxIJs

 

このような素晴らしい高校生たちに、まずは私たち大人ががんばる姿を見せないといけませんねビックリマーク

 

ありがとう、野見山クンニコニコ

 

そして、がんばろう、日本音譜


おかげさま☆彡
(2009年9月14日のブログ記事より)

 

イチローが9年連続200本安打達成……やりましたねビックリマーク

 

それにしても、イチローの華々しい活躍を見るたび、思いだすのは、日本人メジャーリーガーのパイオニア ・ 野茂 英雄投手です。

 

野茂投手は、1990年に、今はもうなくなってしまった近鉄という球団に入団し、名将 ・ 仰木監督のもとで大活躍しました。

ところが、仰木監督から鈴木監督に交代すると、ソリが合わず、鈴木監督から干されるようになったんです。

 

監督、そしてフロントとの確執で、引退に追い込まれつつあった野茂投手は、

誰も考えもしなかったメジャーリーグへの移籍という、ウルトラCの離れ業をやってのけました。

 

けれども、その頃、マスコミは近鉄球団寄りの報道をしており、野茂投手のチャレンジに対しても否定的な見方が大半でした。

野茂投手は、日本球界から追われるようにして、太平洋を越えたのです。

 

近ごろでは、松坂投手のように恵まれた待遇でメジャーリーガーになる

選手もいますが、野茂投手が移籍した時は、日本人がメジャーリーグで通用するとは誰も期待していなかったので、近鉄時代の年俸1億4000万円が、わずか980万円になったと言われています。

 

入団1年目の1995年、野茂投手は、新人王と奪三振王を獲得、さらに翌1996年、なんとノーヒットノーランを達成しました。

マスコミは、手のひらを返したように、野茂投手のチャレンジと活躍を称えました。

 

野茂投手は、バブル経済が崩壊して自信を失くした日本人に、夢みることの素晴らしさを思い起こさせてくれたのです音譜

 

そんな野茂投手は、印象深いコメントをたくさん残していますが、わたしが一番衝撃を受けたのは、

「すべては鈴木監督のおかげです。」

という言葉でしたビックリマーク

 

トルネード投法を否定し、野茂投手の居場所を奪ったのは鈴木監督です。

でも、その鈴木監督がいなかったら、もし仰木さんが監督を続けていたら、おそらく野茂投手はメジャーリーグにチャレンジすることはなかったでしょう。

 

自分を干した監督に対して、

「あの人のせいで…」

と言ってしまうのが、普通の人間でしょう。

 

でも、野茂投手は

「あの人のおかげで…」

と思うことができたのです。

 

「成功したから、そう思えたんだよ」

と言う人がいるかもしれませんが、真実は、きっと逆でしょう。

「あの人のおかげで…」

と思える野茂投手だから、最高の結果を引き寄せることができたのだと思います。

 

考えてみると、日本には、

『おかげさま』

という素晴らしいことばがありますよね。

 

「○○のせいで」 から 「○○のおかげで」 に発想を変えた時、きっと最高の未来が約束されるのだと思います(*^-^*)


言霊のエネルギー♪

(2009年9月7日のブログ記事より)

 

新潟出身のひすいこたろうサンが、とっても素敵なエピソードを

教えてくださいましたニコニコ

 

今年の夏の甲子園決勝、新潟代表 ・ 日本文理の9回最後の攻撃…

ツーアウトランナーなし。

 

ここから、あの感動のドラマが始まります音譜

 

そのとき、いったい監督は、選手になんと言ったのか!?

 

(しばしの間、お考えください)

 

そのとき、監督が選手みんなに伝えた言葉は…

 

「 笑って終わろうや 」

 

「高校生活最後の試合を、笑って終わろう」

という、祈りにも似たみんなの想いが、あのドラマを呼び込み、日本中を感動の渦に巻き込んだのです♡

 

ひすいさんからこのエピソードを聞いた瞬間、心にズドンと響いて、わたしも

「人生笑顔で終わろう」 って決めました!!!

 

そしたら、すべての悩みが雪のように消えてなくなっちゃいました(*^-^*)

 

言霊のエネルギーって、本当にすごいです音譜


球史に残る決勝戦

(2009年8月25日のブログ記事より)

わたしは、歴史と同じくらい高校野球が好きです。

 

甲子園はトーナメントだから、いつでも 「負けたら終わり」 という緊張感と切なさがあります。

 

“いま” という瞬間にすべてを賭けるから、全力疾走やひたむきなプレーが生まれ、それが永遠に語り継がれるドラマになります。

 

仲間に対する信頼と共感、対戦相手への敬意と感謝、郷土の誇り…

そういうもののすべてが、見る者の心をうつのでしょう。

 

高校野球のようなアマチュアスポーツがこれだけ愛されている国は、たぶん日本のほかにないんじゃないかなぁ。

 

技術的には、プロよりも明らかに劣っているのに、プロと同じくらい、あるいはそれ以上、愛されていますよね。

 

勝敗を超えたものを感じる力が、日本人には備わっているのでしょう。

日本人のそういう感性って、本当にすばらしいと思います。

 

昨日の中京大中京 vs 日本文理の決勝戦には、高校野球の魅力のすべてが表れていました。

 

この試合を見ていたら、わたしの感性のスイッチが ON になっちゃいました音譜

 

あふれてきた想いを、このブログを通じて皆さまにお伝えできたらなぁ…

と思います。

 

甲子園の決勝の日、わたしはいつも空を見上げます。

開会式から2週間しか経ってないのに、真夏の空から秋の空に変わっているんですね。

 

夏って、四季の中では、非日常の色彩が一番強いと思います。

非日常の出逢いの中で経験したこと、感じたこと、学んだこと…それらを日常に落とし込んでいくのが秋なんじゃないかなぁ。

 

皆さんに実りの秋が訪れますように…ニコニコ


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