メジャーリーグ1年目で大活躍をした大谷翔平選手。
ホームランやヒットを打ってベンチに帰ってきたときに大谷選手が見せる「お辞儀」姿に世界が注目しました。
文化の違いによっては、お辞儀とは屈辱的な仕草とも取られる中で、大谷選手のお辞儀は「素晴らしい」「相手への敬意を感じる」など、好意的な印象をもって受け取られていました。
大谷選手のお辞儀は、なぜ多くの人の心を揺さぶったのでしょうか。
海外での武道の試合で、試合前の礼(お辞儀)をする時に、お互いの目線を外さずに礼をする姿を見たことがあるかもしれません。
また、最近では日本人同士の挨拶でも多くなっていると聞きます。
しかし、目線を外さないお辞儀に、何か違和感を感じる人も多いでしょう。
いつ何時何があるか分からない戦国の世では、例え親しい者に対してとはいえ、目線を外すということは無条件に首を差し出すことと同じでした。
普通ならそんなことは怖くて出来ません。
ですから、目線を外したお辞儀をすると言うことは、相手に対して敵意がないことや、服従を示す行為であるとされたのです。
武道の試合前に目線を外さない礼をするということは、間違ってはいないのです。
ところが、戦いの最中にあっても正々堂々とした戦いに挑むべく、「私はあなたを信じ切る」という覚悟を持って、目線を外して礼をされたらどう感じるでしょうか。
全身全霊を賭けたその振る舞いに圧倒され、人間としての大きさを感じずにはいられないと思うのです。
「たとえ敵であったとしても、この人は信用できる」と感じるはずです。
お辞儀とは鏡のようなものです。
その振る舞いに私たちの心の中が素直に映し出されます。
自分を信じ切れるか。
相手を信じ切れるか。
お辞儀という些細な振る舞いの中に、その人の全てが顕れるのです。
(富田欣和)
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